ドイツからイギリスに旅行した時のお話 その2

ドイツからイギリスに旅行した時のお話 その1 から続く



第3日目
この日はまた一家4人で、一等車といえども決して綺麗(清潔という意味でも)とはいえない電車に延々と乗って、今度はイギリスの西海岸を南に下りて湖水地方に向かいました。複数の鉄道会社に乗った中で例外的に綺麗だったのは、Virgin trains社の車両で、1日目と2日目に東海岸で乗った車両と比べると段違いに綺麗でした。よく仕組みがわからないのですが、イギリスも鉄道は民営化されていて、同じ線路を違う会社の車両が走っているようです。

私はよく価値がわかりませんが、↑のVirgin trains社の車両を見て、息子がもの凄く興奮していたことは覚えています。
今回の旅のように、ツアーでなくて勿論ガイドもいなくて普通に個人で家族だけで鉄道で旅行、というのは結構スリリングでしたけど、当時はそれを当然と思っていました。イギリスの鉄道は、アジアの果ての国日本のように「定刻通りの発車がデフォルト」では全くなく、また物理的には同じホームなのに停車位置によってホームの番号が違うとか(大陸の鉄道の駅ではこれはなかったと思います)、飛び乗った車両のデッキの案内板の文字が「英語じゃない!」とびびってしまったのですがそれはウェールズ語(← ローマ字感覚ではとても読めない全く見慣れないこの言語は、これぞC.W.ニコル氏の故郷ウェールズの言葉なのでした。)であった、とかRPGゲームのように次から次へと難題が降りかかりましたが、後日、実はちゃんと探せば、イギリスの観光名所を回る日本人向けの日本人ガイドが付いた至れり尽くせりのツアーがあると聞いてびっくりしたものです。しかし、最初にこのわくわくどきどきのスリル満点旅行を味わってしまったので、以後も懲りずに我が家はこの調子でツアーに入らずに個人で旅行することになってしまいました。



さて、ピーター・ラビットで有名なウィンダミア湖水地方は、イギリスのナショナルトラストとして保護されている自然が美しい地域なのですが、私の印象は、

「これって、イギリスの『箱根』じゃない?」

でした、勿論箱根ほどは俗っぽくありませんが。いやいや、なかなか俗っぽかったかも。湖があって、その上を観光船が走っていて、高い山があって、船の発着場には食べ物屋さんやお土産物屋さんが軒を並べ、観光客がそぞろ歩いている、というところは「富士山がない箱根」なんですよ。しかし。「自然をそのままの形で保護する」ということに関しては、イギリス人、頑固に徹底していました(後述)。ウィンダミアの駅に着いた私たちは、駅で申し込める観光ツアー(と言っても、ガイド付きのミニバンで名所巡り)に申し込んで、一旦ボウネスのホテルにチェックインして荷物を預けて、また駅に戻ってそのミニバンに乗り込んだのでした。

ミニバンの乗客は、4人が日出ズル国から来た一家(私たち)、初老のイギリス人夫婦、韓国人で一人で旅行している女の子、という、イギリス人おじさんのドライバーを入れても、5:3で東洋人が多数を占める!乗客構成でした。韓国人の女の子は英語がかなり喋れて、ドライバーと話したり、我が夫と喋ったりしていて、私は座席の関係で、イギリス人のおばさんと話すこと(破目)になったのですが、当時(今も)私は「読む」のは圧倒的に英語の方がよく読めるのですが、「話す」のは大学で学んだフランス語(母校の教育に感謝!です)、という変な人で、そのおばさんに「フランス語は喋れますか?」と聞いたところ(彼女の「片言」のフランス語のレベルが私の英語のレベルよりも高いだろうと思って)、「私は外国語は話しません」と返事をされ、更に中学校で習った英語の構文で、「あなたは今まで外国に行ったことがありますか?例えば、アジアに行ったことはありますか?」と聞いたら、「外国に行ったことはありません」と返ってきたので、そんな筈はないと思い、「ヨーロッパに行ったことはありますか?」と聞いたら、「私は海外に行ったことはありません」とのことで、のけぞってしまいました(←勿論、心の中で)。前述の絵葉書にあった、イギリス人の特徴のようですね、「外国語が喋れない」「イギリスを出たことがない」というのは。実感したことでした。




ナショナルトラストの地域では、「人工の物」は極力排除されるそうで、驚いたことに湖の回りを走っている道路にはガードレールがありませんでした。「車が道路から落ちてもいいのか!」と言いたくなるのですが、その徹底ぶりのお陰で、「ビーター・ラビット」シリーズの作者であるビアトリックス・ポッターが住んだヒル・トップという住宅の2階の彼女の部屋から見える風景の中にも、人工物である看板だとか、電信柱とか、近代的建築物とか、が全くなく、生前彼女がその窓から見て描いた風景とそっくりそのまま!という奇蹟が実現していました。

