「暑さ」は我慢できる、「秋」の日本を見たくない

これほどまでに暑いと、国の将来を、それも近い将来を左右する大事なことが目の前で行われていても、眺めているだけ、という状態。
たった1年前の今頃は、総選挙の投票日直前でそれは激しい選挙戦だったのに、あの夏の日の政治の熱気、というよりは何かに取り憑かれたように民主党を選んだ国民の政治への期待は今年は暑さの中に溶けていってしまったかのようです。っていうよりも、もし去年が今年のような気温だったら、長い長い選挙戦の中、熱中症で命を落とす人が今年どころの数ではなく遥かに多く出ていたのではないかと思いつつ。
政治のニュースで過去色々あったことも、暑さの中では遠い記憶になっていた今日この頃。
小沢一郎民主党幹事長の出馬宣言をニュースで見て、
「あっ、この人はこういう人だった」
暑さの中にも拘らず、むっくり改めて思い出した私であったのでした。
出馬宣言に際して、肝腎要の「鳩山氏から支持を貰った」ということを伝えるのに、この小沢氏という人物は、マイクの前でこう述べたのです。

鳩山総理と、総理とお話をして参りました。
鳩山総理からは、総理からは、お前が代表選の出馬を決断するのならば、自分としては全面的に協力し、支援していきたい、というお話を頂きましたので、今日ただ今、鳩山総理と、前鳩山総理の前で不肖の身でありますけれども、代表選に出馬する決意を致しまして、今後ともよろしくお願い致します。

*1
主語も述語も滅茶苦茶なのは、年配であるかあまり修辞に長けていない議員さんにはありがちなので、それは見逃すとして、
この短い発言の中で、一度ならず二度も「鳩山総理、前総理」と言い直しをしているのも、無神経なのか年齢のせいなのかはわからないけれども、ご愛嬌として(無理?)それも見逃すとして、


「お前」

「不肖の身」


というのは、この暑さの中でも見逃す、いえ、聞き流すことはできません。

軽井沢の別荘に、つい2ヶ月前に同時辞任した小沢氏を迎え入れて、
「小沢先生までお出ましをいただきました。」
という、いつもながらの訳のわからない敬語を使う鳩山元総理ですが、小沢氏、いえ、小沢先生のことを、
「お前が」
と言うだろうか?ということ。
言ったかもしれないし、言わなかったかもしれないですけど、「小沢先生」と軽井沢では持ち上げていた鳩山氏がいかにブレがひどい方だとはいえ、さすがに「お前」はないんじゃないかと思います。
ということは、小沢氏という人は、無意識にせよ意識的にせよ、そういう言い換えを平気でする人であるということなのでしょう。
自分の事を「お前」と鳩山前総理が言ったように装う、ということで鳩山前総理を持ち上げたつもりだったのか、その言語感覚は大ハズレでまさに「KY」(←言葉の賞味期限はきれてますが)。寧ろ、唐突で嘘っぽさだけが残りましたし、無意識にやっていたとすれば、単なる一政党の党首ならばいざ知らず、一国の総理に、こんなに言葉に無頓着な人がその地位についていいのでしょうか?そして、

「不肖の身」

とは何なのでしょうか?
最近暑くてネットばかり見ているので、少々品がなくても使ってしまいますが、

お前が言うな!

とはまさにこのことではないでしょうか?結局自らの「政治と金」疑惑で、自らが嘗て定めた、政治倫理審査会にも出席しないまま今日に至っている人物が口にする言葉とも思えません。

そして、あんなこともあった、こんなこともあったと思い出してみると。
昨年の11月、中国の要人が来日した時の小沢氏(当時幹事長)の言動も、それだけを取り上げてみても、総理大臣どころか、公の集団の長としては不適格だということが、わかった一件だったのに、私(たち)は、忘れてしまっていましたね、暑さのせい?
この時、幹事長として臨んだ記者会見の場ですら、天皇陛下に最低限の敬語さえ使いませんでした、小沢氏は。しかもどうやら、何か信条的にポリシーがあって天皇陛下に敬語を使わないのではなく(天皇制反対、とか)、どうも教養としての「敬語をつかう」ことに慣れていない、要するに「敬語が使えない」のではないかという疑念が湧くほどの酷さだったのですが。「30日ルール」を破って天皇陛下と習金平副国家主席との会談をセットしたことに関して記者が質問すると、所謂これは後に「恫喝会見」と言われることになるのですが、まさに小沢氏はこう答えたのでした。

それを政治利用って言うんだったら、内閣になにも助言も承認も求めないで、じゃ、天皇陛下個人で勝手にやんの?
天皇陛下ご自身に聞いてみたら、オレは必ず、『それは手続きが遅れたかもしれませんけど、会いましょう。』、私は必ず天皇陛下はそうおっしゃると思うよ。

いい歳した大人で、しかも政権政党の幹事長にある人物が、正しく敬語を使っているのは、「おっしゃる」だけで、まあこれくらいなら小学校低学年の子でも言うとして、「やんの?」「聞いてみたら」というのは、こういう人物が一国の総理になるのは、いくら猛暑でも悪夢過ぎる。政治家は言葉に責任を持ち、言葉で国民に語りかけ説得しなくてはならないのに、余りにもお祖末だったのでした、この方は。ご本人同様市井の一個人である私も、過ぎたことは忘れかけていましたけど。

この方の「言葉」に従ってついていく大半の民主党議員の方々にしても、あのレベルの「言葉」を操る人物を「国家のリーダー」にしようと担ぐのかと思うと、昨年民主党に投票しなかった自分を褒めてあげたいです。私なら未来を託して一票を投じた政治家が、小沢氏と共に朝貢訪中して、卑屈に胡錦濤中国国家主席と写真を撮ったり、鳩山前総理の軽井沢の別荘で「気合いだ!」と拳を振り上げて唱和していたら、自己嫌悪の余り出家してしまいますね。

でも、誰も言わないけれど(一応「選挙」だから当たり前?)、もう「数の論理」で結果は決まっているのでしょうか?秋以降の日本のリーダーは、もうほぼ確定なんですか?

さて。
7月の29日発行の、時宜を得た、というか時宜を得すぎた(?)西部邁氏著の、
小沢一郎は背広を来たゴロツキである。」という本が*2アマゾンから随分前に届いたそのまま積んであったのですが、暑さをものともせずこの本を紐解いてみると、小沢一郎氏について書かれた部分は(この本は色々な政治家の人物像について書かれている)まさに小沢氏像がこの上なく的確に論ぜられていて、思わず引き込まれてしまいました。しかし、そこに描かれていることが正鵠を得ていればいるほど、この暑さが終わって秋が来たその時に、国のリーダーをして誰を仰いでいるかと思うと、暑さならもう少し我慢できそうな気がしないでもないけれども、その「今年の秋の日本」は想像するのもお寒い光景が浮かんできて、何故かこの暑さが急に愛おしくなってくる今日この頃。

*1:昨日はネット上に山ほどあった出馬表明の映像が一夜明けたら何故殆どなくなっているのでしょうか?以下のNHKのサイトで見られますが。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100826/t10013578591000.html

*2: