もし私が車だったら、それもフェラーリだったら、絶対に日本で暮らしたくない、理想の国はドイツ。

もう昨年のことになりますが、

山口県中国縦貫自動車道でフェラーリなど高級スポーツカー10余台が追突事故を起こし(正確には、フェラーリ8台、ランボルギーニ1台、ベンツ3台、国産車2台)、そのうち3台のフェラーリが大破

という事故がありました。幸い死者も重傷者もいない事故ではありましたが、所有者や同乗者の方々の独特の風貌が話題になった事故でもありました。しかし、私はこのニュースを見て、何とも言えない哀しい気持ちになりました。先ずは、生まれ故郷を遠く離れ、異国の地でおシャカになった(キリスト教圏で生産されたのに)3台のフェラーリに合掌(アーメン)。

以前
「もし私が犬だったら、是非ドイツの犬になりたいものだ。」
という趣旨のエントリーを書いたことがあったのですが(  ドイツの犬 雑感  )、
「もし私が車だったら、それもフェラーリかポルシェかベンツかBMWアウディだったら、絶対に日本では暮らしたくない、理想の国はドイツ。」
ですね。
例えば自分がフェラーリだったとしたら(←という突拍子もないシュールな例え話はお許し頂くとして)、日本で生きるというのは車として屈辱ものの奴隷の人生、否、車生に違いありません。
だって、フェラーリの最高速度って300キロを超えてるのでしょう?
さて質問です、「日本の高速道路の最高速度は何キロでしょうか?」
100キロ/毎時ですよ、たったの。
300キロ出せる能力を持った車が、終生たかだか100キロしか走れない環境で暮らすなんて、これは確かに何かに対する冒涜ですね。
ラソンの世界記録保持者が、一生競歩でしか道路をレースできないとか、
各レース総なめの競走馬サラブレッドが、子どもを背にのせて手綱を引かれて場内一周しかできないポニーと同じことを強いられるとか、
そういう類いの冒涜ですね。悲劇を通り越して、最早喜劇です。


夫のドイツ駐在の3年間、ほぼ毎日運転していた私です。駐在当初から生活上どうしても車が必要で、赴任して即、車を買いました。本当は本当はフランス車に乗りたかったのですが、滞在国への敬意という意味合いで(例えば日本に住む外国人がヒュンダイの車に乗っていたら、石は投げないにしてもアッカンベーくらいはしたくなりませんか?)Volkswagen(ドイツ語での正しい発音は「フォルクスワーゲン」ではなく「フォルクスヴァーゲン(意味は文字通り『国民車』) 」)のBORAという車種にしました(愛称「BORAちゃん」。「BORA」とは「大法螺吹き」の「ボラ」ではなく「アドリア海に吹く風」のことらしい)。日本ではVolkswagenの車というとGolfが殆どでBORAは滅多に見かけませんが、一応2000cc、大きめの車の筈なんでですが、メルセデスBMWの大型車がバンバン走っているドイツでは、小さく見えます(中肉中背の日本人がドイツでは小柄に見えるように)。
ドイツで車、ドイツで運転、と言えば、「アウトバーン」は避けては通れません。

アウトバーンは基本ゆったりとした三車線(体感的には、日本の2車線分がアウトバーンの1車線分→これが誇張でないことは後述)で、それに加えて路肩(事故などの時に待避したり、緊急車両が通ったりする)がこれまたゆったりある訳です。この太っ腹ぶりは、アウトバーンがそもそも戦車の走行や、軍用機の滑走路としての使用を想定して作られたからだそうで、それは言わずと知れた、「名前を言ってはいけないあの人」である、ヒトラーが命じて作ったから、だそうです。



さて少し話は逸れますが、ドイツを含め大陸は皆「左ハンドル右側通行」です。ヨーロッパ大陸どこまで走っても右側通行です。ユーラシア大陸も僅かな例外を除いて右側通行ですから、ゴビ砂漠の真ん中で対面車とすれ違う時には右側通行ですれ違わなければならないのですが、では日本以外で左側通行をしている国はどういう国かというと、イギリスとその旧植民地(インド、シンガポール、オーストラリア、等々)なのですね。

どうして日本は、イギリスの植民地でもなかったのに、第二次世界大戦後占領軍アメリカにならって右側通行にしなかったのでしょうね。
ところで実際に左ハンドルで右側通行の道を走ってみると物凄く運転しやすいということが体感されます・・・ということは、「左ハンドルの外車で日本の左側通行の道を走る」というのは、「格好いい」どころか、「運転しにくい」を通り越して「危険」であるのですね、故伊丹十三氏も、出版後60年経った今なお名著である「ヨーロッパ退屈日記」の中でこう書いています。

