日本女性が起こしたブランド意識革命


ブランドバッグについて続いて書いていて(参照:続・お金を使わずにお洒落に見える方法 ブランドバッグの正しい持ち方お茶の宗匠とルイ・ヴィトン)、

そうだ!これだけは言っておかなくては!
ということがありましたので、ここで一文をしたためさせて頂きます。



日本人は自覚していないのですが、実は日本人女性は西洋の常識をひっくり返す意識革命を起こしたのですよ。世界史と倫理と現代社会と政治経済の教科書(何れも高校教科書)に載ってもいいくらいの、世界初の意識革命です。
それは何かと申しますと・・・。また例によって(?)全然関係ないところから話を始めましょう。


気がつくと最近その言説を耳にしなくなりましたが、一昔前には、若い女の子がブランドもののバッグを持っていることを、とやかく言う御仁(オジン、ではない。オバンもいたから!?)がいらっしゃいました。どういう言説だったかというと、

若い女の子は常識を知らん!ヴィトンやグッチやエルメスなどのブランドものは歴史があり、欧米では貴族階級が持つものである。それをOLや女子大生が持つなどとはもってのほか!海外旅行先で高級ブランド店や免税店に群がる姿は見苦しく国辱ものである!」

と、お説教しまくっていたのですよ、信じられますか?
この手の発言をしていた先が読めてなかった評論家の方々でいまだに生息している方も大勢いらっしゃいますけどね。今じゃその方々の高校生や大学生のお孫さんも、ヴィトンのお財布の一つや二つ、持っているんじゃないでしょうか?おじいちゃん、おばあちゃんに貰ったお小遣いで。
いい世の中です。でもこれは自然に獲得されたものではありません。
日本のOLさん、女子大生が勇気ある革命的行為によって、得られたものなのですよ。
日本の若い女性が世界に先駆けて、ある当たり前のことを実践して見せたところから、それは始まりました。それはどういうことかというと、

10万円お金を持っていたら、10万円のブランドバッグを買ってもよい。
貴族でなくても馬術の嗜みがなくても、エルメス買って持ってもよい。
4畳半一間のアパートに住んでいようとも、OLさんだろうが女子大生だろうが水商売だろうが、36回分割払いだろうが、ヴィトン買ってもよい。

ということを。
日本の若い女性見事です!これは資本主義社会の大原則です。10万円持っているのに10万円のヴィトンのバッグが買えないのは、今や地球上で北朝鮮くらいでしょう。
それまで、欧米の人たちはずっと呪縛から抜けられないままでした。

