【急募】日本語→英語 の優秀自動翻訳!

ブログ「Railsで行こう!」の酒井氏の下の記事について。
英語は人類最後の世界共通語になるだろう-Railsで行こう!

英語でもブログを書いてらっしゃる酒井氏とは違って、私など市井の片隅で暮らす人間にとっては、
「全世界の人に向けて私のブログから情報を発信したい。」などとは微塵も思わないのであって、それ以前にネットの恩恵を享受してこうやって日本中のみならず海外にいる日本人にまで自分が日本語でブログに書いたものを読んで貰える可能性がある、ということさえ大層な幸せに思えて日々感激してしまう。
仕事やお商売で世界を相手にしたい人はまた別である。日本語だけのサイトよりも英語のサイトを作った方がずっとずっと儲かるチャンスがあることだろう。そういう人たちは、「英語は世界共通語」と今更言われるまでもなく、必死で英語の能力を高める努力をし、英語というツールを存分に使いこなしつつある。

しかし一方「日本 ブログ 数」で検索してみると、下から上までバラツキも半端ではないが、マイナー言語にしては、日本語のブログは膨大な数のようである。それは喜ぶべきことではないだろうか?日本語のブログの多さが示すのは、日本語環境にいる人々が、
・自由にブログを更新できるほど平和で(戦火の中でもなく、言論統制下でもなく)、
・PCを持つことが特別ではないほどに豊かで、
・ブログ上に表現するコンテンツを多くの個人それぞれが持ち(即ち、文化レベルが高く)、
・抽象的な議論をすることもでき且つ微妙なニュアンスを表現することもできる日本語という言語を持っている、
ということだと思うから。
私の場合、ネットで気に入ったブログというのは書かれている内容に共感するということもあるが、その文体やスタイルが気に入って毎回訪問することが多い気がする。文は人なりという古くさい言葉通り、ブログの文章から立ち昇ってくるその人の雰囲気を想像してみるのもまた楽しい。誰が何と言おうと、日本語は豊か言語であり、読売巨人軍のように不滅で(この直喩は個人的には不満)、「滑稽」(by 酒井氏)でもなければ「悲しく」(同じくby酒井氏)もない。
ところが、日本人の中で、英語でブログを書いて、書いた英語にその人なりの文体やスタイルを盛り込めるような英語力がある人(カズオ・イシグロのレベル?)がどれくらいいるだろうか?というと私は甚だ疑問なのである。これから日本の英語教育に国家予算を注ぎ込んで(これ自体が既に絵空事である)、母語である日本語と同等に英語で発信する国民を作るにはどれくらいお金がかかるだろうか?と考えても気が遠くなってしまう。
それに加えて酒井氏は、
英語上達の秘訣は発音練習にある-Railsで行こう!
と主張もなさっていたのだけど、はっきり言って、両方(英語を母国語並みの発音で喋れて、英語でブログを書けて、という能力)を日本の中高学校教育で身につけさせることは到底無理だと思われる。
寧ろ実現可能に思える策は、「自動翻訳」である。英語と同じ言語系統に属するヨーロッパ言語を使う人たちは、喋ることはともかく、書いた文章に関しては案外これを利用しているのではないかと思う。ドイツ語を習っていた先生のご主人は、化学のDoktor(ドイツ語)だった。先生もご主人も「外国語」はオランダ語だったそうで、休暇の時にスキーに行くフランスでも、ご主人が学会で行くアメリカでも、それぞれの言葉は決して堪能ではない。と言っても、日本人が「外国語が出来ない」レベルとは、勿論全然違うのだが。その英語が出来ないDoktorのご主人が論文を書いて発表する時にどうするのか、と聞いたことがあるのだが、答えは、
ジャーン!自動翻訳!
なんだそうだ。殆ど「自動翻訳」でOKで、自動翻訳された英語を再チェックするくらいで大丈夫なんだそうだ。翻って、日本語→英語、の自動翻訳はまだまだである。ネット上にも自動翻訳のサイトはいくつもあるけれども、日本語のブログの文章全部突っ込んで、大体言いたいことの意味が通った英語の文章になる、ということには程遠い。この自動翻訳を進化させて、日本語で書かれたどんなブログでも一発英語変換!ができるようになったら、それで問題解決!、だと思う。この「一発変換」というのが大事で、今の殆どの自動翻訳のように、「翻訳しやすい日本語」で書いたりしなくてももいい機能がほしいものだ。ドドドドド素人の私が思うのだが、それは技術的にはそんなに難しいことではないのではないか?少なくとも、日本の英語教育を変えるなんてことよりも遥かに易しいことだと思うのだけど。


英語は、今、仮に(中国語にとって代わられるまでの間、という意味で)「世界共通語」であるのか、デファクトスタンダードとして「世界共通語」であるのか、そんなことはどちらでもいいと思う。
「世界方言」があってこその「世界共通語」であり、「方言」の豊かな言語世界を持っていることは日本と日本人にとってアドバンテージでこそあれ、決してマイナスではない。「世界共通語」の英語しか言語世界がない人たち(アメリカ人やイギリス人など英語『ネイティブ』の人たち)は、寧ろ「滑稽」で「悲しい」ことかもしれない。