横浜バイパスのような、だだっ広い道路で正面衝突というのは、いかにもわけのわからぬ話であるが、これはおそらく、彼(注:伊丹氏の友人で交通事故死)の車が左ハンドルであったことに原因があるのだ。
 いうまでもなく、左ハンドルの車では、追い越しが大変むずかしい。何しろ、右前方見とおしが、全くゼロなのである。
(中略)
 最近、ロンドンの近郊にも、オート・ルート(注:高速道路)が増えつつあるが、その入口には「左ハンドルの車、通行禁止」と大書してある。これが即ち、立法の精神というものではなかろうか。こういうことを、具体的というのではなかろうか。つまり現実を見つめる精神というものである。

伊丹氏は、左側通行の国日本で左ハンドルの車を運転する危険性について述べていますが、逆も真なりで、右側通行の国(ヨーロッパ大陸)で右ハンドルの車(日本からの輸出車は左ハンドルなので、これは主にイギリスから海峡超えてやって来たと思われる車)の運転はいかにも危なっかしく、よく他の車からブーイングを受けているのを目撃しました。
また、ハンドルと左右通行との関係だけではなく、右利きの人間にとっては「左ハンドル」が自然である、というのは、私の実感です。右ハンドルの日本では当たり前ですが、運転時には右利きの人間にとっては、利き手ではない左手で以てギアチェンジや空調の操作などをしなくてはならない訳ですが、これは左ハンドルだと利き手の右手でやるわけです。やってみると、人間工学的に右手で操作する方が遥かに自然で運転自体も安定感があるのです。
「ハンドルなんてどっちに付いていても同じじゃん。」とおっしゃる向きもあるかと思いますが、この違いは極めて重要なのです。一般道をせいぜい時速40〜60キロくらいでちんたら走行するならば、ハンドルが右でも左でも構わないと思います。ですから、元々からひねくれ者のイギリス人が大陸とは反対の「左側通行」を採った時も問題はなかったと思います。ところが時が過ぎて車の性能が向上し、最高速度が200キロを超えて走れるようになると(日本では無理ですが)、話は全然違ってきます。日本で100キロで運転できるチャンス自体極めて稀ですが、私も子供が小さい頃実家に行く時は荷物の多さに必ず車で移動していたのですが、休日の早朝とかでたまさか高速が空いていて100キロで走る時は、「ピー、ピー」と鳴る警告音(勿論ドイツの車にはこんな無粋なものはありません)が否が応でも緊張感を高めるのと、「ここで事故ったら、子供もろとも天国行き!」という悲壮感のもと、掌に汗かきながらハンドルを握りしめていましたっけ。その100キロで走行中、左手で何か他の操作をする、という余裕はとてもありませんでした。ところが、アウトバーンで「気がついたら160キロ」状態でも、利き手の右手ならば余裕で操作が出来るのです。これは「右側通行・左側通行」が定められた当時は、想定外のことだったと思います。

で、長々と「左右通行と左右ハンドル」について語って回り道をしましたが、何を言いたかったかというと、
日本の道路が左側通行である、という時点で「日本の高速道路は終わっている」「日本の自動車産業は詐欺になってしまった」
と言いたかったのです。これは二つの原因が絡み合っているのですが、一つは
「自動車がここまで高速化することを見通せなかったこと」
ともう一つは
自動車産業の将来が全く読めてなくて、しょぼい高速道路しかイメージできなかったこと」
です、どちらも「当時の官僚の方々」が主語にあたる訳ですが。日本の官僚は優秀って言いますが、それは本当なのでしょうかね。

消費税などに頼らなくても税金がばんばん入ってきた高度成長期に潤沢な予算を使って折角本邦初の高速道路を建設するのならば、その時に将来を見据えて、200キロ走行にも対応する右側通行の高速道路を作り、同時に左ハンドルに車の規格を変えて輸出に備えることは、彼らの頭にはとんと浮かばなかったのでしょうか。目先のことではなく、国家100年の大計を立てるのが官僚の仕事なんですけどね。
またかつて上場企業の経営者だった方に伺ったことがあるのですが、或る宴席でゼネコンのトップから「突貫工事で造られた首都高がいかに危険か」というレクチャーを聞いて以来(お酒の勢いもあったのでしょうが)、社長在任中は移動時に決して首都高を使わなかったそうです。事程左様に、日本の高速道路はちゃちくってとても今の自動車の性能には対応しておらず、これからもせいぜい最高速度が100キロのままでしょう。それは取りも直さず、国内では速度メーターには280キロまで刻んであるのにユーザーは100キロでしか走ることができなくて、外国には最高速度280キロで走ることも前提にした車を輸出している、という一種詐欺的状況を生んでいるのです。
2009年から2010年にかけて、トヨタ車に対する大規模リコールがアメリカであったのですが、この原因が「ブレーキがマットに引っ掛かった」ことだとしても、アメリカの消費者が、

