朝の連ドラ「カーネーション」は終わりましたが、「あなたの愛は生きています」

NHK朝の連ドラカーネーションが終わって一週間。再び我が家における朝の連ドラは「時計代わり」に戻りました・・・。もう朝7:30からのBS放送を正座して見て、8:00からも総合テレビも見て、時間があれば12:45からのお昼の再放送も見て、それでも尚かつ録画してあるw、という、翌日の展開が待ち遠しい楽しい日々は終わりました。

ヒロインの糸子役が夏木マリさんに変わってからは、テーマも変わった気がします。
夏木さんが演じたテーマは、「老い」そして「死」、だと思います。
いつもの「女の一生」的な朝ドラならば、少女時代から中年までを見事に演じきった名優尾野真千子さんがそのまま引き続いて最後までヒロインを演じても良かったと思いますが、この「老い」と「死」はやはり円熟の女優、夏木マリさんでなくては演じきれなかったのだと、全てを見終わった後、納得しました。
それにしてもこのテーマを朝ドラに持ってきた脚本家の渡辺あや氏はスゴいとしか言いようがありません。

理想的な「老い」や「死」の形は一つではなく色々な形があると思います。その中で、世間的に理想的な老後と思われているものに必ずしもあてはまらない老後を描いたところに、このドラマの真骨頂があると思いました。
世間的に理想とされている老後とは、
・夫婦で仲良く長生きする
・子供や孫と一緒、もしくは近くに住む
・穏やかな生活
・趣味や旅行に時間を使う
のあたりではないかと思いますが、糸子の老後は違いました。
・夫は戦死して長らく独り身
・三人の娘は東京とロンドンに暮らす
・家の改装、新しい従業員など変化の激しい生活
・いつまでも仕事一筋
でしたからね。
近々老後を迎える世代は勿論、数十年先に老後を迎える若い人たちに、この糸子の老後から学んでほしいだけでなく、今「老後」の世代真っただ中にいる方々にも是非学んでほしいことも多々ありました。それは、
・いつまでも子供や孫や周囲の人に愛情を「与え続ける」側であること
 糸子は何歳になっても、娘に「おかあちゃん、手伝うて!」と言われれば東京にも出かけて行き、孫娘の一人が不登校になってヤンキーになったならそれも引き受けるのですよね。お年寄りにありがちな「近頃の若いモンは年寄りを敬わん!」とばかり「与えられる」ことのみを求めるのではなく、「与える」喜びをいつまでも持ち続けること。実際にモデルとなった小篠綾子さんの生前の座右の銘は「与うるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉だったそうです。
・生涯、新しいことに好奇心を持ち続けること
 晩年の糸子が携帯電話を使っているシーンがありました。それまでの糸子の生き方を見てきたら納得できます、きっと「こんな便利なモン、使わんと損や!」と使い方を覚えたのだと思います。従業員も面子が変わりましたが、新しい人との関わりを面倒くさがらずに楽しんでいることの表れでしょう。


カーネーション」は多くの登場人物が死ぬドラマでしたが、それでいて「死ぬ瞬間の場面」はないドラマでした。糸子もまた、最期の場面はなく、夕日が差し込む病室のベッドで頬に一筋涙を流すシーンが生きている糸子最後の場面で、死ぬ瞬間は今までの数多の登場人物と同様に「シーン」としてドラマの中で描かれることなく、棺に入った糸子のもとに末娘の聡子がカーネーションの花束を抱えて帰ってくるシーンで、最終回の前日は終わりました。翌日最終回の放送ではいきなり糸子の死後のだんじりの場面から始まったのです、そして入る夏木マリさんの糸子のナレーション、
「おはようございます、死にました。」
↑ この台詞は朝ドラ史上に残る空前絶後の名台詞ですね。

そしてその後、糸子のナレーションで、娘である三姉妹の近況とそれぞれがそれぞれに「死んだおかあちゃん」を恋しがっているシーンがあった後、こう続きます。


うちはおる、あんたらのそば。空。商店街。心斎橋。緑。光。水の上。
ほんで、ちょっと退屈したらまた何ぞおもろいもんを探しに行く。


そして岸和田の病院の自動ドアが人もいないのにさ〜っと開くシーン。「ああ、本当に糸子はいるんだ、目には見えないけれど。」と思わされました。
この半年続いた朝ドラの最後のシーンは、かなり高齢の女性患者が、車椅子に座って朝の連ドラ(それが何と「カーネーション」!)を見ている後ろ姿で終わるのですが、私はこの最後のシーンに唸りながら泣いてしまった、というか泣きながら唸ってしまいました。
その後ろ姿の高齢の女性患者は、糸子の幼馴染みの「奈津」、老いた奈津、ですよね。
あの美貌でならした奈津が老いて、そしてそこにいました。ここで奈津を持ってくるこの脚本スゴすぎ!
(ついでに、江波杏子さんを、晩年の奈津役にしたのも、素晴らしい配役でしたよね。)
ヒロインの糸子は死に、糸子の幼馴染みの奈津は老い、そしてドラマが終わるかと思いきや・・・。
そこで第一回の放送で、子役の二宮星ちゃんとと尾野真千子さんが二人で歌うシーンが出てその後に、この半年の間ドラマの回数と同じだけ聞いた椎名林檎の歌う主題歌が、名場面と共に流れる、という、これは「カーネーション」ファンならば必ず号泣してしまう最終回の最終場面でした。
思えば、夏木マリさんの糸子になって、ヤンキーになりかけていた孫娘とやたらNHKの朝ドラ(昭和61年の「いちばん太鼓」)を見るシーンがあると思ったら、単にNHKの宣伝ではなく、この「朝ドラ」というキーワードが最終回への布石になっていたのですね。もう、本当にどれだけスゴい脚本なんでしょう!
生前の糸子自身に平成17年の「ファイト」を見ながら
「せやけどウチの話もドラマにならんかいな!」
と言わせ、
死んだ後のだんじりの日のシーンで優子に
「何か今、テレビ局の人が来よってな・・・。」
と言わせ、
老いた奈津がまさにその朝ドラを見るシーンを最後の最後に持ってきて、
そしてこのドラマの初回のヒロイン二人(尾野真千子さん&二宮星ちゃん)の歌、そして椎名林檎の主題歌で終わる、
この、用意され、計算され、そして最終日で初日に回帰するという、完成された様式美にしびれてしまいます。


ずっとどうなるのか楽しみにしつつ、「渡辺氏に見事に裏切られたい」、という思いも持っていた、

この「カーネーション」という花の名がタイトルである意味が、最終回までいってどう説明されるのか?

という、私のかねての疑問ですが、最終週のサブタイトルを表す花は勿論カーネーションでありその花言葉は、
「あなたの愛は生きています」
でした。カーネーションと言えば誰もが思い浮かべる花言葉「母への愛」とか「感謝」だと思うのですが、このドラマの最終週を表す花言葉としてはどんぴしゃりの直球である「母への愛」とか「感謝」というよく連想される花言葉を使わずに「あなたの愛は生きています」という花言葉花言葉って一つの花でも沢山あるんですね)を使ったのには、裏切られて本当に嬉しかった(もはやマゾ)です。
カーネーションの花束が使われたのは、このドラマの中では以下の三回だけだと思うのですが、見落としがあるでしょうか?
・夫の勝が糸子に事実上のプロポーズをしにやってきた時に、真っ赤なカーネーションの花束を持ってきたシーン
 (糸子はその後心斎橋で勝の見立てでカーネーションの刺繍が鮮やかなショールを買ってもらい、出征する勝を見送る時にわざわざそれを羽織っています。)
・北村が、カーネーションの花束を持って、事実上の告白である「東京へ進出しよう」と誘いにきたシーン
(この「北村」という存在は、実際にモデルの小篠綾子さんにいたという愛人の存在を、ドラマ上で「周防」と「北村」の二つの人格に分割したうちの世俗的な部分を担う一方ではないか、と思うのですが。)
・最終回の前の回、糸子の訃報を聞いたロンドンの聡子が「母の日」のカーネーションの花束をそのまま持って岸和田の家に帰ってきて、棺の中の糸子にその花束を手向けるシーン
このたった三回だけの「カーネーションの花束」のシーンを思い出す時、やはり最後の花言葉
「あなたの愛は生きています」
しかなかったのだと、今更ながら納得させられました。



放送が終わってしまって正直抜け殻のような毎日ですが、先日未練たっぷりにNHKのサイトを漁っていましたら、渡辺あや氏が「番組紹介」で脚本家として語っている中に次のような言葉を見つけました。

一輪の花のような毎日の15分が、やがて大きな花束となって、抱かれることができますように。あの花の意味が、時間も場所も立場も超えて、届きますように。

或る意味「カーネーション」は、「朝ドラ」という一日たった15分だけのドラマができる最高のことを表現し、表現によって伝えられる最大のことを、2011年から2012年にかけての日本全国の人々の心に与えたのではないかと思いました。