「東大コンプレックス」なんてとっくに超えてる東大卒業生がいるじゃない?

東大コンプレックスーRailsで行こう!を読んで思った、「それはコンプレックスとは言わない」と。


ドイツでは、今から夏にかけて、走っている車にこんなステッカーが貼られていることがある。



これはギムナジウム(ドイツの高校)を卒業して、
「大学入学資格試験」である「Abitur (アビトゥア)」に20××年に見事合格した!やったぜ!
ということを示している。合格した本人の車というよりも家族が嬉しさのあまり、自家用車に貼付けている、という感じ。ちなみにドイツでは大学間の序列や格差がないので、
この「Abitur」に合格したら即ちエリート、というわけである。このステッカーを車に貼ってスーパーやデパートの駐車場に駐車して、DQNからぼこぼこにされた、ということはないようだ。

YahooやGoogleのファウンダーも卒業しているアメリカ西海岸の名門Stanford大学では、いかにも学生の親/おじいちゃん・おばあちゃんが、「子供の/孫の大学を見に来た!」という感じでキャンパス内を嬉しそうに歩いているそうだが、そのパパ/ママ/おじいちゃん/おばあちゃんが着ているのは、こんなTシャツ。

(これはパパ用、胸のところに「DAD」の文字が)

(こっちはママ、「MOM」とあるでしょう?)

(これはおじいちゃん用))

(これはステッカーで、ドイツのように主に車に貼る)
私は、この「Stanford Mom」のステッカーを、ごくごく控えめにこっそり車に貼っていた或る日本人母を知っているけど(さあ、日本の若き教育ママよ、奮起してください!)。「スゴいことなんだから、リアウインドウのど真ん中に貼れば?何なら私の車に貼るけど・・・」と言ったのは私です。

さて、日本で一番有名なアメリアイビーリーグの大学といえば、Harvard大学。ここも負けてはいない。
(↓ペンダントヘッドです)

(これは10KGoldで、$129,99)

(母の日に貰ったら嬉しいかも、こちらはSterling Silverで、$35,99)
勿論Tシャツも、

(↑胸のところに、「DAD」とありますよね)


もし、日本で「東大生の父」ロゴ付きのTシャツを着たり、車に「東大生の母」と書いたステッカーを車に貼ったらどうなるだろう?たちまちフルボッコ
東京大学生協のサイトに行くと

(↑これは色もデザインもダサイ!)

(これはちょっとマシ)

(↑言語道断でしょう、買う人いるの?)
生協でなくて東京大学直属の「コミュニケーションセンター」というところで売っているTシャツは、もっと卑屈。参照→http://shop.utcc.pr.u-tokyo.ac.jp/shopdetail/004000000003/
創立した「1877」年という年号だけ目立って、大学名がわからないデザインなんですけど。


そう言えば、昔知人に聞いた話を思い出した。彼が勤める会社は社員数がかなり多い大企業なのだが、「三田会」とか「稲門会」とか同窓生で集まることがあるのに、「赤門」はない、そして東京大学卒業生は「卒業生同士」という括りでは絶対に飲んだりしないのだそうです、何故やらないの?やれば!そんな不自然なことをしているから、「あれこれ言われる」(by 酒井氏)やら「粘っこい嫉妬に似た感情を感じる」(by 酒井氏)やらするんじゃない?これは、東大「コンプレックス」などではない。こういうのを、東京大学以外のフツーの環境では、「自意識過剰」と言う。

今、東大を卒業して外資系コンサルなどに勤めた後、東大受験よりも更に勉強してHBS(Harvard Business School)にMBA取りに留学する人もぽちぽち増えてますが、他の大学ではなくHarvardを選ぶ理由の一つは、Harvardの華麗なる「Alumni 」(『アラムナイ/アラムニ』と読む、同窓会のこと)にあるのでは?Business Schoolの教育だけでなく、Harvard の同窓生から得られる人脈も魅力の一つだからだと思われるのだけれど、それでは同じく素晴らしい人脈を持つ(何せ、森鴎外夏目漱石三島由紀夫橋本治加藤周一も卒業生なのだから。←思いついた順)
東京大学を卒業したことに何故誇りを抱かないのだろう?
不思議。

長年この国のマスコミが、
東大=エリート(←日本語ではネガティブな意味ですね)=官僚=諸悪の根源、
という刷り込みを国民にしていることは否めませんが、根本的原因は東大生及び東大卒業生一人一人にあると思いますよ。
何故自分の母校を誇りに思わないのですか?勿論日本人特有の謙遜や照れもあるとおもうけど。でも、東大生であること/東大を卒業したこと、はそもそも自分自身が選択したことであり動かしようがない事実なのですから、それを変に屈折してねじ曲げないでフラットに捉えればいいんじゃないでしょうか?「難関と言われる東大入試に合格して入学して卒業した」ことでなく、「今何をしているか」が重要だと、先ず自分自身が思わなければいけないのだと思います。
例えば、ホリエモンこと堀江貴文氏、チームラボの猪子寿之氏、批評家であり最近では小説家として三島由紀夫賞を受賞した東浩紀氏、この三人は「東大卒」ということでバイアスかかって評価されるでしょうか?今年の2月だったと記憶しているのだが、かの「朝まで生テレビ」でこの3人が揃って出演していることがありましたが、きっとそれを見た人は、この3人が東大卒と聞いて極めてポジティブな印象を抱いたと思いますよ。
頭の回転が早いのに、決して上から目線ではなく、しっかりと自分の意見やヴィジョンを持ち他人に追随することはないのに、それでいて柔軟且つ率直な言論。
これって、新しいポジティヴ「東大卒業生」の見本でした。
彼らのような、一種清々しい東大生及び卒業生が増えることは、日本の一般国民にとってはとても喜ばしいことだと思う。そして21世紀の日本のために、彼らの能力を用いて人並み以上に働いてくれれば、更に喜ばしいことなのである。