「日本国内では最高でも100キロしか出せない車を TOYOTAは、フリーウェイを普通に65〜80マイル(104〜128キロ)で長距離走アメリカ人に売っている。」

と知ったら、果たしてそんな車やメーカーを信頼してくれるでしょうか?この事実は、絶対にアメリカの弁護士に知られてはいけない国家機密にあたるくらいですよ。
日本人だって、「『国内に高速道路がない』国」のメーカーが造った、時速100キロまで出せる車」を買うでしょうか?乗るでしょうか?


で、話は再びアウトバーンに戻りますが。
ご存知だと思いますが、アウトバーンは料金が無料(今となっては民主党マニフェストにあった「高速道路無料化」が虚しく思い出されますが)というだけではなく何と制限速度無し、なのです。片側ゆったりとした三車線の中で(二車線部分もありますが)、バスやトラックなどの大型車、そしてこれが結構多いのですが、ボートやキャンピングカー、馬さんが乗った車を牽引している車は、一番右即ち一番遅い路線を走らねばなりません。これはとても安心です。日本みたいにトラック野郎がパッシングしながら後ろから迫ってくることがないからです。そして一番左即ち一番速い路線は、ポルシェ、ベンツ、BMWアウディなどの専用路線です。標識に書いてある訳ではありませんが、アウトバーンには階級社会が厳然としてあるのです。ドイツ車でも、私のBORAちゃんのようなVolkswagenやOpelは身分相応に真ん中の車線を走ります。速度の感じとしては一番遅い路線で100キロくらい、真中だと130キロ〜180キロくらい、そして一番速い路線は速度無制限ですから・・・神のみぞ知る、というところでしょうか。アウトバーンでは外人選手のフェラーリですが、文句なしに「神のみぞ知る」車線ですよ。
アウトバーンで走っていると、一番遅い路線は実は日本の高速道路だと最高速度の100キロで走っているのに、随分ノロく感じます、一つには道がゆったりしているのでスピードを感じないせいもあるかもしれませんが。逆に速度制限無し、というのがどういう感じかというと、真ん中の路線を160キロくらいで走っていてふと左のサイドミラーに何か小さな点が映ったと思ったら、弾丸のように真横をポルシェ/ベンツ/BMWが通り過ぎて行きそして一瞬のうちに見えなくなってしまう、という具合です。

そして更にドイツは日本よりも遥かに冬は寒いですから、11月になったら車のタイヤを履き替えます。町の自動車工場のようなところに行って、タイヤを交換して貰う訳ですが、車種とタイヤに合わせてタイヤメーカーの「そのタイヤで時速何キロまでの走行を保障する」というステッカーが車のダッシュボードに貼られるのです。当然摩擦の大きい冬タイヤの方がスピードが制限されるわけですが、BORAちゃんでそれがなんと190キロですよ!冬タイヤじゃなくてもそんなスピード、日本のどの道路でも出せません。夫のベンツには「冬タイヤの最高速度210キロ」のステッカーが貼られていました。アメリカだけでなく、ヨーロッパの人々も
「日本では冬じゃなくても『高速道路』でそんなスピードは出せない。」
という事実を知ったら、日本の自動車メーカーへの信頼感は地の底まで落ちてしまうのではないでしょうか?


ですから、冒頭のフェラーリ事故の報道を見て私が思ったのは、
「このニュースが海外に配信されても、海外の人々はまさかフェラーリが『最高速度が100キロの日本の(自称)高速道路で事故った』。とは思わないだろう。」
ということです。
「どうぞ、そのまま日本の道路状況について無知のままいてくださいまし。」
と、自動車メーカーの関係者ではありませんが、日本人として願わずにはいられません。

そして、イタリアからはるばる日本に来て、所有者の人品はともかく、たかだか100キロしか出ない畦道のような(自称)高速道路で一生を終えたフェラーリに対して、衷心より哀悼の意を表するものです。
下の動画のように時速300キロで走ってこそのFerrariの人(車)生だったと思うからです。
中国縦貫自動車道でお亡くなりになった3台のフェラーリ様、安らかにお眠りください。天国では、日本の道路ではなくアウトバーンを心ゆくまで走ってくださいね。



ちなみに、私はフェラーリ様に対してだけではなく、日本の道路を走らされている全てのポルシェ、ベンツ、BMWアウディの皆様に対しても、「一生100キロ以上では走れない(故郷のアウトバーンでは走れるのに)」悲劇の運命を共に嘆くものであります。