「センター試験」雑感 大学入試は今のままでいいのでしょうか?


夫が未だに共通一次と言い間違えて子供たちの失笑をかうセンター試験が今年も終わりました。
今年我が家は3年ぶりにセンター受験生を抱えていましたので、天候や気温、交通状況などが気になる前後数日間を過ごしましたが、終わった途端に次に気になるのは、
足切り」の点数&センター利用私大のボーダー点数。
これを解読するのは、センター試験に関する知識が少々必要となります。この「センター試験に関する知識」というか「センター試験のシステム」の理解についてですが・・・。

全く今の受験制度を理解していない私の両親の世代、
自分自身は「共通一次試験」世代だけれど今現在子供がいなくて受験とは無縁の生活を送っている友人夫婦、
共通一次」も「センター試験」も関係なく小学校から大学まで私立育ちの友人、
とかに、今行われているセンター試験を含む日本の大学入試システムを聞かれた時やはたまた、
ドイツ滞在中にドイツ人に「日本にはAbitur(アビトゥア=ドイツの大学入学資格試験)のようなものはないのか?」と聞かれた時に、説明するのが至難の業なのですね。
この理念なきシステムのどこから話してよいのか途方に暮れてしまうのですけれど、本当にこのシステムを何とかしなければ、日本も終わりだと思う、今日この頃。

そもそも、共通一次試験が導入された時に日本の大学入試システムは悪い方に転がり始めたと言えると思います。一体、お役人が「頭」で考えて改革を実施した教育システムで上手くいったものがあったのでしょうか?この共通一次も然りですが、東京都の高校入試の学校群も、神奈川県のアチーブメントテスト方式の高校入試も、「兵庫方式」の高校入試も、そして記憶に新しい「ゆとり教育」も、どれも「改革以前」の方が余程マシ!という、多額の税金を使って子供や父兄や学校関係者を振り回して最悪の結果になる、ということでは共通していると思われます。

では「鉄器以前」どころか「有史以前」というほどの響きがある、共通一次以前」の大学入試の世界について振り返ってみましょうか。
昔昔その昔、日本では各大学がそれぞれ入試を行っておりました。国立大学は「一期校」「二期校」に分かれて入試を行っていましたが、これは今の「前期・後期」とは違って、一つの大学が「前期と後期」両方の日程で入試を行うことはできなくて、「一期校」「二期校」と二つのグループに属す、という形でした。
いわゆる旧帝大(←この言葉も最早死語で今の高校生にはわからないでしょうね?ウチの娘もわかりませんでした。旧帝大出身のおじいちゃんたち涙目)は「一期校」に属していましたが、一期校グループの下の方と、二期校の上の方とでは、どちらが「偏差値」高いのか、曖昧なところが残されていた点こそが共通一次試験のシステムよりは優れていたのですが、文部省(←まだ文科省ではなかった)のお役人にはそれが理解できず、「難問奇問追放」「受験生の負担軽減」という、結果的には全く真逆になったことをスローガンに掲げて、共通一次試験は始まったのでした。
「曖昧なところ」というのは、例えば首都圏では当時東大受験生にとっては今のように『滑り止めは早慶」だけではなく、二期校で埼玉大学文理学部やら横浜国大の理工学部を受験するという選択肢があり、その結果両学部とも例年高倍率高レベルでしたから、そこの卒業生はそれこそ就活(という言葉もなかった)市場では高く評価されていました。二期校である埼玉大や横浜国大と、一期校である千葉大学を同時に比較できない、ましてや早慶と国立も比較できない上手くできたシステムだったのです、実は。
また東京外大や、東京医科歯科大も二期校でしたから、「一期校・二期校」の間に格差というものは案外なくて、それぞれの大学、学生がプライドを持つ事ができたと思います。特に国立医学部を目指す受験生にとっては、「一期校・二期校」両方ともがっつり授業料が安い国立を受験できた、とても良いシステムでした。今は殆どの国立大学医学部は前期日程で殆ど定員を埋めてしまい、後期の募集人数は国立大学医学部全体で前期の5分の1にも満たないようです。勿論、後期は元々募集人数が少ないので同じ大学でも偏差値が跳ね上がります。今医学部を目指してはいるけれども、私立は経済的に無理でどうしても国立大学の医学部でなくては、という首都圏に住む高校生に「昔は、理三や千葉大医学部を受験して駄目だったら、東京医科歯科を受験できた」というと「ありえない、ズルすぎる」と言われましたけど。

