ドイツからイギリスに旅行した時のお話 その1

ドイツに赴任した2004年の夏、7月の末にドイツからイギリスへ家族で旅行しました。
5月の末に家族でドイツに上陸して、仮住まい生活、慣れない外国で全くわからないドイツ語生活、等々で、「夏休みに家族で旅行」などという余裕の発想は全くなかった我が家でしたが、夫は当初一人で赴任した直後(4月の始め)から会社のドイツ人秘書に、

「Urlaub(ドイツ語で『ヴァカンス』)にはいつ、どこに出かけるのか?」

と何度も何度もドイツ人的執拗さで聞かれて(それはスケジュール調整、という意味もあったのでしょうが)、
日本人代表(?)としてどこかに出かけないと格好がつかない!
ということになり、少々時期的には遅くなりましたが(ドイツのヴァカンスシーズンは6月〜7月)、7月の末から8月にかけて、4泊5日でイギリスに行くことにしたのです。イギリスにした訳は、
ドイツ語圏じゃないところ!
というのが、ドイツ上陸以来ドイツ語に苦しめられている私及び家族の切実にして一致した意見で、
とにかく言語が少しでもわかるところがいい、
ということと、これも大きな理由でしたが、息子が日本で通っていた中高一貫校の生徒たちが語学研修で丁度その7月の末にイギリスの都市に滞在しているから、でした。
早速本屋でThomas Cookの時刻表

を買い、イギリスの鉄道を使って中部を逆さUの字の形に回ることにしました。



マンチェスター → ハワース(「嵐が丘」を訪ねる) → リーズ泊 → ハドリアヌスの長城 → 
                                              カ
                                              |
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                                              泊
                                              
マンチェスター ← チェスター(息子の友達に会う) ← ウィンダミア(2泊) ← 湖水地方 ←


  

Thomas Cookの時刻表というのはヨーロッパの鉄道、船、バス、その他の経路や発着時間が載っていて、はるか昔の学生時代にこのThomas Cookを使ってヨーロッパを回ったことがあるのですが、やはり旅行は、時刻表をめくりながら色々と考えを巡らす時が一番楽しい時間かもしれません(いくら息子が鉄道オタクだからといって、私が鉄子だという訳ではありません、あくまでも常識的範囲内で「楽しい」)。これを見ながら真性鉄道オタクの息子と、乗る電車の計画を立てました。



そして7月下旬の或る日、もう秋色濃い小雨の朝(ヨーロッパでは8月は「秋」です)、デュッセルドルフ空港から一家4人、イギリスはマンチェスターに向かって飛び立ったのでした。「飛び立った」といっても、飛行機を見てびっくり。
これで本当にドーバー海峡を渡れるんですか?
レベルの、座席が横一列に3席しかない「小型機」そのものだったんです。日本→ドイツ間を乗った国際線飛行機の十分の一以下の大きさではなかったでしょうか。見かけよりも実際の臨場感は更に素晴らしく、足下にびんびんエンジンの振動を感じ、翼の微妙な動きに乗客の恐怖心もシンクロし、文字通り足の下にドーバー海峡を感じつつ、やはり小雨のマンチェスター空港に到着したのでありました。


