「共学」がいいのか「男子校/女子校」がいいのか?試行錯誤の果て、結果オーライの体験談 ②女子校 娘の場合その2

「共学」がいいのか「男子校/女子校」がいいのか?試行錯誤の果て、結果オーライの体験談 ②女子校 娘の場合更にその1から続く)


今高三の娘は、

共学小学校→インターナショナルスクール(共学)→公立中学(半年)→共学高校

という道を辿ってきています。実は、今は口を極めて「お受験」を糾弾(?かわいいものですが)している私ですがその昔、丁度13年前の今頃(娘が年中)は、某女子小学校をお受験させようとして、ご紹介でしか生徒をとらない或る個人のお受験塾への入塾を決めた頃でした(衝撃の告白!)。
何故娘をお受験させようと思ったか、その理由
・生まれた時からずっと3歳上の超個性的「兄」だけが彼女の価値基準で、それが親から見ても甚だ酷かったので、娘が「兄」に影響されない自分だけの学校生活を送ってほしかった
からなんですね。娘は生まれて二ヶ月もしない頃から、兄が部屋一杯に作ったプラレールの線路の中で寝かされ、やがてオムツをしたままで兄や兄の友達と「レンジャーごっこ(ごっこ上も実際も文字通り「紅一点」なわけで)をし、兄の友達が家に遊びにきたならばお昼寝もしないほど興奮して一緒に遊んでいるつもりで後を追い、幼稚園に入っても「兄の友達の弟たち」と主に遊んできた娘が、小学校もまた兄と同じ小学校に入ったら、ずっと「兄依存」の彼女の人生になってしまうのではないか???と危惧したわけです。
そして、その頃の娘と言えば、絵を描いたり歌ったりは得意でも、先ずじっと座って何かするということが苦手で、字にも本にもお世辞にも興味があるとは言い難く、「お勉強で生きていくより、他の道で」と親が思ったことも確かです。「あのね、女の子ばかりの素敵な小学校があるんだけれども、そこに行く女の子が一緒に色々なことをするところよ。」と娘に説明して通い始めたお受験塾は、ところが意外にも娘の能力を開発してくれたと思います、そして親の意識も。私は愚かなことに、それまで娘を、理屈っぽくオタクっぽく集中力だけはある息子と漠然といつも比べていたのだと思います。お受験塾は、娘にとっても「全く『兄』が介在しない初めての世界」だったと思うのですけれど、私にとっても娘の能力や性格が再認識できました。娘は親の私も目を見張るほど教えられる内容を吸収していき、また「兄」との関係においてはいつでも何でも「兄」に譲っていた娘が、本当はなかなか負けず嫌いであることもそのお受験教室で私は気付きました。半年足らずの間で相当なことを学び、「模擬試験」でも余裕が持てるところまで行っていたと思います。順調に進んでいたお受験の準備でしたが、思わぬことから私立女子小学校お受験が頓挫することになりました!!!それは息子の小学校の学芸会に娘を連れていった時のこと。演目は「笠地蔵」だったか、劇とか「演じる」とかいうことが大の苦手の息子は、その他大勢の「お地蔵さん」の役でした。その帰り道、手を引いて歩いていた娘がいきなり立ち止まり、「わたし、おにいちゃんと一緒の小学校に行く。そして絶対にお地蔵さんの役をやる(キリッ!」と宣言したのです(「(キリッ」は現在の仕様です)。内心ぎょっとしました、いくら「お受験」でも本人のモチベーションが違うところにあるのに、親の思う学校を受験させることは無理であると直感したからです。で、母である私としては、聞かなかったこと、にしました。ところが、日を追う毎に「おにいちゃんと同じ学校に行って、お地蔵さんをやる」発言が、念仏のように繰り返されたのです。私に対してだけでなく、夫にも、祖父母にも、兄にも、彼女は宣言して回りました。悩みましたよ、そりゃ母としては。ここでお受験をやめてしまっていいのだろうか、あと半年頑張れば「女の子だけの素敵な学校」に合格して今言っていることも忘れてしまえるのではないか、云々。しかし、娘自身の言葉には妙な重みがありました。5歳の娘が言っていることではありましたが、親といえどもそれを無視して独断で娘の学校を決めることは出来ないと思いました。年中と年長の間の春休み、塾では「春期特訓」と「志望校模試」がありました。その結果について先生のお宅に伺ってお話を聞くときに、先生にご相談、というよりももうその時には「お受験をやめる」ことは決めていたのですが、先生にお話しました。すると意外にも先生は
「それがよろしいかもしれませんね。◯◯ちゃんならば、中学校受験でも十分大丈夫ですよ。おにいちゃまと同じ学校に行かせて差し上げてください。」
とおっしゃったのですね、これが!
「中学受験の方が選択肢も広がるし、その頃にはお嬢様の『将来こうなりたい』という意志も出来ているかもしれませんしね。」
ともおっしゃってくださいました。・・・という訳で、年長になる時には、お受験塾もやめてのんびり伸び伸びと幼稚園最後の1年間を過ごすことができました。これは今となってはとても貴重な思い出です。幼稚園の年長さんというのは、色々な行事で活躍することも多く、或る意味ビデオに残すにしても映像的に一番可愛い時期なのですが、その時期を「お受験」に振り回されずに楽しめて本当に良かったと思います。お受験をする親御さんによっては、夏のプールも「日に焼ける」「水いぼがうつる」といって子どもを休ませ、9月の運動会も「日に焼けると面接で可愛くないから」と嫌がり、10月の遠足も「風邪をひいたら困るから」「疲れるから」といって休ませる方もいますからね。まあ、この時期になるとお母様方の方が既に憑依状態なので何を言っても無駄なのですけど、子育てで、一番娘が可愛い時期を楽しまないままお受験に突っ走ってしまうのでしょうね。偉そうなことを言って、自分自身だって娘の「お地蔵さん」発言がなければ、そうなっていたかもしれず、だからこそ今お受験を考えている若きお母様方には、今一度の再考を促さずにはいられないのです。
