「3.11」後、子どもの学校どうしますか? ①


3月11日金曜日14時46分、あなたのお子さんはどこにいましたか?



振り返れば、阪神大震災(1月17日火曜日午前5時46分)は、成人の日を含む三連休の翌日でしかも未明。殆どの家族は一緒に自宅でこの地震に遭いました。自宅で眠っている時間だからこそ、自宅が倒壊して一瞬のうちにその下敷きになって命を落とした方々も多数いましたが、とにかく家族は一緒にいたのです。



ところが今回の東日本大震災は、平日の午後に起こりました。会社や商店は勿論営業時間内で、勤め人は皆自宅ではなくオフィスにいた時間でした。幼稚園はかろうじて保育が終わっている時間?小学生では、1、2年生は下校していたかもしれませんが、中学生以上だと間違いなく学校にいる時間でした。
被災地で、親御さんが子どもを、まだ中学生くらいの男の子が両親を探し、安否情報を求めている姿を見ると、本当に胸がつぶれる思いです。行方不明者がまだ一万人を超える現時点で、肉親と再会できていない被災者の方々が沢山いらっしゃるのだと思います。
4月17日(日)の朝日新聞には見開きで、
右のページには
地震後小学校に留まって集団で高台に避難して助かった子どもと、引き取りに来た保護者と共に下校して津波に教われた子どもがいる小学校の話」、
左のページには
「学校から集団で避難していた子どもたちの列を津波が襲い、そこの小学校では助かった子の殆どは親が学校まで迎えに来て引き取られ車で高台に逃れた子どもたちだったという話」
とが載っていて、運命を分けたものが何だったのかもわからないやりきれなさがこみ上げてきます。

さて。
首都圏の住人にとっても、今回の地震は今までに経験したことがない長い長い横揺れが続いて怖い思いをしたのですが、今落ち着いて振り返ってみると、あれだけ揺れたのに(東京都の23区で震度5)、実際の被害という点では僥倖といえるほど幸運だったのではないでしょうか。
一つは、都心で津波や河川の決壊がなかったこと。建物の大規模な倒壊もなかったこと。そして電車は止まりましたが、23区内は概ね停電せずに夜を迎えられたこと。
千葉でLPGタンクが火災を起こしましたが、今考えると、無数と言っていいほど京浜・京葉工業地帯にあるタンクやコンビナートの殆どが無事であったことが幸運でした。
しかし、これは震源地から400kmも離れていたからであって、「1000年に一度の地震を無事にやり過ごした」とゆめゆめ勘違いしてはいけないと思います。
首都圏に住む私たちが警戒すべき地震、東京直下型地震東海大地震はまだ来ていないのです。


前述したように、今回三陸の海岸の町では、地震発生後僅か数十分の間に保護者が小学校に子どもを引き取りに駆けつけていることを、首都圏に住む私たちはもう一度考えてみなければならないと思います。


原発が安全だと信じさせられてきた/信じてきたことが、今となっては狂気としか思えなくなっているのですが(とはいえ、「全面的に反対」という立場には現時点では立てない私です)、その同一直前上に首都圏(近畿圏でもそうかもしれません)では、大災害の危険性を「想定しない」生活、特に子どもの教育についてですが、が行き着くところまで行ってしまってはいなかったでしょうか?

小学生が満員電車に乗って難しい乗り換えもこなして通学時間が一時間もかかる「私立」の小学校に通うことは、首都圏では珍しくありません。私立の小学校に行かずとも、今度は「中学校受験」のために公立小学校の低学年から電車に乗って塾通いが始まります。私立中学校も大抵の場合、徒歩で通える地元の中学校とは違って電車通学です。丁度この季節、ぶかぶかの制服に身を包んだ、ついこの間までは小学生だった中学一年生が、新しい鞄を持って電車に乗って通学している姿が見られます。去年までは微笑ましく見ていたものですが、今年の春は「この子たち、通学途中に大地震が起こったらどうするのかしら?」と考えてしまいます。

斯く言う我が家も、今から何年前になるのか、息子は中高一貫の私立中学に通うために神奈川県の逗子から横須賀線に乗り大船駅根岸線に乗り換え横浜市内の学校に通っていました。ご存知の方は目に浮かぶでしょうが、この根岸線はいわゆる「京浜工業地帯」を通ります。根岸駅付近にはJX日鉱日石エネルギー株式会社根岸製油所の無数のタンク群がすぐ目の前に見えます。

学校見学やらの時に電車の窓からそれを見てぼんやりと「もしここを通って通学している時に地震とかがあったら危ないかも?」と思っても、そこで思考停止だった私です。
また息子と娘が受験するかもしれない学校(小・中・高、私立国立)の説明会にせっせと通っていた頃、実は一応いつも私は質問していました。他のご父兄は「入学後の部活と勉強の両立について」とか「大学受験へ向けての学校の体制」とか「英語授業の外人の先生の割合は?」といったアカデミックな(?)質問をなさる中、私は必ず
「もし大地震が起こった場合の、学校の対応についてお聞かせ頂けますか?」
という非アカデミックな(?)質問を説明会に行った学校の全てでしていました(「ああ、そういう人がいたかも。」と思われた方がいるかもしれませんが、それは多分私です)。今思い返してみると、それが志望の決め手となった訳ではなかったと思いますが、結局息子が志望し通うことになる中学校は、当時の教頭先生が「交通機関の安全が確認されるまでは生徒全員学校に責任を以て留め置きます。その場合の非常食・水は備蓄してあります。」と即答でしたし(けれども、石油タンクの中を走る電車で通ったのですから!?)、娘を受験させようと思っていて結局は本人の希望でしなかった*1某私立女子小学校はやはり「生徒全員が学校に留まることができるように、乾パン等の非常食と毛布は用意してあります。年に一回乾パンは自宅に持ち帰り食べてもらって新しいものに替えています。」とこれも即答でした。大概の学校は、「非常時に備えた対策はとっております。」といった具体策に欠ける通りいっぺんの回答(最近よく見る◯京電力や原子力◯◯院の会見のように)だったのですが。けれども、質問をしてお答を頂いて、またしてもそこで思考停止になっていた私です。それ以上に想像力は働かなかったのでした。私は何もわかっていなかった、ということです。ドイツから帰ってきて高校受験をした娘は、志望校が二つとも都内にある高校で、通学時間が有に1時間以上かかる学校だったのですから、危機管理というか大地震など微塵も想定していなかったと言うしかありません。今思い出したのですが、結局もう一つの合格校に行くことにしてご辞退した港区にある私立女子高の入学手続きの書類に「大地震が起こって交通機関が全て止まった場合に、徒歩で帰宅する道順を地図に描いてください。」というのがありました!流石「独立自尊」を説く学校だけあって、大地震の後各々の生徒が歩いて帰る場合を想定したのでしょうか?とにかく小さなスペースに港区から鎌倉までの地図を押し込めなくてはならず苦労したので覚えています。Google Mapさまのお世話になってやっとこさで描きましたが、確かGoogleさまによると歩いて帰るのにかかる時間が9時間超で、「現実的ではない、実際は歩いて帰るなんて無理!」と思いました。なのに、なのに、またしてもそれ以上は思考停止していた私です。


今年小学校中学校高等学校の説明会に行く予定にしていらっしゃる受験生の保護者の方は、是非以下の質問をなさるべきです。
・3月11日の地震の時、貴校の生徒はどういう状態だったのか?
・学校の建物に被害はなかったのか?耐震構造になっているのか?
・帰宅途中の生徒は全員無事に帰宅できたのか?翌朝電車が動くまで帰宅できなかった生徒はどれくらいいたのか?


被災地の大惨事に比べたら、「首都圏で電車通学している小学生・中学生・高校生が地震当日帰宅できなかった」ということなど、取るに足りないことですから報道はされないのでしょうが、「3.11」の日、「どうやって子どもが帰宅したか」(首都圏)について、私のごくごく身近で聞いた話だけでも以下のようなことがありました。

・期末テストが終わった日で塾に行く途中に地震に遭い、新宿から三鷹まで4時間以上かかって歩いて帰った。その間携帯は一切通じず、帰宅するまで家族とお互いの安否確認できず。(男子高校生)
・やはり期末テスト最終日でいつもより早く学校を出て途中駅の溝口で地震に遭いそこで足止め。母親からの携帯電話、メールは通じなかったものの母親のPCからのメールは受信返信できたため、母親がリュックを背負って夜道たまプラーザ駅から溝口まで徒歩にて救出に向かい無事娘を確保。溝口駅には大人の帰宅難民に混ざって沢山の女子中学生、女子高生が地べたに座り込んでいたとのこと。(女子中学生)
・普段は電車通学の国立大の附属小学校に通っている娘を車で迎えに行ったものの、普段片道40分かからないところが、往復5時間かかってしまったとのこと。(女子小学生)
地震と同時に停電になったところでは(23区外)、電車の踏切の警報機が降りたままで、私立の小学校中学校に通う娘たちを車で迎えに行こうと母親が地震直後に車で家を出たものの、下りたままの踏切がデッドエンドになっているのと信号機が全て停電していて大混乱大渋滞で引き返す。数時間経って学校から連絡網で「学校に残っている生徒は学校に留め置くので、深夜でもいいのでお迎えお願いします。」と連絡があったが、都心で働く夫も帰宅していない真っ暗な自宅でまんじりともしないで一晩を過ごし結局迎えに行けたのは翌朝。何故かドコモの携帯が通じて学校にいる娘たちとは連絡が常時とれたらしい(女子小学生・中学生)

というような感じですが、これはたまたまラッキーな例ばかりだと思います。夫は夜半になって運行を再開した地下鉄と私鉄とを乗り継いで深夜帰宅しましたが、JRの駅には(JR・東武京急は翌朝まで運行を再開しなかった)沢山の女子高生や中学生と思われる女の子たちが、新聞を階段や通路に敷いて座っていて、「きっとJRしか帰宅手段がなくて、明日の朝まで駅で待つつもりなのかな。」とは夫の言。
本当に、通学途中の小中高校生が概ね無事に帰宅できたこと、JRの駅で翌朝まで過ごした女の子たちも無事に翌朝電車に乗って帰宅したこと、は本当に良かったです。

でも。
これは幸運が重なっただけのことで、これで安心してはいけないのではないでしょうか?

震源地がもう少し首都圏寄りにずれていたとしたら、どうなっていたでしょうか?

首都圏で電車が脱線・転覆するくらいの震度で揺れていたかもしれません。
→そうだったならば高校生や中学生だけでなく、遠距離通学の私立小学校に通う小学生も巻き込まれていた時間帯です。携帯電話を持たせていても何の役にも立たないということは経験済みでしょうけど。どうやってどこに帰ってこない自分の子どもを探しに行きますか?


23区内も地震と同時に停電になっていたかもしれません。
→そうだったならば、駅で地べたに座っていた女子中学生、女子高生も、真っ暗闇の中一晩を明かすことになったでしょう。真っ暗闇であったにせよ、日本の治安は守られていたでしょうか?娘を持つ親の身としては、考えるだけでぞっとしてしまいます。


とにかく、首都圏に住む親が考えなくてはならないのは(親でなくても)、
恐れるべき地震は実はまだ来てない、これから来る
ということです、首都圏直下型と東海大地震は。
それを念頭において、子どもの教育を考えなくてはならないのです、きっと今までもそうだったのだと思いますが、◯京電力や原子力◯◯院やかつての私のように脳天気に思考停止していて「幸運」に助けられていたのではありますが。


今までの価値観、人生観を改めるべき時かもしれません。
よく考えてみれば、世界の大都会の中、例えばニューヨーク、ロンドン、パリにおいて、小学生が一人で電車に乗って自宅から何十分もかかる学校に通っている都市など世界中探しても東京以外にはない訳で、中学生や高校生ですらないと思います。それは多分にそれらの都市が「治安が悪い」ことも理由の一つだとは思いますが、小学校低学年の子どもが一人で電車に乗って通学できるほど日本の「治安が良い」ことが逆に災いし、プラス、教育行政のマズさ故に公立離れがあり、年々お受験熱には拍車がかかっていますが、「小学生が一人で自宅から一時間近く離れた学校に通う」って実は異常なことなのではないでしょうか?とするならば、小学生の電車での塾通いもそうですし、女子中学生や女子高生が、親が簡単には迎えに行けない学校に通うというのも、例えば地震後何日も停電が続いてさすがの「日本の治安」も崩壊する危険性を考えれば、今となっては危ないとしか言いようがありません。


以上のようなことを鑑みて、具体的にどう考えたらよいのか、私なりに考えてみたことは次のエントリーで。