夫のドイツ赴任顛末記 ⑥


久しぶりにドイツ滞在記の続きなど。

スーパーのレジのおねえちゃんとの衝撃的一件(夫のドイツ赴任顛末記 ⑤)と、地下鉄駅における「文盲自覚事件」(ドイツで「文盲」を体験する)の後、先ず手始めに、ドイツ語の基礎の基礎を独学することにした。

当時の私のドイツ語力:
 ・「こんにちは」Guten Tag(グーテンターク) はわかるけれども、「こんばんは」になるとわからない。
 ・数字の「1」ein (アイン)はわかるけれども、「2」zwei(ツヴァイ)はわからない(どうでもいいけれど、結婚紹介所の「ツヴァイ」って「2」という意味だって、この時初めて知った!)。
 ・その他知っている単語、Danke(ダンケ)、Arbeit(アルバイト)、???あと何かあったっけ?「バームクーヘン」、って「年輪」って意味だっけ?(←違います!)
というレベル。

帰国子女でもなく海外赴任の経験もない私の強みは、英語もフランス語(大学で専攻)も「文法大好き」であったこと。
・・・というのは取りも直さず、「喋り」の瞬発力が限りなくトロい、ということなのだけど。

さて。
赴任前はご多分に漏れず多忙だった夫は、僅かな時間を見つけて本屋に飛び込み手当たり次第にドイツ語の学習書を数冊買っていた(これは賢明な行動というべきで、一旦ドイツに渡ってしまうとこの手のものを手に入れるのはお金と時間がかかる。)。ドイツ語を勉強しようなどとはこれっぽっちも考えていなかった私は、自分では辞書一冊買っただけだったが、、独習するにあたって、その中からテキトーなものを一冊選ぶことにした。

ゼロから始めるドイツ語―文法中心・新正書法対応 CD付

ゼロから始めるドイツ語―文法中心・新正書法対応 CD付

これを選んだのは、勿論「ゼロから始める」という題名に魅かれたこともあるけれども、その下に「文法中心」と書いてあったことが大きい。やはり一番の武器は「文法知識」、これしかないでしょう。

6月のドイツは、本当に日が長い。日が暮れるのが夜の10時くらい。夕方6時くらいに洗濯物を干して、日暮れの10時には気持ちよく乾いている状態である。夕食後、洗濯物を干した後、仮住まいのキッチンのテーブルで私はこの「ゼロからのドイツ語」に取り組んだ。最後の「接続法」の章を除き、全ての章の問題をやった。全ての単語を辞書で調べた。
この一冊をやったからと言って、すぐにドイツ語が喋れるわけではない。ただ、基本の基本は押さえられたと思う。字も大きく問題数も少なくて、とにかくドイツ語を独学でやろうと思う人にはお勧めの一冊。
そういえば、この本で勉強し始めて、まだ日が浅い或る日のこと、日本から来る旧知の出張者のためにドイツのお土産を買いに行った。地元では有名なお菓子屋さん、Heinemann。バームクーヘンやチョコレートが美味しいらしい。お土産用と自宅用(自分でも食べてみなくちゃ)を抱えてレジに並んでいた。レジは、トラウマとなっているドイツ人のおねーちゃんではなく、浅黒い肌をしたおにーちゃん。彼は、私にこう聞いた。

「むにゃむにゃむにゃ(私がわからないドイツ語)、zusammen?

この「zusammen」という単語は、前述の「ゼロから始めるドイツ語」の20ページに出てくる単語なのだ、英語の「together」である。勉強の甲斐あって即座に私は理解した、「お土産用と自宅用の二つを『一緒に』包装してもいいかどうか、聞いているに違いない。」と。私はドイツ語で答えた、

「Nein!」


それは私が初めてドイツ語で意味をなす会話をなしえた歴史的一瞬であった。
ちなみに、「Nein」(英語のno)は「ゼロから始めるドイツ語」38ページに出てくる、そう、私は「Nein」すら知らなかったのだ!

「Zusammen?」ーーーーー→ 「Nein!」

どんな簡単なことでも「言葉が通じた」というその瞬間が語学を学ぶ醍醐味で、今思い出しても胸が熱くなってくる。さて一方その時期、日本からドイツに来たばかりの子供たちはどういう生活をしていたか?



