Bottega Venetaの帯と、東方「大空魔術」と、お茶のお稽古

秋晴れの爽やかな今日は、お茶のお稽古日。

勿論お稽古には着物で臨む。
今日のコーディネートは、ダークな地色に秋の花がちりばめられたちりめんの小紋に、まるでボッティガベネタのメッシュのような織の帯。
写真撮るの忘れたのでどんな感じの帯なのかせめて下の写真で。

丁度↑のボッティガベネタ定番のような織で↑のような色。

この帯の間にiPhoneを挟んでいざ出発。

iPodと違い、iPhoneは着物の帯の間に挟むのにはちと大きい気もするのだけど、今までのように「iPodと携帯の二刀流」をしなくてもいいので、却ってラクかも。

お茶に行くときには、テンションを上げるために、大抵「東方」の曲を聞きながら電車に乗っている。

この名曲の数々、しかもこれだけ多くのアレンジがYoutubeやニコニコにupされているのには感動する。
けれど、この感動を分かち合う同世代の友がいないのが淋しい。
・・・気を取り直してっと。
テンションを上げていくと、集中力もまた高まる気がする。
お茶のお手前は、

集中力あるのみ、

であるからして。


さて。
来月、私の先生はお席持ち(お茶会を催すこと)をなさるので、御歳85歳を猶に越えている先生は今日も気合い十分。ばっちりしごかれた。
一体どこの世界に、90歳近くなっても立派に「現役」として働ける職場があるだろうか、それも女性で。
しかも歳をとればとるほど、尊敬され重きをおかれる。
お茶の世界は、最上層部(家元周辺)は確かに男尊女卑で女性の実力者はいないのだが、それは日常的には殆ど関係ない話。
もしかしたら「お茶の先生」って、総合職目指すより、留学してMBA目指すより、生涯的に見て、満足度も達成度も高く、定年なしで働ける女性に打ってつけの職業かもしれない、誰もまだそこに注目していないけど。
男性だと、それこそハーレム的男女比比率の中で、途轍も無く大事にされること間違い無し。
出世競争も今ならとぉーってもラク
何せ高齢化が進んでいるので、「若い」というだけで大事にされる。
私は勿論、先生になることなど目指していないのだが、お茶の世界で何が快感かと言って、このトシで「お若いから」と言われること!
今同じお稽古日に習っている弟子のうち、私がダントツで歳が若いのだ。
この世界以外でこのトシで「若い」「若い」と浴びせかけてくれるところはないだろう。
はっきり言って、年々それって快感。
逆に、何かの都合で学生さん、社会人の方(主にOL)対象の日曜日のお稽古に行くことがあったりすると、どっぷり老け込んだ気持ちになる。
自分の子供とトシが変わらないお弟子さんたちの中にいると、殊更トシを感じてしまうのだ。
まあ、今ウチの先生のように若いお弟子さんがいる先生自体珍しい状態になっているので、それは例外とは言える。
一般的にお茶会に行くと、「正客」と言われる最も上座に誰が座るかで、超ベテラン先生級のおばあさま方が謙遜の「上座譲りっこ」をなさるのだが、それはこんな具合:

「私はまだまだ未熟ものですから、○○先生、是非お正客の方へ」
「いえいえ私の方こそ、昨日習い始めたようなものですから△△先生こそお正客へ」

と、何十年もお茶の道を極めていらした(きっと私が生まれるずっと前から!!)90歳近いおばあさま先生方同士が言い合っているのは、

はっきり言って「壮観」

である。
長生きして90歳近くになってお茶会で、それをやれたら実に楽しいだろうな。
それを目指して今日も精進あるのみ。