今どき「お受験」(小学校受験)させる親は「死亡フラグ」

11月1日、と聞いて何を連想するだろうか?

首都圏、特に東京で小さい子供を持っている親ならば、

お受験本番日解禁

ということになると思う。
地方では考えられない状況がかれこれ20年前くらいから(もっと前?)東京近辺の私立小学校及び国立大学附属小学校の「受験=お受験」で進んでおり、年々それに拍車がかかっている感がある。
今年も昨日から始まっているはず?
今年は豚インフルエンザの影響もあり、どこの親はぴりぴりしていることだろう。
特に子供本人よりも親の方がエキサイトして「変」になっちゃうのが「お受験」が「お受験」たる所以であるが。
ひと頃「お受験」を面白おかしく扱ったテレビドラマがあったが(お受験塾の先生が野際陽子で、型破りの母が山口智子、とか)、事実は小説より奇なり、私がかつて狭い世界で見聞きしただけでも、変になっちゃう親(特に母親)は多かった。



例えば、お受験の年は幼稚園では年長さんで、母親たちには幼稚園の保護者会で何らかの役員の役職が回ってくるのが常である。
中にはそれを見越して年少や年中のうちにやっておく、という小市民的フライングをする賢いママもいたりして。
どうせ逃れられないものならば、やれどの役員がラクだとか、どの役員だと「お受験後」だからいいとか、下馬評は立つものの、役員決めの当日は欠席者はいない。
それは、欠席裁判で最悪の役職をフられると困るから。
子供達が通った幼稚園で伝説になっていたのは、役員が順番に決まっていって人数的に後残っている4人のうち3人には役員それもかなりヘビーな役職が当たることが自明で、しかし1人は確実に役員から逃れられる、という場面で、順番に「○○さん、△△というお仕事引き受けてくださいますか?」と司会者が質問してきた時に、

両手で顔を覆って「わっ」と泣き出し小走りに教室を出て行った

ママがいたそうな。
一同呆気にとられて残った3人で役職をじゃんけんで決めたそうだ。
翌日さわやかな笑顔で子供を送ってきた件のママの姿があったという。
「その手があったか!」と語りぐさになったことでありました。



またお受験が近づいてくると、子供もストレスが出るらしい。
10 円ハゲ、なんて珍しくもない。
お受験の前に子供が「おたふくかぜ」とか「風疹」とかに罹ったとする。
熱が出て寝込んでいるのならいいのだが、子供によっては少々熱があっても元気でエネルギーが余っている子がいるものだ。
言うまでもないが、「おたふくかぜ」も「風疹」も小学校ならば

出席停止

の措置をとられる流行性疾患である。
けれども、お受験間近で常軌を逸しているママは、「家にいると子供がストレスを感じてしまうから」と、病気を隠して幼稚園に行かせたりするのだ!
「自分の子供さえよければ」という極めて動物的な本能が発揮される。
その結果その子と接触して感染した子が、本番の試験日に発症して試験を棒に振ってしまっても何の痛痒も感じないはずだ。




こんな話もある。
女の子の一人っ子が3人いて子供同士仲がよく、自然にママたちも仲良しになった。
寧ろママたちの方が、子供を幼稚園に送った後はお茶にランチにいつも一緒、幼稚園の役員も一緒に示し合わせてやっていたほど。
お受験を前にして、その中の一番利発な女の子は有名私立の女子校を受験し、おっとりした残りの2人はそこそこ有名な学校を受験した。
結果は、有名校を受験した子は不合格、そこそこの学校を受験した2人は合格。
その日が「縁の切れ目」の日だった。
それまでの仲良しぶりはどこへやら。
子供はともかく、ママたちは、2人(合格組)と1人(不合格組)に別れてしまい口も聞かず、それは卒園まで、否、卒園後もずっと続いた、とか。




本当に、

馬っ鹿じゃない!?

と言うしかない実例が「お受験」に関しては山ほどある。
「お受験」が近づくにつれてぴりぴりして言動もおかしくなっていた母親たちが、「お受験」が終わると穏やかなフツーのママに戻って(勿論、「合格」を手になさって)、その変わり様が却って不気味でコワかったことを思い出す。終わってみれば、そこまで入れ込まなくてはならないものだったのか、とても疑問。
古い話だが、二谷友里恵も、大ベストセラー「愛される理由」の後に書いた第二弾、「楯」の中で、本人はわからないのだろうが他人が見たら「異常」なお受験時の内幕エピソードを書いている。子供が受験日に緊張しないように、確か受験する小学校の校長先生の名前を語って子供に手紙を送り(これって、公文書偽造では?)、受験日当日に至っては、二谷友里恵自身が既に早起きしてお化粧も済ませ「勝負服」を着ているのにガウンを服の上からはおって、子供の前ではさりげないフリを装う、という滑稽極まりないことを、悦に入って書いていた記憶がある。




しかし。
今年有名私立の小学校を受験させる親って、はっきり言って

死亡フラグ

としか思えない。
だって21世紀ですよ?
例えばお受験界の最高峰に燦然と輝く、

○應義塾幼稚舎

であっても、小学校の段階で入学させる意味があるなら是非私に教えてほしい。
まあ、「パパやおじいちゃんも卒業しているから」ということならば、それはそれでいい、そういう子が行くべきである、キミはきっと合格するだろう。
一方、3親等以内に○應の卒業生はいないのに2歳から塾通いをさせて我が子を受験させようとしている親って、

何考えてるの?

○應幼稚舎に入学してその後も順調にエスカレーター式に進んだとして、所詮「○應大学にしか行けない」のですよ。つ・ま・り、

東大には行けないの。

言うまでもなく、東大は○應大学よりは遥かに世界大学ランキングの高い大学です。

っていうか、○應大学って2009世界大学ランキングで、東京大学の19位に比べて、100位以内にも入ってない(144位)大学であるのだ。
勿論、京大(25位)、阪大(43位)、東工大(55位)、名古屋大(92位)東北大(97位)にも大きく及ばない。
なのに何故○應大学の幼稚舎と言う名の小学校に親は(子供が自発的に志望するはずがないから)行かせたいのか、理解に苦しむ。

奇特な志があり「どうしても○應大学で子供を学ばしたい」と思うならば、大学から行く、という手も勿論ある。
まあ、今大学で入るのは一昔に比べると格段に難しくなってはいるが、前述の世界ランキングが高い国立大学に比べれば、遥かに易しいものだ。
高校受験という、最高に美味しい受験もある。
一番○應に潜り込みやすいのは、高校受験であるから(男子の場合)。
下宿生もいるというものの、高校受験は全国区の大学受験と違い首都圏内の戦いである。
しかも一番美味しいのは、大抵の頭のいい子は中学受験で既に有名私立中高一貫校へ中学の段階で進学しており、また頭は良くても「私立はちょっと」という家庭の子は都立・県立高校に進学してくれるから、大学の付属校の受験は残りの首都圏の中の戦いになるので、極めてラクなのだ。
おまけに、「お坊ちゃま」学校のイメージがある○應義塾高校、いわゆる「塾高」は、

何と一学年18クラスもある

ことを知っている人がどれだけいるのか。
一学年18クラス700人超の学校は「お坊ちゃま」学校ではあるまい。
一学年12クラス600人の「学院」こと早○田高等学院の方が余程「お坊ちゃま」と言えるかもしれない。
子供に10円ハゲができるほどストレスかけて、親もかなりの経済的負担を背負って(公立小学校に行かせることを考えると膨大)行かす価値があるのか?
それだけの授業料を本来は払わなくてもいい義務教育の費用に払い込まなくても、それと同じ金額で子供にしてやれること、と言ったらかなり色んな体験をさせてやれるのではないか?
○應の教育環境?
Definitely no!
今この時代に成功している人を見ていれば、必要なものは、「お坊ちゃま教育」ではなく、何処でもサバイバルしていける逞しさ、沢山の色々な友だちとの交流、欲しいものを獲得するためにはどんな競争に勝ち抜くことも辞さない貪欲さ、などではないか?
○應幼稚舎はそれが与えられる小学校か、ということを考えた方がいい。
教育問題を語らせて一番唇寒し、だった首相である

安倍元総理

は、夫人も含めて「小学校から大学まで」同じ私立の学校だった。
もうそれじゃ駄目なのである。
そんな人には日本の教育は語れない。




今の時代、「お嬢様学校」である私立の女子校に小学校から娘を入れる親の気も知れない。
本当に一人の人間として娘を愛していれば、将来の可能性をとことん狭められる「お嬢様学校」に入れたくなるはずはないのだが。
お受験が難しいとされる東京の有名私立女子校を思い浮かべてほしい。
その小学校に行って将来娘が、「医者になりたい」「財務省に入りたい(勿論キャリアで)」「弁護士になりたい」と望んだ時に、それが可能な女子大を備えているか?
当然日本にはそんな気骨のある女子大はないわけで、更に先ほどの世界大学ランキング100位以内にあるような大学に「お嬢様学校」からどれだけ進学しているのかわかっているのだろうか、親は。
小学校に入る段階で親に将来の進路を狭められてしまう娘も可哀想だ。
「女子校に行かせていれば親は安心」という親のエゴ、もしくは根本的に親が時代をわかっていない、またしても

死亡フラグ


下手すると小学校(いや、幼稚園から?)大学まで、男の子と同じ教室で勉強する機会がないまま、学校生活を終わることもありうる、タリバーンのような環境に娘を入れようとしているのですよ、そこの親!
大体、自分が今この時代、

女子校に行きたいと思うか?

っていうの!

私にも高校生のムスメがいるので思うのだが、親がムスメにしてやれることは、21世紀を生きて行く彼女が自分の能力を存分に生かして社会で活躍、貢献でき、また人生を目一杯楽しめるような環境を作ってやること、でしょう。
勉強の向学心は妨げられてはいけないし、一方男の子と友だちとして同じ教室の中で切磋琢磨すること、同じ事柄に笑い合えること、また好きな男の子と付き合うこと、引っ括めて、二度と来ない人生のその時期=青春を満喫させてやること、も等しく重要なことだと思うのだけど。
それは女子校ではムリな話。

今年は暑い暑い夏の間から、死んだようなお受験ファッションの親子をよく見かけた。
それは何故かというと、夏休みにはお受験の

「模試!」

があり、その時には親も子も本番の時の格好をしてくるのがお受験界のお約束だからだ。
夏の盛りに、紺の膝下丈のウールの半袖ワンピースを着ている一団は、新手の新興宗教ではなくて、可愛い我が子をこれから「死亡フラグ」小学校に入れようとしている愚かな母親たちなのです。
っていうか、地方の人から見れば、

立派な新興宗教

よね。
願わくば、これから発表の時期を迎えて、不本意な結果を出した子供の傷心が最小限でありますように。
そんな下らないことにめげずに、21世紀を逞しく育っていきますように。