全てのJKの母に捧ぐ JK(女子高校生)のムスメと心穏やかに暮らす方法

日本の歴史上最強のJKである今時のムスメをお持ちの全国のお母様方、日々のご心労、お察し申し上げます。
ここのところ、JKをムスメに持つお友達とランチをしても、話題は
「JKのムスメに関する愚痴」
ばかり。
花よ蝶よと育ててきた挙げ句に、JKというモンスターになってしまったムスメを前にして、旧世代の母親は戸惑うばかり・・なら良いのですが、腹が立つことばかりです。
ご自宅にJKを飼っていらっしゃらない、もとい、女子高生のムスメをお持ちでない皆様、また自宅にJKはいるが、その飼育は専ら配偶者である奥様に任せていらっしゃる、働き盛りの男性の皆様。
現代において如何にJKと一つ屋根の下で暮らすのがストレスフルであるか、その一端でも理解して頂ければ幸いです。


JKのムスメに関する愚痴で筆頭に挙げられるのは、

・部屋が(ウルトラ)汚い
家から外に出る時には、毛先を自然に巻いたさらさらヘアと、清楚といえば清楚な制服、生足にハイソックス&ローファーという爽やか(?)な組み合わせ、といった、全員が全員、と言っていいほど昔年の宮沢りえ三井のリハウスのCM、

を彷彿させる雰囲気の昨今のJKですが、世間から隔絶された自室のひどさと言ったら!!!私の知っているJKの母で、「あら、ウチの子の部屋はキレイよ。」という母に会ったことはありません。以下母たちの証言:

「私も昔、確かに試験前とかは部屋はキレイじゃなかったけど、あれほどまでではなかった!」
「とにかく足の踏み場もない!言うに憚られる下着やソックス、雑誌や化粧品や、学校のプリントや参考書が床一面に散らばっている!」
「引き出しの一つに飲みかけのペットボトルを20本くらい隠していて、どれもが既に濁った液体と化していた!」
「食べ残しのお菓子にカビが生えていたのを発見!」
「父親や男兄弟は、危険を察知してムスメの部屋には近づかない。」
「見るに見かねて、ムスメ立ち会いのもと部屋の『ガサ入れ』をしたら、人間が住める状態に片付けるまでに4時間かかってゴミ袋9袋出た。」
「殆どゴミ屋敷!それなのに、『大事なものがあるから、ママは勝手に触らないで』と言われる。」
等々、貴重なご意見を承っております。


・携帯中毒である
朝、玄関のドアを出る時は、「行ってきます」もそこそこに携帯をいじりつつ、帰宅した時も「ただいま」も言わずに携帯をいじりつつ。
流石に食事の時間は携帯を禁止しているお宅も多いようですが、それにもめげないJKは食事が終わった途端にすぐ携帯。
昔と違って、交友関係が親に見えませんよね。誰とメールしているかさえ、わかりません。例え尋ねたとして、その答えが真実かどうかは、わかりませんし。「あっ、クラスのメーリスから大事なメールが来たから。」「先輩からのメールだからすぐに返信しなきゃ。」と言われてもそれが真実か、確かめたことありますか?
さっきまで機嫌がよかったのに、急に機嫌が悪くなる。それはどうも今しがた受信したメールのせいらしい。ということはありませんか?不機嫌の訳がわからないうちに、そのとばっちりを受けるのは、主に家族、就中、母親です、「何で私が?」ですよね。
JKが携帯メールを打つ早さは、ギネスブックに文句なく掲載されておかしくない早さで、「ヤバす、定期忘れた、今駅だけど持ってきて!」とか打ってくるくせして、一方、こちらから急いで連絡したい時に限って、
「おかけになった電話は、持主の方が電波の届かない場所にいらっしゃるか、電源が入っていないため、かかりません。」
ですからね。電源切ってる!のです。
そして想定される言い訳:「もう電池が殆どなかったから、電源切ってた。」
で、電話をしても通じないのでメールをしても梨の礫。
想定される言い訳:「ごめん。マナーモードにしていてメールに気がつかなかった。」
と言う訳で、文明の利器「携帯電話」は、JKの場合、一方的に彼女たちの「利器」にはなっているものの、料金を毎月払っている親にとっては全然「利器」になっていないわけで。


