ネタバレそのもの 映画「チャイナ・シンドローム」


昨夜NHK BSシネマで放送されていた映画、チャイナ・シンドローム*1を見ました。

もし今年の3月以前に見たならば、「古い映画」の一言で終わる作品でしょう、1979年公開の映画ですから。
でも、3.11後の今見ると、また違った感慨を持たずにはいられません、私自身結構昔の洋画はしらみつぶしに見ている方だと思いますが、この映画は勿論3.11がなかったら見なかった映画だと思います。

内容についてよりも、先ず表面的なところで気がついたことを挙げておきます。



・映画内の原発で働く作業員の服装が、ぶっ飛んでラフなこと。ストーリー中で重要な役である技師長のジャック・レモンは変な半袖柄シャツにネクタイ緩めて変なベスト、原発所長はボタンダウンシャツに蝶ネクタイ、そしてその上に何とダークグリーンとベージュのコンビのスタジアム・ジャンパーという出で立ちで原発内で働いているし、コントロール室にいる若手のオペレーターに至ってはポロシャツ姿あり、GパンにGジャンの上下ありです。3月の福島原発の事故の後、会見のメンバーは勿論、普段はスーツにネクタイであるはずの社長、会長までもが取って付けたように着ていた東電お仕着せのジャンパー姿


とは随分違います。アメリカの原発では今も皆あんなにバラバラでラフな格好で作業員は働いているのでしょうか?


・ヒロインを演じるジェーン・フォンダも、

髪の毛はファラ・フォーセット風(当時の流行)、

ベージュのパンタロンスーツに更に同色の厚底サンダル(どう見ても10cmはある)を履いているので、足が不自然なくらい長いのです。


・今じゃあり得ないのですが、当時という時代は、まだ男性が冗談に女性のお尻を叩いたり、職場の女性にセクハラ発言してもOKだった、というか、それを日常の一コマとして映画で描写しても全然顰蹙ではなかったのですね。フリーのカメラマン役であるマイケル・ダグラス(最初黒髪に黒ひげで誰かわからなかった)が、

(これが割と最近の彼)

(中央が映画の中のマイケル・ダグラス
彼がヒロインのお尻を叩くシーンがあったり、ヒロインが勤めるテレビ局のプロデューサーやディレクタ-がヒロインにかける言葉が、「女性蔑視」甚だしいセクハラ発言(フェミでない私が見ても)がてんこ盛りです。


・ヒロインのジェーンが収録の合間に煙草を吸うシーンも、もし時代がウルトラ健康志向の今ならばあり得ないでしょう。



そして肝腎の内容なのですが、3.11を経験し、そしてその後連日の原発に関する報道に接している日本人だからこそ、分かりすぎるくらい理解できてしまうのです、きっと3.11以前にこの映画を見ても、理解度は今の半分もなかったと思います。

先ずヒロインの新進レポーター、ジェーン・フォンダが、カメラマンのマイケル・ダグラスと共に原発へ取材に行くのですが、そこで電力会社の広報担当者に原発の仕組みを図で説明されるのですが、

この図が3.11以降何度もテレビで見たあの図で、燃料棒の出し入れも、原子炉格納容器も、ペレットも、全て私にとっては学習済みのことばかりでしたよ。予習をきっちりやって授業に臨むとこんな感じなのでしょうね。

映画の中では当時アメリカの原発でも安全神話がまかり通っており、ジャック・レモン扮する原発の制御室の技師が(彼はこの映画でカンヌ国際映画祭主演男優賞を獲得)、上司や同僚に、彼が気がついた重大事故の可能性を説いても誰も耳さえ貸そうとしません。「想定以上の」地震津波の可能性を長年東電に訴えていた学者や国会議員*2がいたのにも拘らず、3.11のその日を迎えてしまったフクシマ原発のようです。
電力会社のトップである会長(陰謀ものの悪役が多いリチャード・ハード)は、

「新原発の稼働が遅れると、一日当たり49万ドルの損失だ。」
「10億ドルの投資をドブに捨てる気か?」
と怒鳴ります。彼の頭の中では、新原発を建設してより大きな利益を産むことが、住民の安全よりも優先しています。
どこかで見たり聞いたり読んだことがあるような設定の中、原発が危機的状況を迎えていきます。


