「ほめる子育て」に異議あり、NHK朝いち「人生を変える驚異のほめパワー」を見て


今朝のNHK朝の情報番組「朝いち」で、

イチおし 人生を変える驚異の“ほめパワー”

というのをやっていました。

要は、子供は勿論、夫も、妻も、部下も、ダイエット中の人も、お年寄りも、鬱気味の人も、

「ほめることによって、子育ても夫婦関係も職場の人間関係もダイエットも認知症予防も鬱病改善も、上手くいく」

という、いいことずくめらしいのですが、まあ、他の事例は私にはわかりませんが(特に「夫をほめる」なんて、テレビに教えてもらうことですか?)、こと「子供をほめる」ことに関して子育て経験者として、一言言いたいことがあります。

ほめる子育て、が子供にストレスを与えていることも事実である

そして、

ほめるだけの子育て、は考えものである

と言いたいですね。
と申しますのは。
今を遡ること一体何年前?今大学生の息子が小さい時、若い母親だった私は「ほめて育てる」ということをやっておりました、それは一種子育ての中の「流行」だったかもしれません。今日番組に出演していた某女性タレント(彼女がやはりNHKの歴史バラエティ番組で、「好きな戦国武将は誰ですか?」と聞かれて、一度ならず二度までも坂本龍馬です♪」と答えていたのを見た時に思わず経歴をググってしまったことがありましたが)が、彼女が彼女の3歳の娘にしている(と番組内で言っていた)のと同じように、息子が人参を食べただけで、「えらいね!人参食べられたね(×食べれた)!」と頭なでなで、ほっぺくちゅくちゅしていました(←今、これ書いてて信じられませんが)。積み木を三つも積むことができたら、「すごく高く積めたね!」公園のベンチからジャンプできたら、「すごいジャンプね!」三匹の子豚のジグゾーパズルを一人で完成させたら、「えらいね!一人で全部作ったのね!豚さんたちも喜んでるみたい!」(本当に書いてて赤面します)とほめまくっていました、はい、私も若かったです。
さて、たまたま幼稚園にも小学校にも自宅が近かったので、当時息子の友達がよく遊びに来ていました。その時気付いたのですが、何人かで遊んでいても、一人で抜け出して、
「◯◯くんのママ(注:私のこと)見て見て!ボクこんなに上手に△△できたんだよ!」
と私のところに言いにくる子供がいるということ。否、たくさんいるということ、に気付いたのです。オトナにほめてほしいのです、家でママにいつもほめてもらっているように。そして私が「スゴいね!」と褒めてあげると、安心したようにまた友達の輪の中に戻っていくのです。その頃でした。息子が小学校低学年の時の先生がこういうことをおっしゃっていました。

「今までご家庭で、何をやってもほめられて育ってきているからでしょうか。教室でも、何かにつけ私の評価を求める子供が多い気がします。ただ、学校という場は集団で成長する場です。ご家庭では、「◯◯ちゃん、走るの早い早い!」とほめられていても、学校にくると、走るのがずっと早い子が何人もいるわけです。勉強もそうです。学校は、自分よりもできる友達がいるのを認めなくてはならないところです。何でもほめられて育った子供にとって、それは少々辛いことです。『ほめる子育て』は必要かもしれませんが、お子様のために、よく考えてほめてあげてください。」

というような。
本当にその通りだと思い、それから「ほめる子育て」から軌道修正しようと思ったのですが・・・。こちらが軌道修正(ほめ過ぎを慎む、ということ)をしようとしても、息子が「ほめられること」を要求してくるのには、正直困りました。そりゃそうですね、息子の立場からすれば。今まで何やってもほめてもらえたのに、いきなり「仕分け」されてしまうなんて。今日の「朝いち!」のウェブページによると、

脳科学的・心理学的な研究が進み“ほめパワー”の実態が明らかになりはじめています。「ほめ」は人間にとって食欲や性欲と同等の最高のご褒美であると考えられることや、強迫観念を減らし困難を乗り越える力を高めてくれる事が明らかになりました。

その通りで、ずっと「最高のご褒美」を味わってきた訳ですから「三つ子の魂百まで」じゃないですけど、幼少期にほめまくった影響は消えませんでしたね。
ところで、子供というのは、友達の家族構成など知らないまま友達になるのでしょうが、不思議なことに、第一子である息子の友達は同じく第一子が多くて、私の統計的な根拠のない感覚だと、第一子というのは、やはり親も気合いが違うのか、「ほめて育てられている」お子さんが多いような気がします。独断と偏見で、「第一子、ほめられまくって育った子」のプロファイリングをしてみますと、


・やたらプライドが高い
・他人の評価を気にする
・故に、ランキングが大好き。塾や模試の順位を気にする。
・「負けること」、「負けを認めること」に慣れておらず、現実に「負け」に向き合わねばならない時に、目を逸らそうとする
・故に、或る意味いつでも楽観的、ポジティブ人間。
・しかし、その自信には根拠はない、あるとしたら幼少期の「褒められ」体験?


ということになるでしょうか。まあ、ウチの息子の性格、そのまま、です。ポジティブなことだけは保証付きです。
もう随分前にこの本↓を読み、作者はあまり好きな人物ではなかったのですけれど、悉く同意した「若者像の分析」だったのでした。

若者のリアル

若者のリアル


一方、次男、三男、はたまた第二子の友達はまた違っていたと、またしても統計的根拠もなく、ただ息子の友達の顔を思い浮かべながらそう思っています。親も第一子の時ほどの気合いが入っていないからなのか、第二子第三子は第一子と違って「親のほめ言葉」を独占できなかったせいなのか、彼らが「ほめてもらうこと」を他所のおばさん(注:私のこと)までに求めてくることはなかったと思います。兄/姉がいる、ということは、必然的に生まれたその瞬間から、自分を客観視(!)せざるをえないということでしょう。「兄は自分より走るのが速い」「姉は自分より字がきれい」なのは当たり前でも、当たり前だからこそ認めなくてはならないし、当たり前だからこそたまさか彼らに自分が勝つことがあれば、それは無上の喜びなわけで、そして更にそれは「親の無責任な根拠のないほめ言葉」よりも、ずっとずっと「生きる力」になるのではないでしょうか。スポーツ選手や、困難な研究を成し遂げた学者には、第一子でない人が多い気がしませんか(と言ってる私も第一子なのですが)?そして親が子供に与えるべきなのは、この「生き抜いていく力」ではないかと思います。


無条件な親の愛情、無償の親の愛情、これが子供にとってとても大事なことです。けれどもそれが根底にあることを条件として、

「無責任にほめる」子育てには賛成しかねる

と申し上げましょう。
人参が食べられたくらいでほめてはいけません、ていうか、第二子、第三子になるとそれくらいではほめてはもらえませんよ。「ほめること」よりも大事なのは、寧ろ
「結果を恐れずに挑戦したらそれを認めてあげること」
かもしれません。そして、
「再度挑戦することを励ましてあげること」
ではないでしょうか、子供ひとりひとりにとっても、この社会にとっても。
ほめる、よりも、認める、励ます、
だと思います。

我が家はもう手遅れですけれど(「子育て」は一期一会、やり直しはききません)、もし今「ほめる子育て」をしようとしている若いママたちに、一言言いたくて。