他にも数えきれないくらい、「JKの母の悩み」はあるわけですが、以上が二大トピックでしょうか。
このようなJKを飼っているということは、日々ストレスであり、自分たちの青春時代(今と比べるとあたかも封建時代かと錯覚するような不自由な時代!)を振り返っても何だか割が合わない気がして、JKのムスメとの衝突が絶えないあなた!
そうは言っても、お腹を痛めて産んだムスメとの絶えざる闘争は、あなたの望むところでもないでしょうし、どうやったらムスメと上手くやっていけるか、ということを模索していらっしゃることと思います。
そんなあなたに送る、精神安定剤

けれどもその前に、よ〜く考えてみましょう。
時代は逆戻りさせることはできません。親が無条件に権威を持てた時代、そして携帯がない時代にはもう今更戻れないのです。ムスメたちは、この無限大の自由の世界を携帯を友にして生きているのですし、これからも生きていくのでしょう。その中で、母親の最低限の務めとは何でしょうか?痛い思いをしてムスメを産んで、そしてそのムスメが21世紀生きていく時に、母であるあなたががムスメに望むものは何でしょうか?それを自問しなければならない最初の世代が私たちだということです。私たちの親の世代は、何の疑問も軋轢もなく、自分たちの価値観をムスメに押し付けた世代です。こんな苦労はしていなかったとは思いませんか?
まあ、世代間闘争のような愚痴を今更言っても仕方ありません。
ともあれ、日々の心の安寧を保つ方法を、私のささやかな経験を元にお伝え致しましょう。


① 私たちの世代なら覚えているでしょう、山口百恵三浦友和のドラマ「赤い疑惑」。*1その中の百恵ちゃんの父母役である、宇津井健渡辺美佐子の気持ちになってみる、というのが一つの解りやすい処方箋。
このドラマの最終回、ヨットの上三浦友和の腕の中で死を迎えたJK山口百恵なのですが、その原因は事故で浴びた放射線で罹ってしまった白血病だった、というストーリー。自分の病名を知って尚一生懸命に生きるJKのムスメの姿を見て、父母である宇津井健渡辺美佐子は、「ムスメに精一杯青春を味わってほしい」という思いで、JKのムスメ山口百恵の無茶な行動に理解を示すわけなのです。
つまり、ムスメの命が難病などで限りあるものだった場合、親ならば誰しも宇津井健渡辺美佐子の気持ちになるだろうということです。宇津井健渡辺美佐子も、それまでは病気の治療に差し支えるという理由で様々なことをJK百恵ちゃんに規制しているわけですが、懸命に生きる百恵ちゃんの願いをやがては聞いて、無茶な運動(テニス)も旅行(パリ!)も大学生のボーイフレンド三浦友和との外出も理解してやることになるのです。
これはこういうことなのではないでしょうか。普段は何も考えずにただ惰性で今まで通りの価値観を以てJKムスメに接しているわけですが、その価値観が本当に絶対的に正しいのか、朝から晩までJKムスメに腹を立て小言を言い続けるに値するものなのか、自問するきっかけの
赤い疑惑」シュミレーション
というわけです。ムスメが余命いくばくもないとしたら、あなたは今のように、何でもかんでもムスメに文句を言い続けますか?ムスメの行動に自分の価値観で規制をかけますか?
例えば、制服のスカートが短い、学校に行くのにマスカラ塗っている、どうも親に内緒でボーイフレンドと付き合っているらしい・・・etc。はっきり言って個人的にこれらどの案件に関しても、私は苦々しく思っています、その気持ちは消せません。ですが、自分自身の心に聞いてみることもしています、「今の時代に私がJKだったとしたら」と。「お洒落な子は、スカートが短くなければ!」と思えば太い足も顧みずスカートを短くしてみようとするかもしれませんし、可愛く見せたくてマスカラ塗るくらいの好奇心はあるでしょうし、好きな男の子もできるでしょう。それもこれも生き生きと生きているからこその意欲の現れなのだと、自分に置き換えたら理解できませんか?「お洒落になりたい」「『カワイい』と言われたい」「カレシがほしい」というのは、それ自体は前向きな意欲なのですから、それを頭から否定してもそりゃJKに反発されるだけで、あなたの小言は空しくJKの頭上を通り過ぎていくだけです。一度、ムスメの気持ちに寄り添った上で、「短いスカートはカワイいけれど(実際にカワイいと思いませんか?)、世の中には馬鹿なオトコもいて危険も一杯。」「長い睫毛はかわいいけれど、毎日マスカラ塗り続けていると、自前の睫毛は痛むし、結膜炎になるリスクもある。」「男の子と付き合うのはいいけれど、自分と自分の人生を大切にするべき。」と言う事を伝えるべきなのです。っていうか、そういうことは、JKになってからムスメと話し合うのではなく、それまでに地道に母とムスメで積み重ねてきているべきことなんですけどね。
はっきり言って、我がムスメたちの将来が明るいとは思えません。日本の経済も凋落傾向で、いつまで今の繁栄が続くやらと思った場合、例えばムスメのお弁当箱に残されたご飯(きっとお菓子を食べたせいだと思われるのですが「何だかわかんないんだけど、お腹いっぱいだったから〜」という言い訳のもと。)を見るに付け、「この子が将来、『あの時残したご飯を今お腹いっぱい食べたい』と北朝鮮の農民のように思う日が日本に訪れなければいいけど」と思う私。でもそれは大いにあり得る日本の将来のシナリオかもしれないですが。まあ、日本が北朝鮮になろうとも、じり貧でも何とか経済大国に踏みとどまろうとも、「青春はただ一度だけ」ということに変わりはありません。ムスメの安全を守るのが親の第一番の仕事だと思いますが、それ以外のことでは、頭ごなしに叱る前に、「一生でたった一度の青春を生きているムスメ」の気持ちになってみると、あら不思議、見守るような穏やかな気持ちでJKのムスメに接することができる自分に気がつく。・・・じゃないですか?