まあ我が娘の場合、彼女の意志通りに「兄」と同じ小学校に入学したわけです。2年生の時には、演目こそ違え念願の「お地蔵さんの役」を学芸会でやりました。親の立場から言うと、小学校の入学式の時に「これでよかったのだ」と100%思えたか、というと正直そうではありませんでした。もうその頃には4年生の息子には「中学受験」の影がひたひたと迫ってきていましたし、「これをまた娘でやらなければならない」という漠然とした不安はありました。しかし、それらを凌ぐ「幸せ」もありました。それは入学式の翌日、晴れて娘が兄である息子と一緒に登校するその朝撮った写真によく現れています。本当に嬉しそうな顔をしているのですね、彼女は。子ども二人が同じ小学校に行ったことで、息子と娘が、学校について先生について共通の知り合いについて話しているのを聞くのは、母親にとって望外の幸せである、ということを実感しました。私にはわからないんですよ、彼らが話して笑っている学校でのエピソードは。でも、彼らが楽しそうに話している、ということ自体が母である私にとって、どれだけ「幸福感」を与えてくれるか、ということを知り、私は娘をお受験させて別の学校に行かせることが幸せだと信じていた自分を恥じました。子どもたちの人生にとっても、あの時娘が小学校から女子校に行ってしまって息子とは何の接点もない学校生活を送っていたとしたら、今のような兄妹にはなっていなかったかもしれないと思います。実際、兄妹で共通の先生、友達、そして学校のうわさ話、それらがどんなに彼らを結びつけていることか、私にはそれがよくわかります。その後、息子は別のエントリーで書いたように、中高一貫の男子校に入学するのですが、家族で行った息子の入学式の娘の表情が忘れられません。今度ばかりは、娘はどんなに頑張って勉強しても、所詮「男子校」には入れないわけで、拗ねたような羨ましいような顔していましたね。ところが、運命の悪戯である夫のドイツ転勤で又しても息子と娘は同じ学校(インターナショナルスクール)に通うことになったのです。中高一貫校に通う息子を半ば強引にドイツに連れて行ったわけですが、このインターナショナルスクールでの3年間もまた、兄妹にとっては「一緒の学校に通う」という意味では又とない人生の一時期になったのではないか、と思います。で、ここまでは、娘は、
共学小学校→共学中学(インターナショナルスクール)
と来ているわけですが、もうここまで来ると、日本に帰っても「女子校」という選択肢はないですね。実は日本の女子校は結構「帰国子女」というのを弛い試験で受け入れてくれるのですが、どう考えても既に娘が女子校に行くことは自然に考えられなくなっていました。一つにはインターナショナルスクール(当然共学)の雰囲気がとても自然で、とても楽しそうだったからですが、もう一つ、娘が幼稚園の頃には考えもしなかった理由が出てきました。それは、「もしかして娘は勉強が好きらしい。」ということです。幼稚園の頃のあの落ち着きの無さと天然の自然児が嘘のように、勉強するようになっていたのです。子どもは変わります、自分自身の意志を持つようになってきます、成長していきます。5歳の時の娘のままではないのです。それも見越して娘には学校を考えてあげねばと思います。実は「お受験」をやめようかどうか迷っていた時期に、或る尊敬できる方に伺ったことがあります。その方ご自身は小学校からずっと私立の女子校で学ばれた方なのですが、お嬢様お二人は小学校は共学、中学はそれぞれ別の学校を受験されて大学もまた別の道を選ばれた方でした。「何故、お嬢様方に小学校から一貫校の女子校、という道をお選びにならなかったのですか?」
という私の不躾な質問に、その方はこう答えてくださいました。
「親の思いと子どもの意志が違うことが多々あることを知って、なるべく子どもの意志を尊重しながら節目節目でその都度学校を選びました。結果、それぞれの子どもに合った学校に通わせることができました。また一貫校に小学校から入れてしまうと高校まで12年間。もし途中でその学校に合わないということがあってもなかなか進路変更できませんし、もし外に出ることになったらなったで子どもが必要のない挫折感を抱いてしまうかもしれないから。」
というような内容だったと思います。そうなんです、小学校からだと高校まででも12年間、長いです。このお話を伺ったのはもう13年も前ですけど、中高6年間同じ学校、というのは今の時代はは長過ぎる、と思いますね。
そして娘は中学校3年生の夏に帰国し、日本の公立中学から共学の高校へ進んだわけですが、共学の高校は、はっきり言って楽しそうですよ。いや、楽しくないわけがない!!!勉強も部活も委員会も行事もまさに全て「男女共同参画なわけです。使い古された陳腐な表現ですが、「一度しかない青春」なのですよね、それは「青春」を遠く過ぎてから思うわけですが、「青春」を我が子に満喫してほしい!という「親心」があるなんて、それもまた13年前の私(女子だけの小学校をお受験させようと考えていた頃)には予想もつきませんでした。そして今高三の娘に望むことは、「可愛ければそれでよい」ではなくて、「逞しく21世紀を生き抜いてほしい」ということになろうとも勿論予想できませんでした。

というわけで、まさにタイトルの「試行錯誤の果て、結果オーライ」どころか「出たとこ勝負、成り行き任せ」の娘の学校選びを語ってみましたが、これからお嬢様の教育をどうするか考えていらっしゃる方にとってそれが何かのヒントになれば、と思います。