「秋入学」 「一橋大学、お前もか・・・」


今週の月曜日から、日経新聞の1面で「大学開国」という特集をやっていて、多分金曜日まで続くと思われるこの特集を全部読ませて頂いてからもう一度この問題について考えてみようと思っていたのですが、今朝の一橋大学独自案の報道を見て、一言言いたくなってしまったので書いてみます。

一橋大学の「秋入学」に関する独自案とは

・入試は現行通り春
・春から入学時期の秋までは「導入学期」として大学の責任で語学などの基礎教育を行う
・1〜3年までのそれぞれ2学期計6学期と、4年時の秋〜春の1学期、合計7学期を以て卒業とする(※現行は8学期)ので、卒業は現行通り春、学生は今まで通り春に入社や入省、大学院進学が可能

というものです。

「『導入学期』は授業料を徴収するのか?卒業単位に含まれない授業にお金を払うのか?」という、保護者ならすぐに頭に浮かぶ現実的な問題はさておいて、「7学期」で卒業って、どれだけ薄っぺらい大学教育になるんでしょうか?今でも悪名高い「就活」で大学3年生の冬から短くても半年は授業に出るのが難しい状況であるのに、更に大学教育の期間を短縮するのでしょうか?
そしてこれは、東大が「秋入学」の目玉というか価値あるものとしている「ギャップイヤー」の否定です(「ギャップターム」というのは東大英語らしいので)。
つまりこの案は、「東大案のトンがったところを、就職や資格試験や大学院進学には影響しないよう八方丸く修正した」というもので、或る意味日和見的、というか理念無きものです。何故なら、その「修正」を施すために大学教育の期間「一学期」を犠牲にする、というものなのですから。
大体この一橋大学独自案は「日本人学生のグローバル化を達成する」ためのものなのか、「海外からの留学生を呼び込む」ためのものなのか、どちらなのでしょう?入学時期を変えた後の根本的な問題の解決に向かっての施策は示されていないのですから。

入学時期だけを変えて、根本的な問題を解決しなかったらどうなるか、ということについて、わかりやすい未来図を描いてくださっているエントリーがありました。

東大が「日比谷」化する日

東大がこのまま「秋入学」を進めるとしたらこの未来図が一番現実化する可能性が高い気がするのですね。最後のパラグラフをそのまま引用すると、

東大の失敗の理由は何だったのだろう。答えは簡単だった。日本人の高校生という、自分たちにとっての最大の顧客のことを、ちっとも考えなかったからである。そもそも、自分たちの方針に皆が付いて来るという驕りがあり、顧客はもとより、競争者も戦略を変えてくるとは思ってもいなかったのだ。こうして、社会に多大な迷惑をかけ、日本の教育を衰退させて、壮大な実験は終わったのである。

私もこの「秋入学」議論の中で、一番不思議に思ってきたのは、「何故、日本人の高校生を大事にしないのか?」ということです。折しもあと数日で国立大学の前期試験が始まります。東京大学は、全国の受験生の中の最上位の学生3000人を入学させるのです。この優秀で尚かつ「努力」が何たるかを知っている学生たちを何故大事にしないのか?
東大が優秀な彼らを「グローバル化」することは簡単なことです、少なくとも中学校の英文法も理解していないような学生を抱える大学に比べて。
東大が言及を敢えて避けていることがあります。それは「東大生のTOEFLのスコアでは、ハーバードやオックスフォードには留学できない」ということと、「外国人教員の数が余りに少ない」(←これが原因で世界大学ランキングの順位を下げているということは、東大もわかっているようですが。*1 )ということです。逆に言うと、この二つを解決すれば、いとも簡単に「グローバル化」するんじゃないでしょうか?
ブログのタイトル風に言うなら、「東大生をグローバル化するためのたった二つの方法」もしくは「この二つを実践しただけで驚くほど東大生がグローバル化する」という2点は、

・教授の半数を日本人から外国人に替えて、外国人教授による英語だけの講義を必要単位の半数程度は設置する。
進振り制度を廃止して、1年生や2年生の途中でも留学できるようにする

たったこの二つを実現すればよいのです。東大生は入学以前に高度な英文法も受験勉強で既に理解済みであり、ボキャブラリーは、

DUO 3.0

DUO 3.0

やら
システム英単語 Ver.2

システム英単語 Ver.2

やらで完璧です。後は留学に匹敵する英語環境を与えてあげればよいことで、この二つを実現すれば、未来の日本を背負って行く優秀な頭脳である東大生はすぐさま「グローバル化」すると思います。しかもこの二つは予算をそんなに必要としません、新しく何かを作るわけではなく、教授を入れ替え、制度を廃止するだけなのですから。ところがこの2点は、大学当局にとって最も実現困難だと思われるのですね。先日のエントリーでも書いたように、英語で講義できる外国人教授を増やすということは、日本人教授のポストを奪うということになり、これは学内の猛反対で成立するはずがないと思われますし、「進振り制度」は「東大の意地」ですからこれを廃止する、ということも、東大に女性学長もしくは他大学出身の学長が誕生すること(←かのハーバード大学の現学長は他大学出身の女性ですけど)より難しそうです。
「この二つは実現不可能」という諦めの地点に立って、それでは他に何かないか、といえば、入学時期をいじること、即ち「秋入学」なんじゃないかと思うわけです。それはまた言い換えると、「東大は日本の高校生を捨てた」ということに行き着くのです。
東大の責任はこれだけに留まりません。前述の「東大が『日比谷』化する日」の最後の部分を再度引用すると、

社会に多大な迷惑をかけ、日本の教育を衰退させて、壮大な実験は終わった

この先を想像するとため息が出てきます。国際的に見ても、一つの国、しかも現在は斜陽とは言いながらいやしくも先進国である一つの国の中で、「秋入学」の大学やら「春入学」やらの大学が混在する国、ってもう「オワタ」としか言いようがないと思うのです。明治以来何とか踏ん張って(第二次世界大戦後のGHQによる学制改革もくぐり抜け)人材輩出をしてきた日本の教育システムを、その頂点にいたはずの東大がいとも簡単に破壊しようとしているのです。

「東大がぶち上げたから」というだけで「秋入学」に賛成を表明している経済界の方々、マスメディアは、本当に今の日本の教育や受験生が置かれている現状を理解しているのでしょうか?
自らの立場の「為の発言」になってはいないでしょうか?真に考えるべきは、「日本の高校生」のことであり、それを理解すれば「秋入学」などよりもやるべきことはゴマンとあることがわかると思うのですが。



(参考)
今までに書いた「秋入学」に関するエントリー

「東大秋入学」のニュースを聞いて 雑感 秋入学に移行したくらいで東大に留学生が集まるのでしょうか? 

東京大学「秋入学へ移行」は誰得?

今日の朝日新聞は「秋入学」に関する記事オンパレード