「ピーター・ラビット生誕100年」ということらしく、それを記念してできた観光客向けの展示館では、日本から来た日本人観光客で一杯でした。これは後で振り返って言えることなのですが、私たちがヨーロッパに行った2004年は「ヨーロッパにおける観光客の構成」から見れば、チャイナ・パワーはまだまだ顕在化していませんでした。どこの観光地に行っても、アジア人で一番目立ちそして最大のグループは何と言っても日本人、そしてその次が見た目は日本人よりも裕福そうな格好をしておばさま方が超元気な韓国人グループ、という感じで、中国人観光客というのはたまにしか見かけませんでした。それがみるみるうちに圧倒的パワーになり、いや本当に「目に見える形で」どんどん増えて、2008年夏のヨーロッパはどこもかしこも中国人だらけ、という、いや、国の勢いってスゴいものですけど、この2004年夏のイギリス湖水地方のピーター・ラピットの記念館における展示の説明書は、英語、フランス語、ドイツ語、そして次が栄光の日本語で記述してありました。コリアンもチャイニーズもなしで、スペイン語ポルトガル語すらありませんでしたが、これはここを訪れる人々の構成を表しているのだと思いましたね。そして日本人観光客に混じって展示を見たり、お土産コーナーでお買い物をしていると、石川啄木ではありませんが、故郷の訛懐かしい日本語の中で、更に懐かしい濃ゆい濃ゆい関西弁が耳に入ってきて、
「このなんやしらんけどうさぎがついたビニールバックやのうて、はろっずてかいたのが欲しいねん、でもこんなやすもんとちごて高いらしいねん」
と言いながら、このおばさま、多数のピーター・ラビットのビニールバッグをお買い上げ!

娘に買った、子猫のトムのクッション ↓


ミニバンツアーの方は老舗の観光地だけあってよく出来ていて、ウィンダミア湖の回りのスポットを効率よく回り、途中でモーターボートを二回り大きくしたような船で湖を渡るコースも組み込んであったり(ミニバンはその間岸辺を走って船が着くところで待っている)、ワーズワースが住んだ家(←こーゆーところに行っても子どもはちっとも喜ばないのですが)などを巡ってちょうど疲れた頃合いにウィンダミアの駅に戻ってきて、そこで日・韓・英の混成ツアーは解散です。イギリスから出たことがないというあの初老のご夫婦は、きっとその後もイギリス人特有の頑固さで以て、イギリスの中だけで生きているのだろうと思いますし、あの韓国人の逞しい才女は本国であれグローバルであれ活躍していると思います。


4日目
この日は移動せずにゆっくりと過ごしました。
夫と息子は船に乗って対岸に渡り、そこでこれまた蒸気機関車に乗ってきました。
http://www.lakesiderailway.co.uk/
↑このサイトを見るだけで雰囲気がわかります。夫が言っていましたが、「殆どそのまま懐かしい『機関車トーマス』の世界だったよ。」とのこと。トーマス君は、一時期我が家を席巻したキャラクターでありました、なつかし〜。

多分イギリスの鉄道好きのおじさんの動画なんですが、この方が投稿しているのは蒸気機関車ばかりですが、イギリスの風景の中でそれが美しいこと!
ハワースで乗った蒸気機関車でも感じたのですが、こうして「古いものに愛着を持ちそれをそのまま保存する」というのは、実はイギリス人特有の気質ではないかと思います。大陸ではちょっと違うというか、ドイツでもフランスでも「新しいものを取り入れるのを恐れない」という感じじゃないかと今になってそう思います。
一方私と娘は終日箱根湯本、じゃなかったウィンダミアやボウネスという湖畔の街をぶらぶら。もう夏も終わりなのか、一日中いわゆる「イングリッシュ・ウェザー」というヤツ?朝小雨が降ってて、お昼には素晴らしく晴れてぬか喜びしてると、夕方からざんざん降りで夜は「サンダー・ストーム」、といった具合でした。
移動しなくていい一日を挟むと、ちょっとほっとします、その分ホテル代はかかりますが。



