嫌いな言葉 ① オリンピック中継

ハリウッド映画ではないのだから、予定調和が約束されていないわけで、だからあまり熱心に見ないようにしている。
この間観に行った「アバター」では、絶対にハリウッド映画において主人公が死ぬことはないのだから、どんなピンチでも安心して見ていられたのだが。
これは何のことかというと、

オリンピック中継!!!

ヒーロー・ヒロインであっても人間なのだから、大きく転倒することもあれば尻餅をつくこともあろうし100回成功してきたのに101回目の着地がぐらつくこともあって当然なのに、ついつい「ハリウッド的感覚」で見てしまうので、少しでもミスがあると胸がきりりと痛い。
そんなオリンピック中継の中に、日頃から私が嫌いな言葉が高い頻度で流れてくるから、これまた原が立つ。

一般人(同郷の人、同じ学校・職場の人もいるが)が、
絶対に金メダルをとってくれると信じてます!」
とか
絶対メダルとって欲しい!」
とか、どうしてあんなに簡単に言えるのか?この無邪気をまとったエゴイスティックな押しつけが嫌い!無邪気とは、邪気が無い、即ち悪気は無いのかもしれないけれど。しかし、この「悪気が無い」というのが一番タチが悪い。本人に罪の意識がないからだ。いい歳したオトナなら、
「世の中に『絶対』はない」
ということくらいわかるだろうに。無神経と無知を併せて発せられるこの「絶対」という言葉が嫌い。


それから「絶対」と持ち上げておいて、たとえそれがメダルと僅差で4位だとしても
「4位に終わりました。
というその「終わりました」が嫌い!大体失礼じゃないのか?一生懸命、それもその瞬間だけでなく、過去4年間頑張ってきた一流のアスリートに向かって「終わりました」というアナウンスは、マスコミの冷淡さを表している。何故普通に「4位でした。」とアナウンスしないのか?


まだある、競技シーンを観た後、「勇気をもらいました。」という一般人のコメント。このフレーズが嫌い。勇気はやりとりするものでないことは自明として、まだ「勇気が湧いてきました。」なら許せる。湧いてきた勇気なら自分の奥底にあったものだろから。でも「もらった勇気」のような安易な借り物はまた簡単に萎むものであり、そんなに祖末に扱われるならアスリートだって勇気をバラまきたくはないだろう。


日本人ってすごく頑張っている、頑張りすぎなくらい。
日本は稲作ができるくらいの気候で、であるからウィンタースポーツに小さい頃から親しむ人口なんてたかが知れてるのに、その決して多くはない母数の中からオリンピックに出場できるレベルの選手を育てるってすごいこと!
冬季オリンピックだけでなく、夏のオリンピックは勿論、WBCの野球でも頑張り、サッカーのワールドカップでも期待され、ゴルフもラグビーアメフトも何でもかんでも手広く頑張り過ぎ。日本人がやらないのは、クリケットくらい?
しかしこれは取りも直さず日本はやりたいスポーツをやれる幸せな国、ということなのだろう。好きなスポーツをやってそれでオリンピックに出られるレベルまで技を高めている、それを讃えて満足しなくては。


だから、これから始まる女子フィギアでは、「絶対」「終わりました」「勇気をもらいました」も聞くことなく、「予定調和」も頭から消して(ああ、でも消せないかも)、ただただ感嘆したいものである。