お茶における「道具の配置」の快感


お茶をやっている人に「茶道の魅力は?」「お茶のどこが好きですか?」と聞くと、よく返ってくるお答えは、
「お菓子が美味しいから」「お抹茶が美味しいから」「お抹茶がカラダにいいから/ボケ防止になるから」
などがありますが、日本人特有の謙譲の美徳が多分に入っているとしても、これだけが「茶道」の魅力ならば、今の若者(お茶の世界では50歳以下、否、50歳代も含めて、皆「若者」です!)を茶道に惹き付けることは到底できないと思います。ここだけの話、私自身「和菓子よりもリキュールたっぷりしみ込んだチョコレートケーキ」「お抹茶よりもカフェ・オレかエスプレッソ」が好みであり、「和菓子が美味しい」だの「お茶が美味しい」だのという「スイーツ的な魅力(笑」は、嘗て全く「茶道の魅力」なんかではありませんでした、その後「お茶の美味しさ」は少しはわかるようになりましたけど。
他方もう少し実際的に喧伝される「お茶の魅力」としては、「着物を着る機会ができる」「茶事を通じて日本料理の真髄に触れることができる」「茶花を知ることによって華道にも通じることができる」「焼き物、塗り物、掛け軸などの美術作品に触れることができる」等々、これだけ幕の内弁当的に日本文化を体験する場は他にはなかなかないという点があるでしょう。特に夫の転勤で海外に暮らし、ありがちなことに「プチナショナリスト」になって帰国した私には、とても魅力があり貴重な場であるのです、茶道とは。
しかし、お茶のお稽古の年数を重ねるにつれて、別の魅力、それは巷間伝えられるものの中には余り目にすることがなかった(私が不勉強なだけかもしれませんが)魅力なのですが、に気付き始めたのです。
昨日のブログにも書いた「年齢制限なしの一期一会のパフォーマンス」という魅力がその一つ、そして今からそれ以外で感じるお茶の魅力をもう一つ書いてみたいと思います。
それは、「道具の配置」。

研修会の時に、宗心宗匠が為されるご指導のうち、半分以上がこの「道具の配置」に関することではないでしょうか?手順や所作に対するご注意よりも、寧ろこの「道具の配置」に関するご注意の方が多い気がします。
具体的には、先ず棚があれば棚の位置(畳のどの辺りに置くか)の調整に始まって、水差しを据える位置、茶入れとお茶碗を置き合わせる位置と間隔、蓋置きの位置と柄杓の角度、お茶碗を出す位置、三器を拝見に出す位置、全てに関して宗匠には誇張ではなくミリ単位のこだわりがおありのようです。
お点前をなさる方も、勿論「水差しは棚の中央」「拝見に出す時には茶杓の節が茶器の中心線上になるように」等々はちゃんとわかってそのようになさるのですが、それでも宗匠の更なる「ミリ単位のこだわり」が入るのです。これに関しては「こうした方がええかも」とも「どっちゃでもよい」というお言葉は入りません!宗匠のお目には、「これはこの位置でなければ!」という非常に限定された場所が畳の上に確とお見えになっているのでしょう、宗匠しか見えない線が畳の上に引いてあるのではないか、と思ってしまうほどです。
研修会に参加させて頂くようになって日は浅い私ですが、昨日のブログに書いた、宗匠の「こうした方がええかも」「どっちゃでもよい」というお言葉と並んで、研修会という機会を得て初めて気づかされたことが、この「道具の配置」の重要性です。
良く考えてみると、言うまでもなくお点前の最初の最初に置いた道具の配置で、その後のお点前の動線全てが決まるのです。水差しの位置がほんの少しずれているだけで、一連のパフォーマンスに影響します。勿論、他のお道具についてもそうです。そして客に出すお茶碗、拝見のお道具については、これは正客の位置から見なくてはなかなかわからないことなのですが、この位置はそれぞれのお道具が最も映え最も美しく見えると同時に、お道具だけではなくお点前をするご亭主の位置も含めて極めて実用的であり且つ空間全体のバランスがとれている位置なのです。ここにアシモくんこと*1未熟な茶人である私の考えが漸く至る時、「点前の流れ」という時間軸と、「正客から見た茶室全体の美的バランス」という空間的感覚と、この両方を頭に置いて点前の順序と道具の配置を定めた千利休という人は、もの凄い人物だったのだと驚嘆してしまうのです、しかもその時間と空間を合わせた芸術の究極の目的が、大聖堂を造営することでも専制君主の馬鹿でかいお墓を作ることでも大壁画を描くことでもなく、相手が武将だろうが町人であろうが
「一杯の美味しいお茶を差し上げる」
ということだった、というのが、どれだけ渋いか!!!