② 二つ目の処方箋は、今度は逆に自分が「不治の病で余命あと僅か」と想像してみることです。実際、これは「想像」の世界ではなく、私と同年代の知り合いでも癌で亡くなった人もいるし、病でなくても、明日道を歩いていて車に轢かれるかもしれないし、頭上に鉄板が落ちてくるかもしれない世の中です。「JKの年で母親を亡くしてしまうなんてことになったらウチのムスメ、何て不憫な・・・」と涙が出てくること請け合いです。そうして涙の後に、どこからか満ち潮のように暖かく大きな気持ち、母としての使命感が湧いてくることでしょう、「何としても、母として伝えるべきことをムスメに伝えておかなければ、死んでも死にきれない。」と。ムスメと過ごす日々が限られているのならば、伝えるべきことも自ずと優先順位がついてきます。あなたが本当にムスメに伝えたいことは、「部屋をキレイにすること」「携帯に依存しないこと」ではないはず。そう思い至ると、部屋が汚いことなど些細な事と思えてきます。部屋が汚ければ、一緒に片付ければキレイになるのですから。携帯電話でメールばかり打っているのも、友人との繋がり(我々の頃とは、やり方がかなり違うとはいえ)なのだと思えば、仮想上の自分の死後を考えると、友人が多い方がよろしかろう、とも思えてきます。結果、母として本当に伝えたいことは、一言で言うと
「生き方」であり「自分で自分を守る方法」
ではないでしょうか?そしてそれを伝えることこそが、使命=ミッション、だと思えば、あなたの小言にJKムスメが辛辣な口答えをしてきても、広く大きな気持ちで受け止めることができるでしょう、何と言ってもこちらは、限られた時間の中でのミッション遂行中なのですから。そう、小言も含めてムスメに何か伝える、というその行為こそが我々JKの母のミッションであり、「ムスメが全然私の言うことを聞いてくれない。」と嘆いてはいけません。私たちは、JKのムスメを置いて天国へ旅立つその日まで(仮想)、ミッションを遂行するのみ、であり、後はいつの日か、私たちがムスメにうるさくインプットしたことがどこかで芽を出してくれることを祈るのみ、なのです。「いますぐの見返りを期待しない」ということも、精神衛生上必要かと思います。


そして、神様のお慈悲により、
ムスメがJKである期間は通常の場合3年間と期限付き
になっています。この時期を過ぎると、また新たなステージが待っていることは、先輩ママたちの証言でも明らかでありますが、「JK」という特殊で一種の「さなぎ」のような年代とは違い、大人同士として接する段階になるのでしょう。
何はともあれ、ご同輩の心の安寧を願うばかりです、頑張れ、JKのママたち!