「鉄器以前」「有史以前」の人間である夫に聞いた話ですが、夫は一応進学校に行っていたのですが、

「昔は、どこの高校にも名物の『進路指導担当』という職人のような教師がいて、過去10年分とか15年分の卒業生の在学中の成績と進学先がびっしり書き込まれているノートを持っててさ、勿論パソコンなんてないからね、手書きだよ全て。で、進路の面談とかでその先生のところに行くと、『君の校内成績だと、去年君と同じくらいの成績の人が◯◯大学に合格したけれど、去年は出来のいい学年だったからね。今年はもう少し努力しないと危ないよ。』と、校内成績のみを根拠としたアナログの進路指導を受けたもんだよ。でも考えてみると、それで何の問題もなかったんだよな。所詮試験って受けてみなければわからないんだから。」
という世界だったのですよ。そして夫の言う通り、それで何の問題もなかったのでしょう。

翻って今のセンター試験はどうでしょうか?
センター試験が15日、16日と行われて昨日19日には既に駿台・ベネッセ連合、河合塾代ゼミ、といった「三大センター自己採点判定」システムが、各大学の合格ライン、足切りライン予想をネットで公開しました。他にも、東進、早稲田塾 も、ネットでセンター試験の点数を打ち込めば瞬時に判定してくれるという、2011年の大学入試風景なのですが。
高校の先生方が進路指導で参考にするのは、自前の資料ではなく予備校が作成した資料です。予備校の資料を使わずに自前の資料だけで自信を以て進路指導できる先生は今やとっくに絶滅したと思われます。例え開成や灘の先生でさえももう予備校の資料なしでは無理でしょう。



大学入試における大手予備校の存在感と言ったら、正規の学校教育に入り込んでいるという点で、中学入試の塾以上です。
どうしてこうなった?!
いつからこうなった?!

それは、共通一次試験を導入したその時から!
なのですね。
まさに、
当時の責任者、出てこい!
と言いたいです。

それも予備校の資料・情報が過大評価されていると、私は強く思うのです。そして予備校の力を借りなくても、出願に際しての資料は作れたはず、作れるはずだとも思います。
予備校が華々しく宣伝するので、全く知らない人もいると思いますが、同じく昨日19日に、大学入試センターが、平均点(中間集計)を出しています→http://www.dnc.ac.jp/
勿論過去数年間の平均点の推移もこのサイトで見られます。
もし各大学が(国立大学も、センター利用入試を行っている私立大学も)、入試得点の詳細な開示を行っていれば、何も予備校の資料に頼る必要は全くないのではないでしょうか?
例えば東京大学は入試結果の開示度がかなり高くて、過去3年間の科類別センター最高点と最低点を出しています。10点刻みくらいの分布がれば更によいのですが、大学入試センターが出している平均点に加えてこれだけでも十分に出願を決められるのではないでしょうか?
早稲田大学や慶応大学には、一層の情報開示が望まれるところです。早稲田大学政経学部と慶応大学法学部はそれぞれセンター利用入試を実施していますが、合格者のセンター得点の最高点・最低点・平均点の公表はしていません。私立大学はえてして定員より多く合格者を出しますから、そこも含めて点数を公表して貰わないと、受験生を徒に惑わすだけなのですけどね。こういう閉鎖的な大学の態度が、受験生をして予備校の情報に走らせてしまうのです。他に参考にするものがありませんから。私立大学も、安くはない受験料をとるわけですから、情報開示をして受験生に責任を果たしてほしいものです。
私立大学を説得して公開させるだけの力が文科省になかったせいなのか(じゃ、税金注ぎ込んで統一試験のシステム作ったのが無駄)、センター試験の点数による序列化の中に組み込まれるのを私立大学が嫌ったのか(じゃ、私学への補助金は返上してほしいところ)、とにかく不便と負担を被るのは受験生です。
更に何を考えているのか、慶応大学は来年からセンター利用では学生を入学させないことにしたようです。

