関西人の根性を見せてほしかった「大飯原発再稼働」  細野豪志原発事故担当大臣の「クローズアップ現代」での発言に一言


京都府出身で滋賀県育ち、京都大学出身の細野豪志原発事故担当大臣が、6月18日のクローズアップ現代原発運転再開“政治判断”を問う」に出演していました。

私も番組を視聴している時に思わず「何つう言葉遣いなの!」と突っ込みを入れてしまった、細野大臣が浪江町の被災者に対して述べた「被曝をして頂いた」発言。
ネットでも非難されているようでしたが、言葉って、特に日本語って怖いですね。
「上手く言おう」と言葉を飾るほど、「実は心がまるで無い」ことが丸わかり、になってしまうのです。本当はうわべだけでしかない気持ちを、正しく使うこともできない敬語で飾ろうとすると、皮肉なことにその貧しい心持ちが透けて見えるのですね。

思い起こせば、鳩山元総理も変な敬語使っていて「過剰敬語」とか言われていましたし、麻生元総理も同様でした。
共通項「お坊っちゃま」のお二人ですが、正しい敬語が使える/使えないは、生まれや育ちではなく、単にインテリジェンスの問題ではないかと思えてきますが、細野大臣の場合は、単に「心が無い」のだろうと思います。

さて、細野大臣は番組の中で大飯原発の再稼働(の言い訳)についてこう述べています(以下、NHKの番組ホームページ*1から引用しましたが、不思議なことに「被曝をして頂いた」という部分は「被曝をされた」というマトモな表現に書き換えられていますね。)。

それはなぜかと言うと、動かすことも、実は命との関わりなんだということを、首長の皆さんもよく分かっておられるからなんですね。
15%の節電というのは、本当に激烈な節電です。
その中で、体の弱い方、お年寄りが熱中症で倒れる人がいるのではないか。
万万が一ですね、火力発電所が落ちてしまって大規模停電があった場合は、そこでもしかしたら、例えば人工呼吸器をしておられる方がおられるかもしれない。
その人の命が失われるかもしれない。
そのことも含めて考えたときに、大飯3号機、4号機についてはこういう判断をすべきだろうというのが、政府の立場なんです。

「命との関わり」ですって???いとも軽く言葉を使う方ですよね。

例えば人工呼吸器をしておられる方がおられる(※←また変な敬語を使っていますが)かもしれない。その人の命が失われるかもしれない。

それが理由で大飯原発を再稼働するというのならば、これは大いなる「欺瞞」でしかありません。かなり以前に読んだ小説がすぐに頭に浮かびましたよ、私。

その小説とは。
ベストセラーになった数々の企業小説を書いたアーサー・ヘイリーの小説の中の「エネルギー(原題:Overload)」という名の、電力会社モノです。ちなみに上梓されたのが1979年のこの小説は、2000年夏の「カリフォルニア電力危機」を20年以上も前に予見していたかのような内容になっているんですが、永井淳氏訳の文庫本上巻裏表紙の粗筋にはこうあります。

酷暑の夏、カリフォルニア一帯は深刻な電力不足に陥っていた。さらに過激派による発電所爆破が重なり、大停電が引き起こされた。マスコミと環境保護団体の抵抗で暗礁にのりあげた発電所建設計画。大がかりな盗電盗ガス組織犯罪、そしてOPEC加盟諸国の石油輸出停止・・・。エネルギー供給の最前線に立つ巨大企業GSP&L副社長のニムは、続発する事件の処理に忙殺されていた。

小説の冒頭、この巨大電力会社が持つ発電所の一つが、過激派によってタービンの一部を爆破されてしまいます(←まさに「想定外」のテロ、だったわけですが)。それにより、「カリフォルニアの8分の1(約300万人の人口を持つ、スイス全土よりも広い地域)」が、突如として停電してしまうのです。電力会社は、他の電力会社に送電してもらって停電を解消していくのですが、当時は技師の手で、地域一つずつ送電を回復するスイッチを入れていくところが時代なんですが。その作業が行われているコントロール・センターで、主人公のニム(電力会社副社長)は、送電部長が見ている、各色の丸印が付いた見慣れない架線地図に気付きます。送電部長にそれが何を示している地図か尋ねたところの答がこうです。

