今日の朝日新聞は「秋入学」に関する記事オンパレード

今日の朝日新聞(東京本社14版)オピニオン欄(16、17面)は「秋入学」に関する記事オンパレードで、

「インタビュー」欄では
秋入学 京大は 
「時期変えるだけで国際人は育たぬ 入試改革の方が先」
「意欲や創造性を高校と連携し評価 点数偏重から脱皮」
という見出しのもと、京都大学総長 松本紘氏のインタビューを載せ、
その下の「組織の読み筋」欄では
秋入学 受験市場の「慣性」を破壊する
という見出しで、一橋大学商学部長の沼上幹氏のコラム、
そして社説の下の「記者有論」欄では、
大学の秋入学 進学も就職も「一律」排せ
という見出しで、朝日新聞社会部記者 仲村和代氏のコラムが載っているという、偶然にしては豪華すぎる紙面でびっくりです。

上記の三氏の意見を私なりに整理すると

京大総長松本氏
「秋入学だけでは国際化できない。英語の講義を増やすこと、入試改革が優先されるべきである。」
一橋大商学部長沼上氏
「秋入学の効果は不確実だが、制度を変えることが変化をもたらす。」
社会部記者仲村氏
「秋入学一本化ではなく、様々な選択肢があるべきである。」

ということになるでしょうか。更に乱暴に要約すると、
松本氏と仲村氏
「秋入学にすれば全てが解決するということはない。」
沼上氏
「秋入学賛成」
でしょうか。沼上氏の意見の要約は、不肖私が記事を3回読んでやっと読み取った結論なので悪しからず。

さて、秋入学の是非に関する議論で一番に挙がる論点は、「グローバル化」よりも「ギャップ・イヤー」です。
東大の用語では「ギャップ・ターム」、これは和製英語だそうで本来は「ギャップ・イヤー」についてですが、身近に大学生がいる身としては先ず素朴な疑問があって、

ギャップ・イヤーの間は「学割」はあるの?進学予定の大学から「学割」交付してもらえるの?

と思っていたのですね。つまりその間の「身分」はどうなるのか?という疑問です。それまで高校の生徒証でTSUTAYAでCD借りて、定期範囲でバイトを探し、学割もらって部活の遠征や遠方に旅行していた高校生が、高校を卒業した後どうするのか?「高校生以上大学生未満」の若者の生活、身分をどうするのか?それに関して京大総長松本氏は、

未成年の若者を高校生でも大学生でもない、何の身分もない状態にしておくのはよくない。私は、そんな時間があるなら、4月から入学させて、高校で身につけられなかった知識の欠落を埋めるための補習を大学の責任において実施したり、その一環として海外の提携大学に留学させたりするシステムを検討したいと思います。

と述べていて、東大が「高校卒業から秋の入学までの時期を『ギャップターム』と称してをボランティア活動や短期の海外留学などの活動に充てる」ことを想定していることに対して

半年の自由時間を与えられたら、おそらく高校卒業生の大多数は、アルバイトをしてお金をためたり、短期の海外旅行をして終わりでしょう。海外の大学に留学できるのは、経済的余裕のある子弟だけではないでしょうか?

と述べていて、極めて現実をよく理解されていると思いました。大体、留学は勿論のこと、ボランティアに行くのにも、語学や資格の学校に通うのにももお金が必要ですから、「親には無限に負担はかけられないから先ずアルバイトでお金を貯める」というのが普通の成り行きになるのではないでしょうか。秋入学制度になって3月から9月までの間、50万人超の「高校生以上大学生未満」がアルバイト労働市場にどどっと溢れ出したらどうなるのでしょうね?推薦入試のない東京大学では問題化していないでしょうが、現状でも秋に推薦で大学が決まってから入学する春まで時間を持て余してアルバイトに勤しむ高校生も多いのですが。それが大規模になって国中に溢れることがグローバル化なんでしょうか?

一橋大商学部長沼上氏の論じ方には、私は違和感を感じずにはいられないのですが、ご専門の経営戦略論に即して、というか無理に引き寄せてこの「秋入学」を論じていらっしゃるのですが、それがはっきり言って「ウザい」のです。例えばこんな調子です。

いま、他の大学と「競争」しながら、学生という「顧客」に大学教育という「サービス」を提供している組織として大学を捉えるなら、9月入学への制度変更は大学教育という「成熟産業」に大きなインパクトをもつと考えられる。

影響を受ける学生について「顧客」以外の言及がないのも大変残念なことですが、秋入学に伴う「ギャップイヤー」について沼上氏は

成長ポテンシャルの高い若い学生たちに数ヶ月間という長い時間を費やさせるのだから、大学の責任は重い。

と述べながら、大学が主体的に何をすべきか、ということは示されず、「秋入学という破壊力抜群の制度改革」(沼上氏)によって、「受験市場が反応する時期が来る」(沼上氏)と、まるで傍観者のように述べているだけなのですから。市井の学者でいらっしゃるのならそのような言い方もあるでしょうが、いやしくも一橋大学に属する大学人(しかも看板学部の商学部長)ならば「供給側」(沼上氏)としての 具体的意見を明らかにすべきでです、せっかくのコラムなのですから。また沼上氏の言う「市場」には予備校も入っているようですが、予備校という私企業が国立を含む日本中の大学受験「市場」で大きな存在感を持っていることについての疑問というか知見はないのでしょうかね?


つい先日、私は予備校の「経営戦略」に驚嘆してしまったのですが、駅で偶然見かけた広告(それを帰宅してネットで探したのが以下)

Benesse お茶の水ゼミナール 海外大併願コース

これを見て更にネットでちょっとググってみたら、

海外大学併願という選択肢を視野に早期からの使える英語対策が、将来の可能性を広げる!
東大「秋入学」全面移行構想・・・どんな対策を選ぶ?
新中学1年生の 可能性を広げる新しい提案
グローバル社会を見据えた  東大にとどまらない可能性の素地を

もうあっぱれ!というしかありません。高校や大学に比べて何と素早い対応力!すぐに他の予備校も追随すること間違いなしですが(「市場の慣性」ですもんね)、この方向に進むことは、以下の問題を孕んでいると思うのですね。

・「東大とハーバード大併願」「一橋と名門リベラル・アーツ大併願」して、両方合格したら、どっちに進学しますか?当然、ハーバードであり名門リベラル・アーツ大でしょう?ハーバードやアマースト蹴って東大や一橋には行きませんよ。???でもそれじゃ東大も一橋大もちっともグローバル化しないじゃない?、それどころか「世界に通用する人材」が国内の大学から海外に流れてしまわないんでしょうか、「秋入学」をぶち上げたばっかりに。
・しかも、頭の出来具合の良し悪し、努力の多い少ないに拘らず、こういう「海外大学併願」という選択ができること自体ごく限られた富裕層の子弟に限られる

ということです。まあ沼上氏の経営戦略論を真似てみるわけではありませんが、「秋入学」は予備校のビジネスチャンスを増やしているだけ、のような気がした広告でありました。
数多の経済人を輩出してきた*1一橋大学だからこそ、そしてその中で看板学部の商学部だからこそ、学部長である沼上氏には、この秋入学の議論を「ビジネスチャンス」(←私は比喩的意味で使っています)として、これからの日本経済を背負って行く人材を他ならぬ一橋大学でどう育てていくのか、を提案して頂きたかったですし、また今までの「慣性が破壊される」というのならば、文二も京大パラ経もそして最大のライバル慶応の経済学部も蹴散らすだけの新しい「サービス」(私自身は大学教育を「サービス」と捉えてほしくありませんが、沼上氏がそう書いていらっしゃるので)を千載一遇のこのチャンスに一橋大商学部がどう生み出すのかを、「顧客」(同、沼上氏)に示してほしかったと思いました。


