*絶対に日本の英語教育では習わないけれども、ちょっとしたことであなたが書く英語が輝くヒント

実に久しぶりに「はてな匿名ダイアリー」を覗いていたら(はい、私はROMです)、英語&英語教育について活発な議論がなされていたので、一言(増田に書く勇気はありません)。



死ぬほど英語を勉強してきたからわかる、英語学習の限界 死ぬほど英語を勉強してきたからわかる、英語学習の限界 はてな匿名ダイアリー



そもそも一口に「英語のスキル」と言っても、職業や英語の使い方で目指すべき地点が大きく異なるのではないでしょうか?
大まかに英語を使う使い方のレベル分けをしてみると、

1.英文学・英語学、米文学・米語学を専門とし、ネイティブの研究者と競う人

2.理系、技術系で、英語で論文を書いたり、学会でプレゼンする人

3.ビジネスマンとして、英語を使って仕事をする必要がある人

4.外国が好きで海外旅行にも頻繁に出かけ、外国人とコミュニケーションをもっと取りたいと思っている人

5.仕事では英語は全く必要なく、一生のうち海外旅行は、新婚旅行のハワイと還暦記念にソウルに行くだけの人

6.仕事でも英語は全く必要なく(それより、中国語や韓国語が必要かも?)一生のうち海外旅行には全く行かない人


1〜6の人に対して、中高時代同じ英語教育をしているところに無理があるのではないでしょうか?

1.にあてはまる人は、それこそ元増田氏のような立場の方ですね。元増田氏の英語学習の歴史、そして達成された成果を読ませて頂いて感動しました。それでも屈託を抱えていらっしゃる増田氏のような方にとって、日本の英語教育はどこが問題だったのでしょうか?

そもそもこのタイプの語学に秀でた人を、日本の英語教育は、大学入試という関門で足踏みさせてしまっていると思います。高校で習う英文法をマスターしてしまったら、後は多読しかありません。多読のスキルが入試で要求されるのは、日本では難関大学だけです。高校段階から「語学のスペシャリスト」を育てる国立/公立の高校があってもいいのではないでしょうかね。それがかなわないのならば、何故理系の「飛び級」はあるのに語学の「飛び級」はないのでしょうか?語学の才能のある生徒を早く大学の専門教育に入学させるのは理にかなっているとは思いませんか?発音についてはかねてからの持論通り*1私自身は「どうしても必要なもの」とは思いません。それよりも、日本の英語教育で絶対に習わないことは、「修辞学=レトリック」、就中「修辞技法=フィギュア」であり*2、これなくしては「カッコいい、イケてる」英語の文章にはなりません。そして更に、古典や外国語の引用をスパイスのように散りばめなければならないようです。つまり、シェークスピアの劇の中の台詞だとか、フランス語のフレーズとか、キケロラテン語の詩の一節とか、を画竜点睛のように要所に入れて、自分の教養をアピールしなくてはならないのです、勿論このようなことは、日本の奥ゆかしさを尊ぶ文化の中では「ひけらかし」と看做されて、鼻つまみものなのですが。西洋の古典の教養は気が遠くなる話なので横においておいて、修辞法は、語学の才能を持った生徒には、国語と連携させて学ばせるべきなのでしょう(現実的にそれが実現可能かは別にして)。
よくフランスのバカロレアやドイツのアビトゥアの試験に、「以下の文章を、ボルテールゲーテ風にリライトして、何故それがボルテールゲーテ風なのか説明せよ。」みたいな問題が出る、ということを聞いたことがありませんか?伝聞ですが、先ず単語のレベルをボルテールゲーテにしなくてはならないそうです。例えば、日本語だと、「だけど」でも「けれども」でなく、「然るに」か「しかしながら」のレベルでなくてはならない、といった単語の選択に始まり、その作家に特徴的な文章の長さや比喩の使われ方、等々その作家の癖を学習して熟知していなければ答案は書けないそうです。日本の高校の「現代国語」は、どうしても「その時の主人公の気持ち」「作者が言いたかったこと」という情緒的なことに偏っているような気がします。語学が好きで語学の才能がある生徒には、高校の後半で選択授業でもいいですから、是非修辞学・修辞技法を学ぶ機会を与えるべきです、日本の有為の人材育成のためにも。