この赤丸印は鉄の肺です。・・・呼吸装置のことですが、最近ではそう呼ばれることが多いんですよ。緑は腎臓の人工透析装置、それからこのオレンジ色の丸印は瞬間酸素発生装置です。各部がこういう地図を持っていて、常に脱落がないように新しい装置の所在を書き込んでいます。家庭用装置のあるところを知っている病院が、われわれを助けてくれるんですよ。
生命維持装置に頼る人の大部分は、緊急時にバッテリーに切り替えのきくタイプのものを使っています。にもかかわらず、外部電力が切れたときは彼らにとっては悪夢なのです。そこでわれわれは、局地的停電が起きた場合、すばやくチェックすることにしています。そして、少しでも疑問や問題があれば、携帯用発電機を持って駆けつけるのです。

念のため、もう一度言いますと、この小説が書かれたのは1979年(細野大臣御年8歳のみぎり)、インターネットもない時代なんですよ。
それから33年後の21世紀の現在の日本において、ま・さ・か、天下の関西電力は、停電した場合にどの地域のどこにどれだけ「人工呼吸器をしておられる方がおられる」のを把握して即座に対応できるシステム、というものを持っていないのでしょうか?
まさか、このインターネットの時代に、地域独占の企業、しかもまさに言葉通り「ライフライン」である電力を担い「命の関わり」に重大な責任を持つ電力会社がこのようなシステムを作っていない筈はないですよね?
もし万が一そうだとしたら、そちらの方が大問題で、民主党のモットーである政治主導で是非とも早急に、関西電力のみならず全国の電力会社にご指導いただきたいものですが。
ですから「人工呼吸器をしておられる方がおられる」ことを、大飯原発再稼働の口実にしてほしくないのです、それも「命との関わり」なんていう上辺だけの言葉を使って。
この33年前に書かれた小説の中のようなシステムがあるのならば(この巨大電力会社はかなりの悪役なんですが、それでもちゃんとこういうシステムがある、という設定になっています)、計画停電であれ、節電であれ、ブラックアウトであれ、対応できるんじゃないか、対応できなくてはいけない、と私は思うわけで。


私は、「パリのアメリカ人」ならぬ、「首都圏で暮らす関西人」です。
とは言いながら、もう関西で暮らした年月よりも、首都圏で暮らした方が長くなっていて、言葉は完全にバイリンガル化していますが、未だに、おうどんは薄口醤油で作りますし、お笑いは関西人の芸人さん以外は受けつけませんし、「読売巨人軍」とやらには高アレルギー反応が出てしまいます。
そんな「首都圏で暮らす関西人」として、関西人の皆様に申し上げます。

関西人は見くびられたんですよ、「15%の『激烈な』(←細野大臣による表現)節電は、関西人にはできまい」と。実際にやってみる前から、「出来やしない」と見くびられたんです。

昨年、「東夷と江戸女」である日本における文明後発地域である首都圏の人々は、頑張りました、やり遂げました。3.11直後の計画停電、夏は電力使用制限令が発動された上での節電、悲鳴を上げそうになりながらも、文句は言わずに、老いも若きも、頑張ったのです。
大震災直後から有無を言う間もなく始まった「計画停電」(実際は「無計画」としか言いようがありませんでしたが)。暗い駅構内、エスカレーターは止まり、電車は間引きされ、スーパーや銀行でさえその地域が停電時には閉店し、マンションでは停電時間にはポンプで水を汲みあげられないので水も使えない、電気会社の口車に乗ってオール電化にした家庭ではカセットコンロでお湯を沸かし・・・という様々な生活の不便を耐えて過ごした計画停電だったのですよ。一方事業者に対しては法的拘束力のあった夏の節電は、今までの「日本の夏は、暑けりゃ、エアコンで冷やせばいい」という生活から一転、電車の冷房が切られ、オフィスのエアコンの設定温度は28℃ということはOA機器の熱で実際の温度は朝から30℃超という中でサラリーマンは「スーパークールビス」で仕事をし、企業の中には平日を避けて土日に操業するところも出てきて当然その企業に勤める人だけではなく工場周辺の商店や飲食店や出入りの業者や家族にも影響し、予備校や塾の自習室が早い時間で閉まるので受験生は難民となり、家庭でもエアコンをなるべく使わないようにしようという気持ちになったり、家中のコンセントを抜いたり、緑のカーテンを育ててみたり、まあ一つ一つの節電の取り組みは原発で発電される電力に比べればナノレベルのものだったのですが、とにかく夏をブラックアウトなしに乗り切ったのですよ、首都圏の人々は(しかも、当初東電が脅していた危機的状況にはならなかった)。
何故首都圏の人々が、かくも不便に耐えつつも15%の激烈な節電を頑張ったかというと、それは「いつか再び原発が再稼働されて、電気を使い放題の日々が戻ってくるのを夢見て」いた訳では全くなく、きっと私も含めて「今までの電気を湯水のように使うことで成り立っていた自分たちの生活のために、電力供給を一方的に押し付けていた福島の人々、原発事故とその後の放射能被害に遭っているその福島の人々のことを考えると申し訳ない」という、贖罪にも似た気持ちがあったからだと思うのです。確かに、中小のみならず事業者からは節電に対して「悲鳴」が上がっているという報道はたくさんありましたし、原発事故半年にも満たないうちでの「節電の夏」でしたから、まだノウハウもなく、「ピーク時に電気を使わないことが大事」ということも周知していなかったということもありました。けれども、節電に関して「文句」や「非難」が巻き起こったということや、「人工呼吸器をしておられる方がおられる」のは首都圏も関西圏と同じだと思うのですが計画停電&夏の節電で何か重大な被害があった、ということは、昨夏は寡聞にして知りません。