なお、平成24(2012)年度一般入学試験では、大学入試センター試験利用方式による募集を停止します。そのため大学入試センター試験を利用して出願が可能な学部はなくなります。
慶応大学一般入学試験に関するQ&A:慶応義塾大学学部入学案内

本当に何のための「共通一次改めセンター試験」なのでしょうか?
「センター用」の勉強と、「国立二次用」の勉強と、「私立用」の勉強と、受験生の負担は増すばかりです。

共通一次が「バカロレアを目指して作られた」というのは、共通一次バカロレアも全く知らない人の言でしょうし、「SATをまねて作られた」というのは「全国共通のマークシート試験」という点では一見似ているようですが、実態は似て非なるものだと思います。
(私が何故SATについて自信満々風に語っているかというと、子供たちがドイツのインターナショナルスクールに通っていた時に、そこの高校の教育システムは「IB=インターナショナル・バカロレア」だったのですが、息子が「アメリカの大学に行きたい」という発作を起こしたことがあり、また日本に帰国しての帰国子女入試のために、私も毎日数時間もPCに張り付いてSATについて調べ、参考書をアメリカのアマゾンから何冊も買い、OnlineでSATやTOEFLのエッセイを添削してくれるアメリカのサイトを幾つもはしごした経験があるから、こんなにも偉そうに語っているのです・・・SATについてはいずれ詳しく書くつもりですが。)
いずれにせよ、今の日本におけるセンター試験は、

・受験生の負担を軽減していないどころか増やしている
・結局二次試験では各大学がそれぞれに入試を行っているわけで、各大学にとっても負担は減っていない
・予備校の存在感だけを無駄に増長させている
・「センター対策」という名目で、高校生の塾通いを加速させている

ことは間違いないのです。
センター試験」を管轄する「大学入試センター」は、多分(と控えめに言っておきますが)多額の税金を使って東大駒場キャンパスのお隣にありまして、どうやらそこのセンター長とは、国立大学の総長/学長を勤めた人の「上がり」のポストのようですね。今のセンター長は、医学部出身で東北大学の総長だった方、その前は新潟大学の元学長の方です、その前も前も。はっきり申し上げて、それぞれの研究分野では業績をお持ちの方かもしれませんが、或る意味「大学」から一歩も出ずにその中で研究生活を送った方に、日本のリアルタイムの教育の現状などわかるはずもないと思います。今や小学校低学年どころか、幼稚園からの塾通い(参考 以前のエントリー 塾や予備校が日本を駄目にしている、と思うこと)で、日本の教育は塾や予備校に牛耳られて、否、乗っ取られつつあることを代々のセンター長の方々はわかってはいないでしょう、ていうか彼らこそがそれを助長させているということも。そして日本の親は、「正規の学校教育」と「本来は裏街道のはずの塾や予備校」との両方に教育費を投じなければ今の日本では子供は落ちこぼれになってしまうという悲喜劇も代々のセンター長の方々はまるでわかってはいないでしょう、それこそが日本の教育の悲劇です。


お金をかけて作ってしまったもの(共通一次改めセンター試験)はもう廃止できない
ということは理解できます、私でも。
ですけど、このままこの制度を続けてよいのでしょうか?
先ず「日本の教育をどうするか?」という理念を立てた上で、これ(センター試験)を改良して、より良い教育に変えていくことを考えなくてはならない時期にきていると、今年で子供の受験が終わる私でも思ってしまう訳です。
21世紀後半の世界を生きていく子供たちの教育、という一番大事な問題なのですけどね。