さて、朝日新聞記者の仲村氏本人の責任ではありませんが、いや、本人の名前入りの記事なのですから本人の責任なのかもしれませんが、世間一般では「朝日新聞の入社試験を受けて採用された」というだけで「エリート」(←嫌な言葉ですが)と看做されるのであり(しかも「就職氷河期をものともせず」「女子でありながら」「カナダ留学」「留学帰りなのに留年せず」ならプレミアム付きエリート!ですよ)、仲村氏の記事の前半は例外的にハッピーな個人例で世間一般的には読めたものではないのですが、後半部分は全く同感であり、その部分を仲村氏の体験も交えてもっと詳しく書いてほしかったですね、記者として。曰く、

北米の大学は9月入学が主流だが、他の時期にも入学を認めるところが多い。授業は学期ごとに完結し、単位をそろえやすい。転学も一般的だ。寄り道しても、「空白」ととらえられることもない。
「春も、秋も」入学できる選択肢があれば、学ぶ側の機会は広がる。1学期だけ休学して旅に出たり、学費を稼いだり。逆に早く卒業したい人もいるだろう。多様な学生がいれば、大学は活性化する。

↑ここの部分をもっと具体例を出して書いてほしかったです、朝日新聞を読む多くの読者が目にする影響力のあるコラムなんですから、例外的な個人の経験ではなくて、日本にない柔軟なシステムについて。
仲村氏に書いてほしかったのは、例えば合衆国大統領バラク・オバマ氏のこと。オバマ氏というと「ハーバード大学」のイメージ、良く知っている人でも「ハーバードは大学院で大学はコロンビアじゃなかったっけ?」という知識だと思いますが、彼がハワイの高校を卒業して入学したのは、西海岸にある「オキシデンタル大学」という単科大学です。私は不明にしてこの大学の名前を知りませんでした。その単科大学から「コロンビア大学」に「編入」したのです。当然、オキシデンタル大学で取得した単位は全部ではないかもしれませんが相当部分コロンビア大学でも認められたのでしょう。そして、彼が「ハーバード大学ロースクール」に入学したのは、「コロンビア大学」を卒業してから実に5年後です。ギャップイヤーと呼ぶには長すぎる時間ですが、その間企業やNPOで働いたりして経験を積んでいるのですね。こういう風に教育の「厚み」を持っている人物と対等に外交で渡り合える人材を、日本の大学は生み出していかなくてはならないのでしょうけど、まあその問題は置いておいて。
仲村氏の主張「『春も、秋も』入学できる選択肢」「学期ごとに完結する授業」ということに関しては、京大総長松本氏も

わざわざ入学時期を変えなくてもいい。現在は前期、後期の2学期に分かれているセメスター制を、1年をクオーター制にし、始業時期を変更すれば、空白時期をなくすことができるので留学が容易になります。

と述べています。「秋入学」に移行するより先にそういった単位取得のシステムを是正して初めて海外大学並みにシステムが追いつくのですから、真のグローバル化というのはそれから、だと思います。となると、道は遠い・・・気がします。


前掲の、東大の秋入学移行をお商売の種にしている塾の広告のターゲットは「新中学1年生」でした。ついこの間中学受験が終わってほっとする間もなく、今までとはまた全く別のモチベーションを要求されて「東大・海外大併願」をするためにこれから勉強する(させられる)のでしょうか?
一方、現在進行形で日々行われている大学入試、高校入試を受けている受験生は逆に「何言ったって自分たちが大学生になる時には関係ない」と冷ややかに感じていることでしょう。


受験生の立場に立った改革ならば、どんなに困難なものであれ賛成したいと思いますが、徒に受験生を翻弄するだけならば慎むべきなのではないか、と思った今日の紙面でした。

          

*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/一橋大学の人物一覧  ←素晴らしい!!!