ドイツで見た2006ワールドカップドイツ大会の思ひ出 ②


昨日と言おうか今日の真夜中にあったサッカーワールドカップ南アフリカ大会ベスト4をかけた戦いで、試合前の予想を裏切ってドイツが4-0でアルゼンチンに圧勝した。
ちょっとした隙をついて完膚なきまでに無邪気に敵を叩きのめす、
というのがドイツ人らしいというか、何も4点もとらなくてもいいのに少しは空気(「マラドーナとメッシに勝たせてやりたい♡!」とか)読めば!、とサッカー音痴の私などは思ったのだけれども。

現地で応援しているメルケル首相が、点が入ると椅子から立ち上がるだけでなく、ロイヤルボックス内を歩き回って喜んでいる姿が見られた。ドイツから南アフリカまでは飛行機で10時間くらいかかるはず。首相が遠路駆けつけ、これまた無邪気ともいえる姿で応援すれば、選手たちもサポーターも意気が上がらないはずはない。仮に日本がパラグアイに勝って次の戦いに進んでいても、菅総理は駆けつけはしなかっただろうけど。


さて話は2006ワールドカップドイツ大会に戻って*1
当時ドイツに住んでいてびっくりしたのは、ドイツ人の応援がそのように無邪気にしておおらかなこと。
何せ日本では2002年日韓共催の時、自国でやっているのだからそれくらい当然なのに、若者の頬に日の丸のペインティングをしたり「ニッポン!」と連呼したり日の丸を肩から被ったりといった「愛国心を表す行動」にさえ文句をつける人々がいたのを見てきた身とすれば(覚えてますか?皆さん!)、ドイツ人の応援の仕方は何とも新鮮でしたね。だってドイツは日本と同じく、第二次世界大戦の「負け組」で、更に戦争に負けただけでなく「ナチ」という絶対的に否定される負の遺産を抱えた国ということになっているにもかかわらず、「愛国心」の表し方といったら、ハンパではありませんでしたから。きっと今回も同じ調子で盛り上がっていることは確実です。

同じく「第二次世界大戦の負け組」でありながらドイツが日本と違うところは、ワールドカップの期間中、街のいたるところに国旗が溢れていたこと。


街なかの住居は一軒家ではなく、殆どがWohnung(ヴォーヌング)というアパートというかマンションのような建物なのだけど、Wohnungのそこかしこの窓からドイツ国旗が垂れ下がっているのである。
この時期、ドイツは一番良い季節で(注:彼らにとって「一番良い季節」というのは、暑くて雨が降らない季節のこと)、降水の心配もないからか、日本の鯉のぼりのように夜に引っ込められることもなく、ずっとワールドカップの期間中、否、期間が終わっても余韻を楽しむかのようにドイツ国旗が建物を飾っていた。


(ドイツではベランダにお布団干しませんからね。)
(ちなみに↓は日本です、勿論)


また、このアダプター↓を思いついて商品化して売った会社は大儲けしたと思うが、車に小さなドイツ国旗を付けた車がこれまたワールドカップ期間中及びその後も至る所を走っているのだった。

最初、車に国旗を付けた車を見て「ふ〜ん、あんな風に国旗を車に付けたいドイツ人もいるのね。」と思ってから短い間に、みるみるその数はハーメルンの笛吹き男に導かれるネズミのように増えていった。きっと国旗を付けた車を見て自分もやりたくなった人が店に買いに走って自分の車にも付け、そしてそれを見た人がまたやりたくなって・・・、というループだったのだと思う。

(↑こんな車を目撃して・・・)

(皆がやっていると自分もやりたくなり)

(↑ここまでやってしまう人もいる!)