突然ですが、西洋の建築でもその内部の設えでも、はたまたテーブルセッティングでもドレッサーやコンソールの上に物を飾る時にしても、すべからく西洋は完璧な左右対称=シンメトリーが基本であり唯一の形、だと思うのですね。大雑把に言うと、左右対称にしかも同じものを等距離に置く、という配置の形が正統のようです。ベルサイユ宮殿でもシェーンベルク宮殿でも(私はフランス風のキラキラよりもこちらの方が好きですが)でも、設計からして左右対称、内部もお庭もこれでもか!の左右対称で東洋人の私は見ていてくらくらする程です。


インテリアやテーブルセッティングもそうですよね。同じ燭台が同じ壷やらが左右対称に飾られていることが多いと思いませんか?




それはストリクトに左右対称であって、例えば日本の神社の狛犬さんや金剛力士



のような左右の微妙な差異すらないのです。「同じ物を中心から等距離に左右対称に置く」極めて単純明快なバランスが基本です。

ところが、茶道に於いては「同じものを等距離に置く左右対称」というものはありません。材質も大きさも形も違う道具を、実用的且つ最も美しくバランスがとれた位置に配置するのです。例えばお濃茶の最後に、客からご亭主に道具の拝見を所望して、ご亭主がその道具を清めて客の方に向かって並べます。並べる道具は普通、茶入れ(陶器製)、茶杓(竹を削ったもの)、仕服(茶入れを入れるための織物で出来た袋)、という全く材質や形が違うものを配置するのですが、その配置たるや、どういう手順でどう並べてもよいようなものなのですが、実際に先入観なして試しに色々な手順と位置でこの三種類のお道具を畳の上に置いてみると、なかなかしっくりくる位置がないのです。しかも実際はお点前の動作上の制限もあり、その実際の動作も絡めて考えると、今私たちがやっている手順と位置、つまり千利休が400年以上前に定めた手順や位置が、これ以外にはありえない、と思えるほど最も実際的で最も簡単で最も美しいバランスであることがわかるのです。
調子に乗って拙い説明を更に加えますと、しかもこの「バランス」というのもが単に三次元のものではないのです。例えば、「茶入れ」という、抹茶の粉(今も貴重品ですが昔はもっともっと貴重だったでしょう)を入れる陶器でできた小さな器があります。これはお点前の場では「格が高い」ものですので、竹でできた茶杓や、布でできた仕服などよりは、いつも上座に置きます、置き方も、普通は茶杓の中心線が茶入れの中心になるようにバランスをとります。これは前述のように「完全無欠のバランス」です。ところが、同じ茶入れでも「唐物」といって、文字通り「唐=中国」伝来の、と〜おっても貴重で年代物で高価な茶入れがあるのです。材質は同じ陶器ですし、素人目には見た目そう大した違いはないんですよ。違いといえば、寧ろ普通の茶入れよりも小振りというくらいのこと。ところがこれを畳に茶杓と並べる時には、茶杓の中心線よりもかなり上に茶入れの中心線を持ってきます。「あれ?外見に殆ど違いがないフツーの茶入れを『完全無欠のバランス』で置くとさっき言ったのに、それと違う置き方でいいの?」という疑問が出てきても当然ですよね。ところがですね、「唐物」であるということは、単に計量的に空間を占める体積だけでは測りきれない「重み」があるのです、上手く言えない言葉では表現できないもどかしい、のですけど。おんなじように「陶器」つまり「土」でできてるんですよ、フツーの茶入れと唐物の茶入れ両方とも。なのに「存在感」が全然違う。「物体」が、「物体」でしかないのに「物体」の癖してオーラを持っているのです、マジで。そしてそのオーラや存在感までを計算して「新たなベストバランス」を設定してくれちゃっているのです、千利休!そしてその究極の「道具の配置」感覚を千利休の時代そのままに今この時代に継承していらっしゃる茶人のお一人が、宗心宗匠なのだと思う時、本当にひれ伏してしまいたいほどの感動を覚えます。



