*誰が日本の公教育を良くしていくのか?

日本の公教育がどうして良くならないのか?、それは日本の公教育を真剣に考えるべき人たちが責任を回避しているからではないだろうか。分かりやすく言うと、社会に影響力のある人々が、本気で公教育と向き合うことなく、子どもを小学校や中学校から私立に入れるから、日本の公教育が良くならないのではないか?

ごく最近グロービス代表の堀義人氏がかかれたご自身のご子息の中学受験についてかなりの長文(子供の教育を考える〜長男の中学受験に思う)を読んだ。私も長男が大学2回生、長女が高校2年生となった今、色々な受験を経験し見てきて思うのは、堀氏が言及しているように、やはり公立高校から強烈なモチベーションを持って「雑草のように這い上がり」大学に進んだ学生が一番『強い』という感がある。公立高校は地方では勿論まだまだ健在である。東京都でもやっと学校群がなくなってどこに住んでいても今や日比谷でも西高でも受験できるようになった。神奈川県も「全県1区」に漸くなり、県内どこからでも湘南高校でも翠嵐でも受験できる。そういう名門公立高校に子供を入れるのにはやぶさかでない親は多いだろう、一番「安い」コースだし(どこの学校に通わせても学校外のことで子供にお金がかかる昨今、これはとても大事)。問題は公立中学、なのである。公立中学が酷いから、公立中学に我が子を入れたくないから、私立中学、ならばそこの入試を突破するための塾通い、という構図なのである。

でも本当は公立だからこそ、地域の学校だからこそ、親が教師と協力して変えることができるのではないか、と私は、自分の子供がその年代を過ぎてしまってから無責任にも思うわけである。
例えば、楽天の三木谷氏、前述の堀氏、ローソンの新浪氏、この3氏に共通するのは「公立高校出身、ハーバード大MBA取得」ということだが、こういう人達が公立中学校の父兄となって、学校に色々と物を言ってくれたとしたら、各々方が仕事にかける熱意をほんの少し、日本の公教育にかけてくれたとすれば、日本の公立中学校は今と全く違ったものになるのではないだろうか。彼ら(のような経歴を持つ人物)ならば、自分の経験から、日本の教育から世界に出て行くためには何が足りないのか、何を足せばよいのか、がわかると思うのだ。
別に例に出したお三方だけでなく、企業の一線で働いているビジネスマンこそ、子供を公立に通わせて、保護者として学校を良くするために社会貢献してほしい。
しかし、現状は、そういう人ほど、つまり公教育の欠点がよくわかる人ほど、見えてしまう人ほど子供を私立小、私立中学に入れる。それどころか、国内のインターナショナルスクールや海外のボーディングスクールに入れるケースもある。これは一種の亡国、ではないだろうか?日本の教育システムが機能不全だから外国へ、というのは、臓器移植を求めて海外に出る子供たちと同じ構図かもしれない。当該の子供だけが助かっても意味がないのである、あとに続く大勢の子供たちも恩恵を蒙らなければ、何の問題の解決にならない。

大体官僚は子供を私立小学校や中学校に入れてはいけないだろう。
昔、娘が「お受験」の個人塾(某私立小学校の元先生がやっている)に行っていた時のこと(結局半年で辞めたのだが)。「お父様のお仕事は何ですか?」という先生の質問に、「つーたんちょー」と答えている女の子がいたっけ。今はなき「通産省」のことです、念のため。そういえば、かつて「ゆとり教育」を提唱していた文部官僚は自分の子供は私立に入れていたのではなかったか?公僕として国のために働く官僚ならば、自分たちが作っている教育のシステムに我が子を通わせないならば、そのシステム自体に対する国民の信頼性はなくなる。

次は国会議員。国会議員も子供を私立に入れてはいけない。今の公教育の現状を「保護者の立場」で知ろうとしないなら、どうやって「教育改革」をするのか?そういえば、自らが小学校から大学まで一度たりとも受験の経験もなく首相になった人*1に、教育改革など期待してはいけなかったのだ。私は民主党支持者ではないが、岡田克也外務大臣が子供三人を皆公立の小中校に通わせた、というのは流石に立派だと思う。子供を私立に通わせている国会議員には、子供手当も公立高校無償化も、そもそも公教育について語れないはずだから。


学校を作るのは先生と保護者、とは言いつつ、今までは「保護者」≒「母親」だった。この構図の中で、「教育ママ」やら「モンスターペアレント」が語られて、学校も、母親が学校に何を言っていっても、「母親が言ってきた」というだけで、「またか!」という感じで一応慇懃に対応されつつ、実際は体よくシカトされるのが落ちだ。しかしそれもわかる気がする。実際、「何か学校に対してご要望はありますか?」という校長先生のお尋ねに、「息子が汚れた体操服を持って帰って来ないので、先生の方で週末に確認してほしい。」「折りたたみ傘を持たせたいのだが子供は自分でさせないので、先生が差しかけてやってほしい。」と、大真面目で訴える母親を見たことあり。きっとこんなのは氷山の一角だろうから、学校側も「母親が何か言って来た」というだけで条件反射で拒絶反応なのだろう、それは十分に同情する。私の経験からは、学校に何か物を言いに行くときには、父親に限る!それもちゃんとスーツを着て、ビジネスライクに話をすると、上手く行く。きっと学校も、疲弊しきったシステムに喝っ!を入れて、ドラスティックに変えてくれるスーパーマン(or メン)を待望しているのではないだろうか?先生方は現状の仕事が多過ぎて、システムの改善までなどとても手が回らないようだから。

ただでさえ教育改革は、百家争鳴、時間がかかる難題で、色々と疑問を抱いているうちに自分の子供は既にその年齢を超えてしまうから、どんどんこの問題は先送りになる。。この先、孫の代(?!)までには少しはまともになっているだろうか?