それからドイツチームのユニフォームを着ている子供、大人の数もどんどんねずみ算のように倍々ゲームで増えていった感があった。

ドイツ人やフランス人のリベラルな人たちにとって、「ユニフォーム」というと「軍服」を想像させるそうで元々は人気がないそうな。だから以前にも書いたけれども*2ドイツの学校で「制服」があるところは今限りなくゼロに近い程見られない(日本のJKたちがわざわざ「なんちゃって制服」着る心理なんて絶対に理解できないだろう)。習っていたドイツ語の先生が言うには、「ドイツ人も『多くの人々が揃って同じ服(ユニフォーム)を着る』というのは第二次世界大戦後ずっと抵抗がありタブーであった(ナチス時代を彷彿とさせるから?)けど、こんなにも老若男女がユニフォームを着て会場で応援するのは、戦後初めてである。少なくとも私(推定30代半ば)は初めてみる光景だ。」とのことだった。
そう言われれば、ドイツ人ってユニフォームが似合いすぎるかも。ドイツ人ガタイはいいし、ドイツ人「着崩し」たりするお洒落心がないから逆に型にはまったユニフォームがぴしっと決まるし。そして彼らが集団になるとそれはかなりの迫力。
しかし。
愛国心」一色になっている異国で「外国人」として暮らすというのは、具体的理由はないのだけれども実は「コワい」、especially in Germany. 自分が異邦人だということが殊更実感させられて、寂しさのと疎外感とそして「キョーフ」。
今思えばワールドカップドイツ大会のあれもドイツ対アルゼンチンの準決勝の日だった。とっくに日本は負けていたし、その日にどこの試合かもよくわかっていなくて、街の中心部の大型電気店にでかけた私と子供たち。目的の物を買って、吹き抜けになっている地階のアイスクリームショップでアイスクリームを食べていた。そこは吹き抜けの下の大きな空間を利用して、パブリックビューイングとは言えないものの、大きな液晶画面のテレビが設置されていて、アイスクリームを食べながらも画面が見られるようになっていた。

土曜日の午後、日本の渋谷や新宿の混雑に比べれば可愛いものだがそれなりに人が多い吹き抜けのラウンジで何も考えずに脳天気にアイスクリームを食べていた私は突然気がついてしまった。
「周りの人たち、ドイツ人じゃない!」
ドイツ語じゃない言語で喋っている。心なしか日焼けした人たちばかり?数人のグループで幾つものテーブルを囲んでいる感じ?何なんだここは!私の視線の先に座っている女性は、日焼けした肌に水色と白のストライプのミニワンピースで足を組んでまだコマーシャルを流している大画面を、眉間に皺を寄せて凝視。
ん?あの水色と白はもしかしてもしかして???

(イメージはこんな感じ↑)
もしかして「今日がドイツとアルゼンチンの試合だったのか!」と今更ながら気がついて、「ああドイツにもアルゼンチン人がいて自宅のテレビの前でなく同郷の者同士、わざわざここに集まって応援することにしたのね。」と勝手に納得。←これは当たっていて、アイスクリームショップの店員が、ドイツ語じゃない言語(推定スペイン語)でラウンジに集う推定30人くらい推定アルゼンチン人たちとカウンター越しに喋っているのである。
↑これには別にキョーフも何も感じなかった私なのだが、アイスクリームを食べ終わって、車はそのビルの駐車場に駐車していたのだが、他に用事もあってそのビルの外に出て、街で一番の繁華街を歩き始めたら・・・。
その道には舗道にカフェが出ていて、そのカフェ毎に大画面のテレビがあるって感じなのだが、普段は三分の一もお客が座っていないのに、その日はカフェの椅子という椅子には人がわんさか座っている!勿論ドイツ対アルゼンチンの試合を家のテレビではなく皆で見るため、である。ユニフォーム姿の人もいっぱい、国旗の三色をあしらった帽子やコスチュームの人もいっぱいで、皆ビール片手に(ドイツ人はいつでもビール!)試合が始まるのを今か今かと待っている。そしてその前を通る東洋人の親子(←これは私たち)。私はそんなに意識過剰の方ではないと思うのだけど、この時の異常な空気!と私達に突き刺さる視線は、すごくすごく不謹慎な言い方なのだけれども、実際その時に私の頭に浮かんだことだから仕方ないけれど、
「黄色い星*3を縫い付けた服を着て歩いている」気分の一万分の一くらい
を味わった、と言いたい。この時受けた気持ちは何と言ったらいいのか、ドイツにいて「よそ者!」視線があんなに突き刺さったことはなかったかもしれない。まあ、「全てのことには相反する二つの面がある」、というのが私の実感であり持論でもあるのだが、「陽気で人がいい」ドイツ人と「いつも剣呑な顔した陰険な」ドイツ人って両方とも真実だし、「東洋人の私にドイツ語で道を尋ねてくるあっぱれドイツ人」も「異質なものを排除するドイツ人」も両方真実、ということ。
この時(2006ワールドカップドイツ大会準決勝)のドイツ対アルゼンチンの試合は、何とPK戦(!)の末ドイツが勝ったのだが、もしドイツが負けていたらあのアルゼンチン人たちは無事に帰れただろうか?と今でも思うことである。そして今日、またしてもドイツ在住のアルゼンチン人たちは、どのように自国を応援していただろうか?とも思ったことである。