福島原発の事故と同じように、映画の中の重大事故=「チャイナ・シンドローム」一歩手前の事件は地震から始まるのです。舞台はカリフォルニアなのですが、日本と同じく「環太平洋火山帯」

の中にあるカリフォルニア州地震頻発地域なのでした。
映画の中では、我々日本人の感覚で見ると大したことのない小さな地震の直後、原子炉が停止し、送電が止まります。そして放射能漏れ(「レベル8だから安全だ」と言っていますがどのくらいなのかは不明)。原子炉の水位が上昇したと思って水を抜いていると実は計器の故障、もしくは冷却水が漏れて水位は下がる一方です。
「炉心が出るぞ!」
「補助冷却水を注入しているだけで、あとはお手上げです!」
「LPCI(高圧注水系)はどうした?」「点検中です!」
「蒸気を出せ!」と怒鳴る吉田所長じゃなかったジャック・レモンに「それだけは!」と驚きの声を上げる同僚。緊迫した空気が流れる中、そして吉田所長じゃなかったジャック・レモンは最後の手段として自ら安全弁を開きます(これが「ベント」?)
そして水位は危険域に入り(それが『炉心が露出すること』を意味すると既に理解している私がいます)、「Reactor Vessel Low Low Water Level」(「Low」が2回繰り返されているのは私の間違いでなく、ランプの表示そのものです)と赤色の警告ランプが点き、万事休すか!と思われた時、計器(デジタルじゃなくてアナログなんです、これが!)が水位が上昇しつつあることを示します。歓声を上げて喜び合う所員たち。やはり予定調和がお約束のハリウッド映画です。

しかし、今年の3月11日の福島第一原発では映画のようにはなりませんでした。

その後の映画の展開は、住民を巻き込む重大事故になる直前だったこの事故を隠し撮りしていたマイケル・ダグラスジェーン・フォンダは、特ダネとして放送しようとするのです、当然。今度も既視感がある成り行きなのですが、テレビ局のプロデューサーに電力会社からプレッシャーがかかり放送できないのです(3.11後もそうだったのでしょう)。一方現場の技師たちは、NRC即ちアメリカの原子力委員会の査察を受けますが、会社側は事故を過小に見せようとします、新設の原発の認可に関わってくるので(←これもどこかで見たような状況)。
ジャック・レモンが演じる原発制御室の技師長は、原発の安全性について問うジェーン・フォンダ
原発は事故の可能性を前提にしている」
「あらゆる最悪の事態に備えてある」
「すべての部品は念入りに試験を重ね、溶接部はX線検査してる。どんな小さな物もすべて二重三重に検査。」
「人のすることにリスクは付き物。だから多重防御している。何重ものバックアップを君も現場で見ただろ。そのシステムが作動し放射線は漏れなかった。スイッチや弁が壊れてもシステムは可動するんだよ。」
と高らかに宣言するものの、原発の検査報告書を作成する会社がプラントの溶接部のX線写真を規則通りに毎年撮らずに同じものを使い回していたことに気がついて、建設会社に出向いて検査の責任者に抗議しますが、
原発は絶対に安全だ。あの溶接部は6000年もつ。」
と逆ギレされて、ジャック・レモン
「NRC(←これが何を指すか調べなくてもわかる私がコワい)に報告する。」
と言い返すと、
「こっちは世界に名だたる建設会社だ。用心棒がついてる。」
と脅されてしまいます。そしてそのいい加減な報告書を作成した会社こそが、新原発を受注している建設会社なのでした。それで逆に、原発を再び稼働させるだけの安全性が確保されていないとジャック・レモンは信じるに至り、また自分の疑念に共感してはくれない上司や同僚に希望を失い、警備員から奪った銃で脅して、制御室を乗っ取ってしまうのです。この場面は今見ると「テロ対策がなっていない」と思ってしまうのですが、1979年のアメリカでは「テロの脅威」はまだ考えなくても良かったのでしょう。
そして制御室を乗っ取ったジャック・レモンが、「テレビで証言したい。」と会社を脅す時に、武器として使うのは、銃ではなく
「汚染水をぶちまけるぞ!」
というものなのです。
この言葉に、リチャード・ハード扮する電力会社の会長はビビりまくるのですが、3.11以前ならば、
「何故『汚染水をぶちまける』くらいでそんなに上層部がビビるのか?」
ということが全くわからなかったでしょう。「汚染水」が何たるかも分からず、それを「ぶちまける」ということが取り返しがつかない途轍もない危険なことだと、周囲の住民や環境に甚大な被害を与えることだと、今では私でもわかっていますが。