実は私が師事している先生も、「道具の配置」については細かくご指導して下さる先生なのです。しかしながら、不出来な弟子&アシモくん*2である私は、やはり「お点前の手順」がいつも優先的に頭にあって、「道具の配置」については、「ご注意を受けたらそれから置き直せばよい」的な甘えがありがちなのですね、反省。けれどもそんなお稽古を繰り返していては、いつまで経っても、「一発でベストバランスの位置に道具を置く」ことなどできるはずはありません。そうなんです、昨日書いた「一期一会のパフォーマンス」を限りなく最高のものに近づけるためには、一発で決めなくてはいけないのです。きっと浅田麻央ちゃんも、ベストな角度でジャンプを一発で決めて跳ぶために集中力を限界まで研ぎすまして跳ぶのでしょう、ジャンプは「跳び直す」ということが出来ませんからね。お茶のお道具も「置き直せばいい」などと考えてはいけないのです、同様に。・・・と今更ながら気づきまして、お稽古の時にやってみる訳です、お道具を置く時に全て「一発命中」を目指して。はっきり言って、ぐったりですよ、おまけに短いお点前でも最後までとても集中力が持ちません。そこで又しても思い至るのですが、茶道とは元々は戦国時代の武将が嗜んだものだったということで*3、諸説色々ありますが、例えば「茶室には刀を持ち込めないので(入り口が狭い)、命の心配をせずに話が出来た」とか「狭い空間で(広くても四畳半)お互いに腹を割った話が出来た」等々ありますが、私の勝手なイメージは「殺伐とした戦国の世に武器を捨てて一服の茶でなごんでいた」といった牧歌的なものだったのですが、実際にお茶を始めて、そんなピースフルな女子供的なもの*4ではなかったのでは?と確信するようになりました。当時「茶の湯」とは亭主であれ客であれ武将として又同時に人間としての力量が問われる場、、即ち、記憶力、理解力、集中力、審美眼、博識見識、そして最後に空間のバランスを瞬間的に把握して一度で道具の配置を決める、という力が一番よくわかる場でもあったと思うのです。特に最後の「一発命中で道具を置く」というのは、真剣でやる居合いのような一瞬の気迫が要求されるような気がします。決まった時の快感は、実際に兵を束ねて策を練り戦に勝利することを極限まで抽象化したものではなかったかと。



そして時を経てこの平和(ぼけ)の時代、終わりなき日常の中、血湧き肉踊りドーパミンとアドレナリンが駆け巡る「一期一会のパフォーマンス」の快感のためにお茶のお稽古に励む私がいるのですが、こんな超ヌルい環境ではいつまで経ってもなかなか真の茶人の境地には辿りつけないのではないかとうっすら懸念している今日この頃。

*1:昨日の記事をお読みください

*2:HONDAのロボットのようにぎごちない動作であることを例えて

*3:「武将のなかからも織田有楽斎(信長の弟、長政)・小堀遠州古田織部らの茶人が出た。」詳説日本史B 山川出版社

*4:決してジェンダーバイアスかかっている訳ではなく修辞として