5日目
そもそもですが。海外赴任というのは、会社が社員本人に命じるものであって、家族に命じるものではありません。子どもには子どもの生活があるのに、本人が望んだ訳でもないのに今の生活を全て捨てて海外の自分が望んだ訳でもない(ここが留学と違うところ)見知らぬ場所での学校生活を強いられる、というのは、親としてはなかなか悩みどころなわけです。以前のエントリーで、ビミョーな年齢の子ども二人を連れて海外駐在をすることになった顛末は書いたことがあったと思いますが、まだこのイギリス旅行の時点では、子どもたちが入学する予定のインターナショナルスクールもまだ新学期が始まっていなくて、外国に連れてこられてただ無聊をかこっている息子に対して、罪悪感というものが確かにありました、特に息子に関しては。「中三の息子もドイツに帯同する」という決断して実行してしまったことは悔いても仕方ないので後悔はありませんでしたがそれでも不安は大いにありました。娘に関しては、小学校6年生ということもあり、翌年には中学受験をする予定だったので「進学先が日本の学校でなく海外の学校に変わっただけ、しかも入試ないし」的な感覚を本人が持っていたので、多少は救われましたが。
そもそも旅行先をイギリスに決めた一番の理由は、息子が日本で通っていた中高一貫校の生徒たちの一部が夏休みにチェスターで語学研修をしていてそれが8月の最初までである、ということでした。つまりそこに行けば息子の日本の友達に会えるということです。研修中は予定が組まれているので、チェスターに到着するのは、彼らの語学研修が終わる最終日になる必要があり、全てはそれに合わせて逆算して旅行の計画を立てた、という次第だったのでした。

チェスターまでも、又しても電車の旅だったのですが、イギリスの東側を電車で走った時の車窓からの風景とは明らかに違って、先ず羊がいるにはいますが数が激減して、スレートを積み上げた低い塀で囲まれた牧草地の区画が狭くなって、そして都市に近づくにつれて、兎小屋と呼ばれた日本の密集した家々とあまり変わらない線路際の風景になって(イギリスの庶民の住宅はかなり兎小屋だと思う)、そしてどんより暗いチェスターの駅に着きました、もう夏は過ぎて秋風が立っているのでした。
チェスターの街は、いわゆるチューダー様式(何故か日本のハウスメーカーでもこの様式ありますよね)

の建物が並ぶ、大陸とはまた違う町並みでした。
これまた石の色が違うのか、空の色のせいなのか、随分と陰鬱な感じのチェスター大聖堂

の前で、息子は自分が通っていた学校、つい2ヶ月前に後にした学校の友達と待ち合わせをして、「電車の時間まで、適当にだべるから、駅で待ち合わせね。」とさっさとスタバ(マクドナルドもGAPもZARAもありました)に消えていきました。あっけなかったのですが、よく考えたらそれこそが(友達とぐだぐだ喋ること)、彼が渡独以来求めていて飢えていたことだと了解したので、彼らと離れて夫は散策、私と娘は「残りのポンド(←イギリスはユーロじゃない!)を使い果たす」という崇高な使命を果たすべく街をうろつき、じゃらじゃらしたアクセサリーとか、イギリスの地図とか(←二度と使う事ないかも)とかを買いまくったのでした。
あっと言う間に過ぎたスタバでの2時間余の後、いまどきの中高一貫生は、「友達と別れを惜しんで」という感じでは全くなく、明日また会えるといった風情で実にあっさり別れたのでした。

それから私たちはまたしても電車に乗ってチェスターからマンチェスター空港へ向かいました。またドーバー海峡を渡って大陸に戻るのです。しかし帰りの飛行機も行きと同様あのしょぼい飛行機で、しかも私たち4人を入れても乗客総勢10人に満たなくて、到着したデュッセルドルフ空港のバカでかいラゲッジのベルトコンベアから出てきたのは、極東の国日本から持ってきた日本製の小さいトランク2個と子供たちのリュックが2個だけ、なんですよ、他の乗客は荷物預けないっていうか日帰りっぽいビジネスマンばかりでした、大丈夫なんでしょうか、ブリティッシュ・エアウェイ!


空港からドイツでの住まいまでタクシーで10分かからなかったのですが、仮住まいから引っ越ししたその家に住んだのはまだ一ヶ月に満たないというのに、4泊5日のイギリス旅行から帰ってタクシーから降りて家の前に降り立った時、不思議な感覚に包まれました。それは「帰ってきた〜〜〜」という感覚でした。もうドイツのこの家が「HOME」になっていたのです。まさにそれから3年間の間、私自身どこかへ旅行に行って帰ってくる度に感じた感覚であったのです。既に日本は遠くなりにけり・・・?日本を出てまだ2ヶ月なのに、その日本を距離的にも時間的にも遠く感じた瞬間でした。


そしてその翌日朝9時には、私はドイツ語学校の「夏期集中コース」の教室に座っていたのでした。ひと月前に既に申し込んであったのです。そしてその日から8月末までの一ヶ月間、月曜日から木曜日は9:00から13:15まで、金曜日は「Whochenende (週末)」ということで一時間少なくて9:00から12:15まで、週5日、4週間の(地獄のドイツ語)コースが始まった!のでした。