「ヴィトンは貴族の船旅用の鞄で、庶民が持つものではない。」
エルメスも貴族の馬具が元なのだから、庶民には縁がない。」

フランス革命(1789年=ひなんばくはつ、バスティーユ)から200年以上も経っているというのに、固陋な考えにがんじがらめになっていたのです。
そこに現れたのが、ロベスピエールもオスカルも真っ青の、革命の志士である日本人のOLさんと女子大生、ジャーン!
80年代、彼女たちは、資本主義の基本の基本、「10万円持っていたら、10万円の定価のものが買える。」ということを、パリのシャンゼリゼルイ・ヴィトン店で、実践しました。ヴィトンのバッグに群がるお客様である彼女たちに、あろうことか商品を投げてよこした無礼なフランス人店員も当時はいた、ということですが、それから20余年たった今日、そんなお馬鹿な店員は駆逐され、今や日本語ペラペラの店員(ていうか日本人店員)、それにも増して中国語がペラペラな店員で店は埋め尽くされています。免税手続きも慣れたもんで、あっと言う間にやって貰えます。今、シャンゼリゼ店のドアを開けるや否や、「ここは本当にパリなの?」というくらい、アジア人だらけ。そのアジア人のマジョリティーは残念ながら日本人ではありませんけれど。
中国人パワーは凄いです。2008年夏のこと、パリはオスマン通りのデパート、ギャラリー・ラファイエットの1階にあるヴィトンのブティックで実際に見た光景:
店内のお客の殆どが日本語ではない言語で喋るアジア人、なのだけれども、ヴィトンのお店のフロアー中央に「Gucci」の大きな紙袋を両手に幾つもぶら下げたアジア人が◯んこ座りしているのです(男性)。そしてその男性に話しかけながら、幾つものヴィトンのバッグを店員に台の上に並べさせている同じくアジア人推定中国人女性。女性はその並んだバッグを何度も数えていました。そして、ざっと6~8個あったバッグを全て購入しました。バブルの頃の日本人さえ、赤ん坊に見えるチャイナ・パワーです。応対している中国人店員も、入り口及び店内を見張っている黒人のボディーガイドも、その他外見ヨーロッパ人らしい店員一同も何も動じません。この革命的とも言える状況をそもそも作ったのは、日本人OLと女子大生なのだと私は深く感慨を覚えるのです。あの80年代がなければこの21世紀初頭の状況はなかった、と言えるでしょう。
私が思うに、「OLや女子大生がブランドバッグを持つのはけしからん!」と言っていた日本人の評論家のおじさまおばさま(注:当時)よりも、ヴィトンを作っているフランス人の方が余程先進的で頭が柔軟だったのに違いありません。
確かに、ヴィトンもエルメスもその他ヨーロッパの有名ブランドは、最初は貴族や特権階級のためのものだったのかもしれません。でも、高品質で優れた製品は、世界中の誰からも愛されて当然なのです。そして「世界中の誰からも愛される」ことこそブランドの繁栄の源になる、ということを、流石「有名ブランド」の経営者たちは、理解したのでしょう。閉鎖的に一部の特権階級だけを相手にするのをやめて、全世界のお客に向かってフレンドリーになる路線に転換したのです(知ってますか?ヴィトンもエルメスネットで買えるのですよ。)。それが今の繁栄に繋がっているとすれば、高級ブランドの経営者たちは、それを気づかせてくれた日本のOLと女子大生に感謝してもいいと思います。


ドイツでは、ヴィトン持っていないことはないんですが、東京の街角のヴィトン率に比べれば遥かに低いです。しかし、これはドイツ人が「良識がある」ということではないような気がします、「ケチ」という方が当たっているかとも思いますが。
それに比べて、英会話教室やドイツ語学校に来ていた、若い女性たちは凄かった!彼女たちはドイツ人ではありませんでした。一人はウクライナ人、もう一人はベラルーシから来た若い女性だったのですが、二人とも、日本のOLさんもびっくりの、ヴィトンのモノグラムで、ショルダーバッグ、ポーチ、お財布、キーホルダーを揃えて、これ見よがしに机の上に置いていましたね。ウクライナはその後「オレンジ革命」と今回の大統領選挙で有名になりましたが、あの三つ編みぐるぐる巻きチモシェンコ氏やイケメンだったのが毒を盛られてあばた面になったユーシェンコ氏、の国ですけど、そのウクライナからドイツに働きに来ているんですね。ベラルーシから来ている23歳の女の子もそうでした。一昔前ならば、彼女たちが「高級ブランド」を持つなんて、階級社会のヨーロッパではあり得ないことだったのではないでしょうかね。それから、ドイツ社会では、例え経済的に成功していても「移民」として見られているというトルコ人女性でも、ヴィトンを持っている人が目立ちました。こういう状況も、日本人女性というパイオニアがいたからこそだと思います。


私としては、こういう状況(誰もがブランドバッグを持てる平和な世の中)をすこぶる痛快!だと思います。私はヨーロッパ文明、大好きです。けれども同時にアジア人として、その根拠のない優越感や価値の押しつけに辟易することもあるのです。ヨーロッパ人の価値観を引っくり返した我が同胞の快挙には拍手したいところですし(かなり贔屓目が入ってはいますが)、一方、それを見事に飲み込んで包容してしまったヨーロッパの高級ブランドの懐の深さにも感動します。長い歴史があるものこそ、変わることを恐れないのだ、とつくづく思わされますね。
嘗て「OLや女子大生が一点豪華主義でブランドバッグを持つのは怪しからん!」と言っていた方々は、この状況を今どう見ているのか知りたいとことですが、そういう向きは自分の意見が間違っていても頬被りして無かったことにするのが得意ですから、それも叶わないとは思いますが。