娘(当時小学校6年生)
イギリス人の先生に英語を習い始めた。先生と一対一なので、先生が殆ど英語がわからない娘どうやって英語を教えているのか、不思議だった。
また一方公文で(デュッセルドルフには公文の教室もある!)ドイツ語をやり始めた。中学受験はしなくなったので、中学の数学をチャート式の問題集*1をやらせようとした。しかし、数学に関しては全くヤル気なし。そりゃそうで、モチベーションがないからして。逆に私と同様、ドイツ語の単語を一つ覚えれば、お菓子の袋に書いてあるドイツ語の中に知っている単語が増える、ということでドイツ語はヤル気満々だった。
親としての心配は、まだ学校が始まっていないので友達がいないということだった。街角や電車の中でドイツ人の女の子たちを見る度に、「ねえ、あの子たち、私と同じ年くらいかなあ?」と私に聞いてくるのが不憫だった。子供にとって「友達」は本当に大事なものだと思う。インターナショナルスクールが始まるのは、8月半ば。まだまだ先のことであった。



息子(当時中学3年生)
娘と同じイギリス人の先生に英語を習う。日本では英語がキライだった癖に、割に嬉々として通っていた(ちなみに先生は中年女性、念のため)。彼にも「時間は腐るほどあるのだから」と言って、公文のドイツ語を勧めたが、断固として「絶対にやりたくない」と拒否された。日本の学校中高一貫私立)にいつ帰ることになるかわからないので、青チャートの数学(中三で既に高校の数1に入っていた)*2だけは、本人細々ではあるけれどもやっていた。ここで経験より、海外駐在の親御さんへ:日本に帰国して、帰国枠で高校受験を考えているのならば絶対に日本の数学から離れてはいけません、出来れば少しずつでも毎日やることが必要です。帰国枠で大学受験をする場合も、理科系に進むならば数学は避けては通れませんから、是非日本の数学のレベルを保つことが必要。インターナショナルスクールの数学は、日本の数学とは別物と考えてください。いくらインターナショナルスクールの数学で良い成績をとっていても(日本人はとかく数学はよくできる)、日本の数学はやっていないと点はとれません。
彼の場合、5月の末に渡独して、6月の終わりから7月にかけて2週間の通いのサマープログラムが、インターナショナルスクールで行われていてそれに参加した。それは、新10年生になるESLの生徒に英語の補修と「Field Trip」と言って、ライン川河畔に遠足、とか、電車に乗ってネアンデルタール博物館(文字通り、ネアンデルタール人発見の地にある)に見学に行く、とかいうプログラムがインターナショナルスクールから有料で提供されていた。仮住まいのある市の南部から、市の北部にあるインターナショナルスクールに通うには、電車を乗り継いで40分以上かかるのだが、ドイツ語が全くできず、英語も覚束ない彼が、一人で通った。というのも、彼は「鉄道オタク」で、鉄道の世界に「言葉は要らない」らしく、路線図も切符の買い方もドイツ語全くわからなくても理解できるようだった(この『テッちゃん』の才能はそれからも折りに触れ発揮された、万歳『テッちゃん』!)。もう一つおまけのエピソード: 彼は日本を出国する直前に、それまで1年半していた歯列矯正のワイアーがとれて、リテーナーという綺麗になった歯並びを保つ器具を、当時一日食事をする時以外は口にはめていなければならなかったのだが、それをライン川河畔への遠足でカヌーに乗った時に、どこかに落としてきたのだ。きっとライン川をぷかぷか浮いて北海まで流されていったに違いない。それを聞いて激怒しない親がいるだろうか?「リテーナーに幾らかかったのかわかってるの!?」とドイツの中心で叫びました、私。仕方ないので、色々と手を尽くして現地のドイツ人歯科医に作ってもらうことにした。それにかかった金額は思い出すと今でも腹が立つので言いたくはないが。ただ、流石ドイツの歯医者のレベルは高いです、駐在になっても歯医者の心配は無用です。


丁度6年前の今頃の季節、日本とは違う日差し、空気、街の匂い、食べ物、人々、etc。日本の学校の一学期半ば、という中途半端な時期にさっさと荷物をまとめてドイツに来た子供たちと私は、それぞれ、英語、ドイツ語、に取り組み始めたのだった。

*1:

*2: