「Story」に載っていた林真理子氏の文章を読んで 雑感

つい先日のこと。
美容院で膝に載せられたのは、「Story」というヘビー級に重い雑誌でした。この雑誌は、「J J」という昔懐かしいバブルの頃に一世を風靡した女子大生向けの雑誌と同じ出版社が出している「40代女性」(「40代にもなってファッションも振る舞いも、嘗てのカタログ雑誌「J J 」に毛が生えたような雑誌如きを参考にしなければならない一部の40代の女性」とも言えますが。)を対象にした雑誌らしいですが*1、そもそも「J J」という訳のわからないネーミングは、やはり同じ出版社のDQN女性週刊誌「女性自身」の頭文字(Josei Jishin)から来ているそうですが、それはまた別の話。その「Story」の何月号だったかは失念しましたが、林真理子の最近の連載を読んで、場所もわきまえずに(と言っても美容院ですが)私は思わず「ありえない!」と呟いて(←Twitterでなくリアルに)しまいました。その連載の内容を私の記憶で再現すると(改めてオリジナルを探す気もしませんし、ましてやこの雑誌を買う気にならないので)、

芸能人ばりの結婚式を挙げた林真理子氏の夫君は理系でメカやITに強いらしいのだが、林真理子氏は自称メカに弱く、携帯電話もやっと最近になって使いこなせるようになったとか。そうしたら今度はスマートフォン。「スマートフォンの機能が本当に必要か?」「スマートフォンなど使いこなせなければ持つことはない」「パソコンもお金を払ってインストラクターに教えてもらったが、結局は使いこなせない。」とのこと。林真理子氏にとっては、「スマートフォンもパソコンも必要ないし、大事な時間を奪うものである。」らしい。「原稿もパソコンで書くと無駄に長い文章になるから、手書きがよい。」「パソコンをやっているとすぐに2、3時間が経ってしまって時間が勿体ない。」という氏は「Story」読者諸姉にこう勧める、「パソコンを閉じてもっと有意義なことに時間を使おう。」

人間、歳をとるとはこういうことなのでしょうか?
彼女は嘗て80年代、「コピーライター」という新しい職業を代表する女性でした。当時はまだパソコンこそありませんでしたが、NECワープロのCMに出ていた彼女です(その名も「文豪」だったような?)。

(↑ 検索したらありました!これでした。)
あの時代の先端を行っていた彼女が、PCどころかスマートフォンどころかガラケーさえ使いこなせないなんて、しかも読者(と言ってもこの雑誌の読者なので知れていますが)にも同じく、ITに対して消極的な態度を勧めるとは。些か悲しい気持ちになりましたね。

まあ彼女を支持する人もたくさんいて、それは人それぞれなのですが、他人事ながら私が危惧するのは、今「若い娘を持つ親」というのは、大袈裟に言うと、「今まで人類が経験したことのない環境での子育て」に直面しているのである、という事実を、中学生の娘の母親でもある賢明なる林真理子氏はわかっていらっしゃるのか?ということです。
つまり、
自分たちが若い頃にはなかった(夢のような)IT機器に囲まれている環境に娘が置かれている
ということです。かつて氏がCMに出られた「文豪」に代表されるワープロは画期的な製品でしたが、「手書きからワープロ」への移行よりも、今の子供たちが置かれている状態はドラスティックなものなのです。
林氏がスマホやPCを好きか嫌いかに拘らず、親という立場にいながら、子どもが置かれているこの時代から撤退してしまっていいのでしょうか?
林氏の娘は都内の私立中学校(女優の黒木瞳氏の娘と同級生だそうですが)に通っていると聞いたことがありますが、ならば、林氏息女は当然最低でもガラケーは使いこなしていて当たり前、もし今は持ってなくてもそれがスマホになるのは時間の問題です。「学校の授業で必要だから」とすぐに彼女専用のPCも買わされることでしょう。そして、学友の多くは既にmixiFacebookやっていると思いますし、最近は中学生のTweeterer(ツイッターをする人)も珍しくありません。林真理子氏の若き時代(私の時代もです)は、家の電話で友達と喋っていたら、母親に「長電話するんじゃありませんっ」と叱られたかもしれませんが、最近の中高生は「パソコンで調べものしているの〜」なんて言いながらキーボード、かちゃかちゃ打っているかと思ったらスカイプでチャットしていた(しかもその相手は誰が親にはわからない!)、なんて時代なんです。林氏が嫌うスマホたった一台で、娘は親が監視できない世界のどこまでもいける時代なんですよね。それなのに「パソコンを閉じて」なんて・・・。それは、自分の苦手意識をそのままにして、親としての責任や務めからも撤退しているように私には思えます。

スマホやPCを自分も使った上でネットの世界を知って親の立場で子どもにアドバイスする、
ということが今の親には、(前述したように大袈裟に言うと)人類史上初めて求められているのではないでしょうか。例えばTwitterは馬鹿発見器」と言われているように、まだネットの世界をわかっていない未成年の生徒や学生が飲酒や無免許運転Tweetして炎上、という事例はゴマンとありますし、一度ネットに出してしまった情報は後から自分が消しても永久にネットの中に残っている、ということを教えるのも(子どもの方がよくわかっている場合は良いですが)現代の親の務めではないかと思うのです。
現に、林氏も、そして林氏の令嬢と同窓になる民主党蓮舫元行政刷新大臣もそうですが、自らが若い頃に撮った写真、私ならば我が子には見せたくない種類の写真がまだウェブ上に残っていてそれは永久にこの世の終わりまでCloudの中を漂い続けることをご存知なのでしょうか?
一般人でも同じですが、特に有名人の子弟は、ウェブ上の発言や軽い気持ちでのせたプリクラなどの写真が、マスコミに如何様にも利用される可能性が高く、しかもそれはウェブにのせた本人の責任になる、ということを、林氏なり蓮舫氏は教えなくてはならないのでは?

私の親の世代を見ていると、テレビと新聞と総合雑誌が情報の全て、です。ですから、AKB48の女の子たちを見て、
「みんな今どき珍しいくらい清楚で、若いのに一生懸命頑張っているのよね。」
と無邪気に言ったりします(実母の発言です)。テレビでしか彼女たちのことを知らないので、彼女たちが際どい写真やPVを撮っていることなど知らないのです。デジタルデバイドとは、本来は貧富の格差によって、インターネット上の情報が社会的な格差を拡大、固定化する現象のことを指すのだと思います。高齢者も林氏も決して「貧しい」側ではなくて、それどころか「豊かな」側にいるにも拘らず、自ら情報を遮断してしまっているように私には見えます。数年後、ネットを使いこなす「デジタル・ネイティブ」の世代が世の中の主流になった時にも、それを無視できるのでしょうか。

嘗て林氏が「コピーライター」という職業で以て、素晴らしい広告を幾つも世に送り出した時、「たかが広告ではないか」と非難し懐疑的な見方をした世代もあったわけですが、しかし紛れもなく80年代、新しい流れは「広告」の中にありました。まだ形も定まらず命名もできないけれども、若い世代の生き方や考え方を現す流れは、その中に示されていたのです。今はそれがネットです、紛れもなく。スマホもPCも単に「便利な機械」なのではなく、それを毎日分身のように使っている世代の生き方や考え方を方向付けるものです。

かく言う私も、デジタル・ネイティブの世代から見れば「立派なオバサン」ですし、「じゃあ、オバサン、スマホやPCを使いこなせているか?」というと疑問符「?」が10個くらいつくと思います。けれども、私は自分の子どもも含めた時代の流れを理解したい、理解しようとする姿勢は持っていたいと何とか踏ん張っている今日この頃、林氏の文章に感じたことを書いてみました。

*1:更に最近ではその上の世代、「50代の女性」をターゲットにした雑誌(萬田久子氏が表紙を飾っている・・・)も出ているという恐ろしさ!