そんな節電が関西人にはできないのでしょうか?


私が思うに、関西電力が出してきた「電力不足の予想」が怪しげなものであることはおいておいて、昨年の首都圏の「節電の夏」は前例もなく準備期間も短くて手探りのまま始まりましたが、今年は去年の経験からの知見の蓄えもあるはずですし、それ以上に関西人だからやれることもあるはずです。
最初から、「気をつけなければならないのは『ピーク時』であり、それ以外は必要以上に節電する必要はない」と周知して、住民の不安を和らげることも大事ですし(去年東電がこれを徹底しなかったせいで、お年寄りが節電をする必要がない夜中にエアコンを切っていたために熱中症に罹る、という事故がありましたが、これは東電と政府の責任ですよ)、『ピーク時』ということに注目するのならば、例えば「猛暑日(最高気温が35℃以上)」と予想される日のみ、午後0時〜3時くらいまで、デパートが交代で閉店するとか、テレビ放送を休止するとか、そしてこれは関西人でなくても辛いことでしょうが、その時間帯には甲子園の試合を行わない(選手にとってもいいと思いますけどね)とか、関西ならではのドラスティックな節電方法がたくさんあるはずです。松下さんやシャープさんも(サンヨーさんは一部中国人になってしまった上に松下さんになってしまいましたが)関西発の企業なんですから。

一言で言うと、
関西人の根性、見せたらんかい!!!
(ご無礼致しました)ということなんですね。



私はもう20年以上も前の或る夏、福井県三方五湖に行ったことがあります。三方五湖も絶景ですがそこから常神半島の西側に進んで、そこの美しい海と海の幸を堪能し、更に翌日は御神島という無人島に渡ったのを覚えているのですが、それはもう、海が息をのむほどに美しいのです。エーゲ海カリブ海も行ったことがない私ですが、きっとそこの海に負けない美しさだと思います。今改めて地図を見ると、大飯原発がある大島半島と常神半島は若狭湾を挟んで直線距離で13kmほどなのですが、きっと大島半島も同じように美しいリアス式の海岸だったのでしょう。今回の報道で大飯原発の映像を見ると、周囲の景色とは到底異質な原子炉建屋が美しかったであろう入り江の一つを無様に占拠していますけどね。


首都圏の人々が、どんなに節電に努めても、原発事故が起こってしまった今、福島の豊かな田園地帯や里山、海の幸の汚染、そして何よりそこで先祖代々暮らしていた人々の暮らしは、もう元には戻りませんし、この先一体何年、何十年、何百年経てば、3.11以前の状態に戻るかもわかりません。それほど「激烈な」汚染が産み出されるのです、原発事故とは。首都圏の人々がそれに気付くのが「遅すぎた」「間にあわなかった」のです。
でも、関西で、福井県原発を動かさなければ、まだ福井県の美しい海も山も湖も美味しい若狭湾のお魚も、そして「原発が動かないと地域経済が立ち行かない」という大飯町の人々の家や田畑や故郷は少なくとも汚染から守ることができる、「まだ間にあう」のです。


東京と福島第一原発の距離が約250km。
大阪と大飯原発の距離は約130km、京都とは70km。



この距離と、一年の半分は日本海から福井県を経て滋賀県京都府大阪府兵庫県、伊吹おろしで愛知県、三重県にまで吹く風のことを考えると、どれだけ再稼働に慎重になってもなりすぎることはないと思われるのに、免震棟もベントの装置も防潮堤のかさ上げも、原子力発電所内の断層の検証もないままの再稼働、って何なのでしょうか?


