ギリシャがユーロを離脱するかどうか、個人的感覚的及び独善的に考えてみることなど。


早春の風物詩花粉症の季節が終わって、花粉と共に去っていったかと思われていたギリシャ危機&ユーロ危機」が、初夏を迎えてまたぶり返しているようです。ヨーロッパは5月6月7月が、1年で一番美しい季節なのですけどね。リアルな病気でも「ぶり返し」の場合は、症状の急激な進行が見られるところですが、このギリシャとユーロの「病」も、3月の時には殆ど聞かれなかったギリシャのユーロ離脱」「スペイン、イタリアに危機が飛び火」という過激な症状までが取り沙汰され、それが日々現実の症状になっているという・・・。3.11後に、「これは何かの間違い、これは夢かも、現実のはずがない」という思いで、福島の原発事故をテレビを見ていた頃の感覚に似ているかもしれません。
ギリシアではユーロ離脱を見越して、もうこっそりドラクマ紙幣が刷られているとか???


ギリシャがユーロを離脱する/しない」、という両方の予想を毎日のように新聞でふむふむと読みつつ(つまりどちらの観測にもふむふむと納得してしまうという知見の無さ!)、経済と政治と国家間の駆け引きとは全く無関係の、「嘗て『ユーロ圏』で暮らした思い出」を徒然に辿って、ギリシャがユーロを離脱するかどうか、を私の個人的感覚及び独善的に考えてみたいと思いました。


2002年以前にヨーロッパを旅行したことがある方なら、思い出してみてください。
ヨーロッパの中で、ドイツからフランス、フランスからイタリア、と移動する度に「両替」がついて回っていたことを。
空港や駅では「CHANGE」という看板を何はともあれ見つけねばならず、そこが混んでいて貴重な時間をとられたり、レートを気にしつつ総額幾ら両替するかに頭を悩ませ(週末に現地通貨が足りなくなると悲惨でした)、「手数料」(!)に腹をたて、お買い物する時にはいちいち電卓で円に換算して、前の滞在国の小銭はもう使えず(小銭は「両替」してくれなかった)空港や機内で「寄付」するしかなく・・・etc、 というように、「両替」に多大なる労力を使い、ストレスがありませんでしたか?
1980年代に私が学生でヨーロッパを旅行した時は、まさにそういう状況でした。トーゼン、ドル建ての「トラベラーズチェック」を握りしめての旅行でした(当時は花の女子大生だったのでさすがに腹巻きには入れませんでしたが)。

それがそれが。
2004年に夫の駐在でドイツに行った時、それはEURO導入後2年目だったのですが、ヨーロッパの国境は消滅していました。ドイツからフランスやイタリアに行く時に、一切「両替」の必要が無い訳です。レートを気にする必要もないのです。ユーロ圏内では、同じ紙幣、同じ硬貨が使える、というのは、これは実際に経験してみると、通貨がバラバラだった以前の状態の方が不自然に思えてしまうほど、ストレス・フリーなのです。
ドイツ国内で広く使われている「EC Karte」という、銀行カードにデビットカードが合体したようなカードがあります。

(この銀行カードの裏は下のようになっていて)

(「EC(electronic cash )」というマークが付いています)

(このマークが付いているお店なら、ユーロ圏どこでも使えます。)
クレジットカードよりも普及しているかもしれません。クレジットカードとどこが違うかというと、まとめて引き落とされるクレジットカードと違って、使った金額が即座に銀行口座から引き落とされるという点です、チャージしなくていいSuicaPasmo、といった感じ。元々クレジットカード嫌いで現金払いを選ぶドイツ人にとっても、このカードは現金と同じ感覚で使えるのでしょう。私にとっては、ATMからお金を引き落とすカードを、同じくクレジットカードのように使うことは最初こそ不思議な感覚でしたが慣れてしまえば、これが便利なのです。EURO圏内ならばどこででも、高額のお買い物でも小額のお買い物でも可能なのです。この便利さは、一度経験したら元へは戻れない気がします。ユーロ圏内ならば国外に旅行する場合に、「通貨」「両替」「手数料」「レート」の心配をすることも、ストレスを感じることもないのですから。パリのルイ・ヴィトンで(別にヴィトンでなくてもいいのですがちょっと見栄はってみました)「500€」お買い物をしたら、即座にドイツの銀行口座から「500€」引き落とされるのです。ドイツに住みつつフランスのワインをネットショッピングで買う時でも、同じユーロ表示ですから、ドイツの近所の「Weinhandlung(ワイン販売店)」のワインの値段と比べて買うことができるわけです。ユーロ圏以外の外国人であり旅行者である私がそう感じるのですから、ユーロ圏住民にとっては、「ユーロ離脱」ということは、取りも直さずこの便利さを全て捨てることになるのです。でもその「元の不便な状態に逆戻り」と天秤にかけてでもギリシャ国民もしくはドイツ国民が「ギリシャのユーロ離脱」を望むということは、つまりそういうこと、「祭りは終わった、ユーロ導入は失敗」、ということなのでしょう。

このEC Karteに関しては、ドイツらしい思い出があります。
或る日、私は、「1.不在票が入っていた荷物の引き取り 2.値段の違う2種類の切手を買う 3.DVDを入れる緩衝剤付き封筒を買う」という、ドイツ語初心者には難易度が高いミッションをこなすべく、Deutsch Postつまりドイツの郵便局の窓口に並んでおりました。何とかドイツ語で意志を伝えることができて、EC Karteを使って支払いも済ませました。・・・そして約24時間後の翌日、自宅の近くのスーパーのレジでいつものようにEC Karte で支払いをしようとしたらば(EC Karteはどこでも使える「現金代わり」という感覚なので、普段殆ど現金がお財布に入っていなかった)カードがない!!!バッグをひっくり返して探してもカードがない!!!異国でカードを紛失してしまった!!!真っ青です!!!私の慌てふためきように、胡散臭い目で私を見ていたレジのオバサンも事情を察したようで、とにかく買ったものを横によけて、そのまま出て行けるようにしてくれました。普段はたてがみが生えている私の心臓は、文字通りバクバクでしたが、何とか運転して帰宅。で、「夫の仕事中には職場に電話はしない」という、結婚以来の禁を破って初めて、ドイツからパリに出張中の夫に電話しました。意外にも夫は冷静で、「そのカードの口座には今月の生活費しか入ってないからもう残り僅かのはずで(それで妻子残して海外出張行くか!という突っ込みはおいておいて)、万が一カードを悪用されても額はしれてる。今は出張中で銀行に電話することもできないから、とにかく心当たりを探してくれ。」とのこと。で、考えてみたら、カードを最後に使ったのは紛れもなく郵便局。再度バクバクの心臓を抱えて、郵便局まで車で爆走です。「最後に使ったのは郵便局に間違いないけど、落としたにせよ、忘れたにせよ、もう盗られちゃってるよね。」と思いつつ、必死の形相で窓口に突進。窓口には前日と違うオッサン、もとい、局員がいたのですが、私が「昨日、私はここでEC Karteで買い物をした。私はそのカードをここに忘れたと思う。」と言うか言わないかのうちに、そのオッサン、もとい局員が、「ああ、これ?」といった風情で、後ろの棚に無造作に置いてあった、私の愛しのEC Karteを差し出したのでした!!!ドイツ万歳!ドイツ人万歳!これが同じヨーロッパでも他の国ならば、ありえなかったでしょう、カードは盗られて、PINコードを盗まれて、ATMから現金を下ろされていたでしょう(銀行カードと一体になったカードなので盗られた場合のリスクは高い)。但し、余りの額の少なさに、がっかりされたとは思いますが。・・・でも私のカードは24時間の間、ドイツの郵便局の片隅の棚にひょいと置いてあったのでしょうか、金庫に入れるとか、引き出しに入れるとかじゃなく。何て大雑把なおおらかな、何て謹厳実直な国民なんでしょうか、ドイツ人は。



大幅に話が逸れましたが。
私がドイツに行ったのは2004年ですが、その2年前2002年1月1日にユーロが全面的に使えるようになった歴史的瞬間に既にドイツに駐在していた人も大勢いて、当時の感激を語ってくれたものです。文字通り2002年になった瞬間、ユーロが使えるようになったそうです。「新しい時代が来た!」のだと、誰しも感激したそうです(その後、ユーロ切り替えに乗じて便乗値上げもあったそうですが)。確かに、シェンゲン協定*1による、人の往来の自由化(平たく言うと、協定国間では国境でパスポート審査がない)と並んで、ユーロ導入は、「ヨーロッパは一つである」ということが、異邦人である東洋のオバサンにもわかりやすく実感できるものなのですね。特に、島国ニッポン、という、「国際線の飛行機に乗るだけで緊張する」「パスポート作っただけでドキドキする」「1セント硬貨でも外国の硬貨なら価値に関係なく有難がる」ような国の国民から見ると、国境を自由に超えて往来ができて、同じ通貨が流通しているヨーロッパは感動ものです。Wikipediaの「ユーロ」の項にも出ていますが、最初に作られたユーロ硬貨にはラテン語で、
EUROPA FILIORUM NOSTRORUM DOMUS ヨーロッパは私たちの息子たちの家である(←Wikipediaには、ジェンダーを配慮してか「われらの子たち」と訳されていますが、filioはラテン語では「息子たち」です)
と刻まれているといいますが、「ユーロ」というヨーロッパ共通通貨は、まさにその理念を形にしたものだったのでしょう、少なくとも出来た当時は。


さて、報道を見ていると、ギリシャでは厳しい緊縮策を迫るEU諸国のうち特にドイツに対する反感が国民の間に強まり、ドイツのメルケル首相をヒトラーになぞらえて非難しているらしいですが、

仮にギリシャがユーロ圏を離脱したとしたら、ドイツ人とギリシャ人は共にこれまでの「持ちつ持たれつ」の関係はどうなるか?と、私なんかは思うのです。「持ちつ持たれつ?」「勤勉なドイツ人は、怠け者のギリシャ人にこれ以上援助したくないんじゃないの?」「ギリシャ人は、経済ではヨーロッパで一人勝ちのドイツ人に反感を持ってるんじゃないの?」とおっしゃる向きもあるかもしれません。確かにケチなドイツ人にとって、自分たちがせっせと働いて納めた税金が、半日遊んで暮らしている(但し、イメージ)ギリシャ人の不始末の後始末に使われるとしたら、それは腹が立つことでしょう。でも、「腹が立つ」から「援助しない」となるかと言えば、そうは言えないと思うのですね。1990年の東西ドイツ統一のために、主に西ドイツの国民は莫大な「連帯統一税」という税金を払ってきました。西と東の格差を埋めるためのコストです。旧西ドイツの国民は、きっと一人一人は「典型的にケチなドイツ人」だと思いますが、全体としては「旧東ドイツをそのままにしてはおけない」という合理的判断をして、税金を払っているのでしょう(現在も進行中)。今回のギリシャ危機に関しても、ギリシャに腹を立てつつも、「ギリシャがユーロ圏に残留する」ことが合理的であるとドイツ人が思えば、ギリシャ支援策は行われるんじゃないの?ギリシャがユーロ離脱をするのを手をこまねいていないんじゃないの?と思ってしまうのですが。(←経済は専門外なので控えめに言っています)

ドイツに住んだ経験的感覚で言うと、ドイツ人はそもそも「暖かい南の国」(←ゲーテも大好きでした)「太陽」「海辺の砂浜に寝転がる」ことが大好きで、それを励みに、ドイツの寒くて長い冬を勤勉に働きながらやり過ごしている気がします。例えば、毎年イースターの頃、それはドイツの長い冬が漸く終わることを告げるものなのですが、ドイツの町には、夏のバカンスの広告が溢れ出します。テレビや新聞広告も同様です。そしてその広告で、太陽を渇望しているドイツ人を招いているのは、ギリシャであり、同じくヤバくなっているスペインのリゾート地であるマヨルカ島やイビザ島なのです。



ドイツ人の夏のバカンスは、とにかく「太陽」!!!格安エアラインに乗って、太陽の輝く南に行って、思いっきり夏を楽しむのです。そのギリシャマヨルカやイビザには、「ドイツ人村」というのがあって、日本人の海外パック旅行が「日本語だけでOK、ホテルの食事には必ず白いご飯とみそ汁がセットされている」のと全く同様に、「ドイツ語だけでOK、多量のソーセージとビール常備(←ドイツ人は食事に関しては極めて保守的)」というツアーが星の数ほどあるそうです。蟻さんのドイツ人はせっせと働いたお金を、キリギリスさんの国でバカンスを過ごして気前よく沢山のお金、即ちユーロを南の国に落とすのです。中には、別荘やコンドミニアムなどの不動産を買ってしまう蟻さんドイツ人も沢山いるそうです、勿論ユーロで。ドイツ人はケチ吝嗇、節約家で知られていますが、バカンスにはお金を惜しみませんし、「お買い得品」が大好きですから。
観光が重要な産業であるギリシャにとっては、逆にドイツ人はいいお客だと思います。そりゃ、ドイツ人観光客はよく食べよく飲みよく歌うかもしれませんが、そんなことより、彼らドイツ人は宿代にせよ、不動産にせよ、決して代金を踏み倒すことはないでしょうから。前述の私のEC Karteの話を持ち出すまでもなく、第一次世界大戦の時の賠償金を92年かかって2010年に完済した律儀なドイツですよ。代金をきちんと払うお客は、ギリシャ人でなくても大歓迎でしょう。・・・しかしそんなドイツ人が、ギリシャがユーロを離脱した後、以前と同じようにギリシャの島々の浜辺でバカンスを過ごす情景が、私には思い浮かばないのですが。「ユーロのお祭りが終わった後」ギリシャを、「トルコに行くのと同じ」と割り切って、ユーロをドラクマに両替して、ドイツ人はギリシャへバカンスに出かけるようになるのでしょうか?



ところで。
東洋人のオバサンである私が今勝手に心配していることがあります。
今まさに行われているUEFA EURO 2012(サッカーのヨーロッパ選手権)で、ギリシャとドイツが当たったらどうなるか?
ということです。可能性は少なくないのですよ。グループAに属するギリシャと、グループBに属するドイツなんですが、グループAの一位とグループBの二位、グループAの二位とグループBの一位は決勝トーナメントの準決勝で必ず対戦するのです!!!想像するだに恐ろしいそのような組み合わせにならないことを祈るばかりですが、もしかして、ギリシャの神々も、キリスト教の神も(カトリックプロテスタントギリシャ正教)、逆にそれをお望みかもしれませんね・・・。私自身(サッカー音痴ではありますが)サッカーは疑似戦争である、と以前のエントリーで書いたことがあるのですが、もし今ギリシャとドイツがサッカーの試合で相まみえたとしたら、お互いの国民感情がどう表れるか、怖いもの見たさの気持ちまで湧いてきてしまいます。

UEFA EURO 2012の準決勝は、ギリシャ国民が「ユーロ離脱」に向かうのかを占うギリシャ再選挙(17日)の数日後から始まります。