上記のアカデミックなレベルからはかなり落ちますが、私自身がドイツで英会話を習っていた先生(イギリス人、ケンブリッジ大学出身)から教わった、

絶対に日本の英語教育では習わないけれども、ちょっとしたことであなたが書く英語が輝くヒント

をここでご披露致しましょう。
あくまでも「書き言葉」において、ですが。

・教養ある英語の文章では、文頭に「And」や「But」は絶対に来ない。

・文頭に「And」を入れたくても入れてはいけない、なくてよいのである。

・文頭に「But」を入れるのは話し言葉レベルであり、書き言葉では「But」の代わりに必ず「However」を使う。

・同じ単語を繰り返し使うのは、教養の無さを表している。同義語をどれくらい知っているか、どの同義語をチョイスするかが大事である。

・表現の上でも、「I think 〜. I think 〜. I think〜.」と同じ表現を繋げるのは、英語としてレベルが高くない。受動態を使ったり、他の表現を使う。
以上が基本的なところ。
良い子のフツーの大学受験生は、上記のことはこれっぽっちも気にかける必要はありません。日本の大学入試の英作文では、何度文頭に「And」や「But」を使おうが減点されることはありませんから。それよりも冒険せずに手堅く、知っている単語を何度でも使って英作文書いちゃってください。そもそも、日本の大学入試における「英作文」とは、「自分で英語を組み立てて文章を作る」ことでは決してなく、「出題者がどの文型、どの語法を使って書いてほしいのか?」を読み取ることに眼目があるのですから。
他にも細かいところでは、「何にでも『nice』という形容詞を使うな」、とか、「『lovely 』を連発するのは中年以上の教養のない女性のイメージであるから使ってはいけない」、などなど、本当にこの先生には、決して日本の英語教育では教わらないことを色々と教わりました。

そして、この先生も指摘されている同義語についてですが、娘がインターナショナルスクールの6年生の半ばあたりに先生が配られた同義語一覧のプリントがあります。これはESLの生徒に配られたものなのですが。その前文を引用します。

The English language has many groups of words that mean almost the same thing.
Words that have almost the same meaning are called synonyms. Synonyms can help you to avoid using the same word over and over again. Choosing the right synonym also helps
you to say exactly what you mean.
                     (イタリック体は原文のまま)

ちなみに6年生です(年齢は日本とほぼ同じ12歳)、それもESLという、ネイティブでない生徒のクラスに配られたプリントです。つまり日本で言ったら小学生高学年レベルでしょうか。そしてABC順に誰もが知っている簡単な単語がその同義語と共に書かれているのですが、
例えば最初の単語は、「able」でその同義語は、「capable, qualified」となっています。
次の単語は、「about」で同義語は「around,roughly,approximately」です。
大学受験生の娘の本棚の英単語の参考書(駿台、東進)を今見てきましたが、「able」にも「about」にもこれらの同義語の記述はありません。でも、例えば「約」の意味でいつもいつも「about」を使うのは馬鹿っぽいのだろう、ということは、このインターナショナルスクールの6年生が使う同義語集を見ても了解されるでしょう。

これらの修辞的な知識は、英語を学ぶ全ての生徒に必要とは思いません。空港やホテルやレストランで喋る英語には全く必要ないでしょう。けれども、英語で日本を背負う語学スペシャリストになるつもりの有為の若者には、元増田氏の体験談が如実に語るように、絶対に必要なのだと思います。


前述の1.〜6.に分けた「英語を使う使い方のレベル分け」の2.以降の人にとって、どこまでが英語学習の到達点か?について考えるのは、また別稿で。



英語教育についての私見を読んでくだされば嬉しいです。
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