で、「命との関わり」とおっしゃるのなら。
細野豪志大臣は、滋賀県出身。高校は滋賀県立彦根東高等学校、大学は京大。琵琶湖のほとりと京都で育った彼は、何故に、歴史と文化とが詰まったこの地域を危険に晒すような決定を、「命との関わり」などと言って、しゃあしゃあと語るのでしょうか?
自分が育ったかけがえのない環境を無責任に危険に晒すことまでする、そこまで悪魔に魂を売って、何を政治で実現したいのかわかりません(彼の選挙区は静岡ですしね)。
もし「想定外」の地震や事故やテロによって、京都の北70kmにある福井県原発から放射能が漏れて、日本海から吹く風に乗って、
北山杉の森に、宇治の茶畑に、桂の竹林に、
金閣寺に、龍安寺に、南禅寺に、京都御所に、桂離宮
降り注いだとしたらどうなるか、
琵琶湖に直接放射性物質が降り注ぐだけでなく、注ぎ込む河川から、降り注ぐ落ち葉からも汚染が進み、そして琵琶湖の水は「関西圏の水瓶」と言われている通りなのですが、それが永遠ともいえる時間、即ち未来永劫汚染されたままになる、
という想像力がないのでしょうか?
江戸幕府ができてたかだか400年、それ以前は葦とススキの生い茂る湿地帯だったという今のメガロポリス東京ですが、既にホットスポットが各地に出現し、子供を抱えた母親は線量計を片手に不安な子育てをしており、未だに地震が起こる度にガタガタの建屋の福島4号機の使用済み燃料プールが大丈夫なのか心配しつつ生活をしています。これと同じことを関西でも繰り返したいのでしょうか?「平安遷都から1200年の都」である京都が、放射能で汚染されてしまうとしたら、文化の全てが失われる、ということが想像できないのでしょうか?
東京と北京を混同し、東京が中国にあると思っている欧米人は少なからずいても(位置を聞くと大概わかっていない)、京都が日本にあることは世界の常識で、京都=日本、であるのです、遠い国から日本を見たら。京都が原発事故による放射能に汚染されてしまったら、今度こそ外国人観光客は京都=日本になぞ来なくなるでしょうし、秋入学にしようが留学生も来なくなり、外国企業も日本に投資をするでしょうか?これは明らかに「国益」にかなうことではありません。ここを守らなくてどうするのか?平城京や難波教や平安京福原京を闊歩していた、いにしえの日本人の末裔であるかもしれない今日の関西人に、「関西人の根性出して節電して、原発のない2年目の夏を!」をリーダーシップをとってハッパをかけることこそが、滋賀県出身京大卒の政治家がやるべきことではないでしょうか。


いえ、これは京都だけ、関西だけの問題ではないと思います。
例えば、伊方原発で事故が起こったら、瀬戸内海の西側全てと、九州側では宮崎と大分、四国側だと愛媛と高知、その地のみかん畑や田園風景、瀬戸内海の海の幸、そしてパール・バックが絶賛した瀬戸内の島々の風景とそこで暮らす人々の暮らし、全てが元に戻らない汚染を蒙ることになるのですし、同じ事が玄海原発泊原発や島根原発にも起こりうるのですから。
大飯原発再稼働の決定がなされた途端、今までは口を噤んで風向きを伺っていたかのように、伊方原発を初めとして各地の原発立地自治体の首長が、次々と再稼働に向けての発言をし始めたのには、呆れるしかありません。


今でもネットに過去にスクープされた有名な写真が転がっている細野大臣ですが、私はプライベートなことは政治家としてどうでもよい、というか、政治家として仕事をしてくれれば、懲りない浮気性であろうが、火宅の人であろうが、独身主義者であろうが、構わないと思うのです、ていうか、それを判断するのは有権者ですからね。
ですから、私は政治家に愛人がいようが隠し子がいようが何の関心もありませんが、、原発事故後の放射能を恐れて選挙区である被災地岩手が一番大変な時期に故郷には足を向けなかったにも関わらず、どのお口で「国民の生活が第一」というのか、相も変わらず3年前衆院選でボロ勝ちした時の「国民の生活が第一」というボロボロになった歌をまだ歌って、また懲りずに政争で政治をかき回そうとしているあの人、まさに2010年の民主党代表選では 、大学の先輩である前原氏ではなく細野大臣が一票を投じたあの人に、「あなたの政治家としての残りの使命は、古い歌を虚しく歌う政争ではなく、東北の復興と、真に国民が安心して暮らせる国作りですよ。」と引導を渡すことこそが、細野豪志原発担当大臣の責務ではないかと思う、今日この頃。