しかしところで、フクシマでは去る4月にはあろうことか電力会社が自ら、「低レベル」という放射線に汚染されている水を1万5千トン以上も海にぶちまけて、失礼、海に放出したことがありました。*3 これはとんでもないテロ行為なのではないでしょうか?
この古い映画よりも、フクシマの方が遥か先まで進んでしまっているのです。この映画の脚本家は、原発事故が起こって、原子炉を冷やすための冷却水が溜まり続けた末に電力会社自身がそれをぶちまけ、失礼、放出する事態になるということは、とても想像が及ばなかったに違いありません。この映画の全米公開は1979年3月16日ということですが、それからわずか12日後の1979年3月28日に、スリーマイル島原子力発電所事故が実際に起こったということで、興行的に大ヒットしたというものです、ラブストーリーの要素が全くない社会派映画であるのに。


映画や本を評論しているブログでは「ネタバレ注意」と書いてあることがよくあります。ここまで映画「チャイナ・シンドローム」について書いてきて思ったのですが、私が書いてきたことは、「ネタバレ」なんかじゃないですよね。3.11後の日本人が見れば、どれも既視感のある、予測のつく展開なのです、残念なことに。そして最後の場面で誰しも思うのではないでしょうか?
福島原発の事故も、この映画のように最後の最後に奇蹟のように収束すればどんなによかったか!」
と。実際、3月のあの日々、余震の中、毎日一日中テレビに張り付いてニュースを見ていたあの日々、
「これは何かの間違い。きっと安全な結末が待っているに違いない。」
「夜眠って目が覚めたら、全ては夢だったらいいのに。」
と祈るように思っていました。実際はそうはならず、映画よりも遥かに過酷な現実が今尚続いているのですが。



この映画よりもずっと先に進んでしまった2011年の私たちですが、この30年以上前の映画から逆に考えさせられることもあります。

映画の中で原発新設の公聴会の場面があって、母親たちが原発建設に反対の意見を述べるのですが、参加した何十人もの母親たちが「これが愛する我が子です。」とそれぞれがそれぞれの我が子の写真(A4くらいの大きさ)を持って安全委員会に対して訴えます。
「子供たちのことを考え、判断を下してください。あなた方の判断が子供の未来を左右するのです。名前を述べます。」
そして子供たちの名前を年齢と共に読み上げます、「ドナルド・ボーザック5歳、トニー・ブロット7歳、・・・」
普通の母親たちです。どこかの政党に属しているわけではありません。以前にも書きましたが、日本では長らく「原発反対運動」は何かの政治的主義主張と結びつけられていました。*4それ自体が本当は愚かなことだったのかもしれません。私たちも、今からでも東電の前で、否、原発を抱える全ての電力会社の前で、原発周辺に住み、もし事故が起こったら真っ先に危険に晒される地域の子供たちの名前を、その写真を掲げつつ、読み上げるべきではないのでしょうか?本来ならば、原発が建設された40年前に声を上げるべきであったのでしょうが。

またこの公聴会原発建設に抗議するために孫を二人連れてきた婦人は
「事故が起きた時、どういう対策が取られるのか、廃棄物の処理法も含め答えがありません。」
と、ジェーン・フォンダのインタビューに答えます。
30年以上前のこの映画で指摘されているまさにこの2点、
「事故が起きた時、どういう対策が取られるのか?」
「廃棄物の処理はどうするのか?」
について、東電は今回の事故対策の失敗は認めず、従って反省もなく、また原発が平常運転時に生み出す廃棄物のみならず今回の事故で放出された気が遠くなるほどの放射性物質の処理については、何も提示してはいないのです(低濃度の汚染水を海に流すという暴挙以外)。


入念に予習をして授業に臨んだ生徒のように、1979年公開の原発事故を扱ったこの映画「チャイナ・シンドローム」を隅々まで理解できてしまうことに複雑な思いがする2011年暮れの現実です。

FC2でも見られるみたいですが↓
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