夫のドイツ赴任顛末記③

そんなこんなで2月の終わりに夫に内示が出て、5月の末には家族でドイツに降り立った私たち。
日本から駐在する家族としては異例の中途半端な時期ではあった。普通なら、父親本人が4月1日付け、もしくは5月1日付けで赴任した後、家族は日本でせめて一学期を終えてから、という感じ。中には「子供が可哀想だから、小学校卒業させてから」とか「学年の切れ目までは日本の学校に行かせてやりたい」と、家族の赴任を遅らす家庭も多い。それは後述するように、海外から帰ってくる時のことを考えると、決して得策ではないし、また我が家の場合、一端家族でドイツに行くことが決まった以上、日本にいて子供達が学校に通ってもそれは、

優勝球団が決まった後のプロ野球の消化試合

みたいなもんで、それならば一日でも早くドイツに行った方がマシ、と思ったわけである。

中三の息子に至っては、中間テストが始まる前の週末まで登校、という絶妙のタイミングだった。ドイツに行くことに決まった以上、ヤツが真剣にテスト勉強なんてするはずないのだからさっさと親に付いてこい、って感じ。
小六の娘は、赴任の内示を貰った前日に中学受験の塾の「春期講習」授業料(かなりの金額でございました)を振込んだばかりだったが、これは事情を説明して取り返した、じゃなかった、返還して頂いた、四谷大塚ありがとう。娘とて、もう受験しないことがわかっていて真面目に講習受けるような殊勝な子ではないわけで。

というわけで、ものすごく半端な時期だったが我が家としては最速で、5月の25日にドイツに上陸した。

ここで唐突に帰国受験に関するアドバイス
以前のエントリーでも述べたように、赴任が決まったならば一日も早く現地に行った方がよいと思う。

帰国受験は実は赴任が決まった瞬間からカウントダウンが始まっている。


本の学校で帰国生入試を行っているところではどこも(中学校、高校、大学)、「帰国生」の資格として、「国外の学校に通った年数○年以上」という制限を設けているところが殆どである。ギリギリでこの制限内に入れずに、帰国生受験ができない子供もいるという。というのは、父親は宮仕えである以上、帰国の時期は突然にやってくるからである。会社によっても違うが、お父さんが日本に帰任した途端、インターやアメリカンスクールの会社からの学費補助が打ち切られ、勿論家賃の補助も打ち切られ、家族は学校の都合で残りたくても残れない、という状況もある。それに、母と子で海外に残る、というのは、それが例え治安のいい国であっても所詮外国である、並大抵のことではない。となると、父親が帰任する時期に一家でまた日本に帰国するとしたら、赴任の始めはできるだけ早くに家族も海外に出ることが大事だ。海外に子供を帯同するのは親の勝手なのだから、親が責任を持って考えてやらねばならないことである。

また帰国する時の時期についても注意が必要である。娘が帰国枠で高校受験をしたある学校のことである。願書提出の日、帰国生だけは一般枠の受験生とは別に会議室に通され、順番に番号を呼ばれて3人の先生方に「帰国受験をする資格があるか」のチェックを受けてから、願書を受理される仕組みになっていた。広くもない会議室なので、前の番号の受験者の様子も筒抜けなのだが、私より数人前の受験生の場合、そのチェックがかなり長い時間かかっていた。というのは、その受験生は、東南アジアの国からの帰国生だったのだが、父親が2月28日に日本に帰任した後、母親と子供が3月終わりの終業式(日本人学校)まで残ってから帰国したらしいのだ。その高校では、「父親が帰任した後、現地に残った期間は『海外就学期間』とは認めない」という規定だった。で、かなりの時間別室で先生方の話し合いがあった後(つまり後続の私たちも思いっきり待たされたわけだが)、「本校では月単位で保護者と本人の海外滞在期間を考えております。○○さんの場合、お父様が2月に帰国されたということだと、ご家族で赴任されたのが1年前の4月ですから『海外就学期間』は11ヶ月となり、本校の規定の『1年=12ヶ月以上』に満たないことになります。が、国によっては2月28日に出国しても時差の関係で日本着が3月1日になる場合があります。その場合は、同じ月内ですから、『海外就学期間』も12ヶ月となり本校の規定に沿う訳です。赴任先の国によってこのような差が出るのも不公平だと思いますので、今回は例外的に○○さんを『帰国受験』の資格あり、と認めます。」ですって!!!この学校の先生方の温情に正直感激した。しかし、受験でこんな綱渡りのようなことになるのは、親の責任であるからして、決してこのようなことにならないように、赴任時期、帰国日については慎重に考えなければならない。