何が嬉しかったといって、マンチェスター空港に降りた途端、看板でも電光掲示板でも
英語がわかること!
マンチェスターはイギリスなので看板は英語で当たり前なのですが、ドイツ上陸以来2ヶ月間ドイツ語世界で文盲状態*1で暮らしていたので、この感動は大きかったです。勿論この時点では、一家4人の英語力はかなり厳しいものがありました。夫は会社の諸事情でドイツ語も英語も語学研修なしでのいきなりの赴任だったのでそりゃ苦労していました。仕事しながら同時に英語力をつける、という泥縄方式で勉強中。私の英語力は大学受験時のまま風化しており(フランス語専攻だったので)、子供二人は渡独後に英語の先生について特訓中、という状態で、「英語ペラペラ家族」からは程遠かったのですが、そんな家族4人が
「言葉がわかるって、嬉しいね〜!」
と感涙にむせんだ、英語圏であるマンチェスターだったのでした。多分いきなり日本からイギリスに行ったら「英語わからん!」の世界だったと思うのですが、比較の問題というか、とにかく何を見ても書いてあることがわかるから嬉しくて嬉しくて・・・。これは発想の転換で、「英語苦手」と思っている方は、ダイレクトに英語圏に行くのではなく、全く未知の言語圏で文盲状態の数週間を過ごしてから英語圏に入ると、自分の英語力にほれぼれすること間違いなし、だと思いますよ。全くわからないドイツ語に比べて「わかる」し「少し話せば通じる」ので、家族で舞い上がっているうちにとあわや空港から直結している電車の駅から乗る電車に乗り遅れるところでした。

ドイツからマンチェスター空港に着いて、電車に乗って、という間に早くもわかってしまったこと、そしてそれは普遍的な事実だったのですが、
イギリスはドイツよりもかなり汚い=ドイツはイギリスより、空港も駅もトイレもキレイ
ということです。空港内や駅の構内の通路、電車の中、ドイツならたとえそれが古い建物、古い車両でもここまでゴミが風に巻き上げられていたり、車内の隅ににゴミが吹き溜まっていたり、ということはない気がします。これは追々わかることですが、ドイツって本当にどこもかしこも清潔です。世界で日本人と並んでNo.1の座を争う(感性は随分違うと思いますが)清潔好きの国民だと思います。イギリスも清潔、という点では酷かったですが、フランスもイタリアも、ドイツの足下にも及びませんね。独断的国別清潔度数は、
ドイツ>フランス>イタリア>イギリス
というのが私の中の感覚です。それを表すかのように、イギリスで買った絵はがきの中にこういうのがありました。

「You can tell I'm British because・・・」という文章で始まっていて、その下にイギリス人の特徴を表す8つのイラストと共にセンテンスが書いてあるのですが、その中に
「I'm not bothered about a bit of dust. 埃だらけでも気にならない。」
というのがありますから(訳は拙訳)、イギリス人自身も自覚があるのでしょうか?
ちなみに、私のその後のイギリス人理解に大変役立った他の7個も挙げておきます。
・I live in the past. 私は過去(の栄光)に生きている。
・I don't care what people think. 他人のことは気にならない。
・I'm a different person when the sun's out. 天気の良い日は別人になる。
・I never refuge a drink. 一杯誘われたら断れない。
・I'm lost without my dog. 犬がいなければ道に迷ってしまう。
・I don't speak a foreign language. 外国語は喋れない。
・I wouldn't live anywhere else. イギリスと自分の家以外のどこにも行きたくない。
特に最後の二つは、実は知られていないことですが「イギリス人」というものを理解する上で、っていうかヨーロッパ大陸の人々には既知ですが誤って伝えられてきた「イギリス人観」を修正する上で、とても重要なヒントになるものだと、後々に実感したことです。


さて。
先ほど苦労して「U字型」に書いてみた旅行の行程を普通に書いてみると、

1日目 私の日 「嵐が丘」の舞台であるハワースを訪ねる(リーズ泊)
2日目 夫の日 ハドリアヌス帝が築いたというローマの砦を見に行く(カーライル泊)
3日目 娘の日 ピーターラビットの世界を見に湖水地方へ(ウインダミア泊)
4日目 休息日 終日湖水地方で過ごす(同じくウインダミア泊)
5日目 息子の日 日本からホームステイに来ている中学校の同級生たちに会いにチェスターへ行く→その後マンチェスターに戻りドイツに帰る


さて第1日目
マンチェスターから電車でキースリー( Keighley ←このスペルでどうやって『キースリー』と読めというのでしょうか?このあたりから私の『英語不信』が生まれたかも)というところまで行き、そこから何と蒸気機関車でハワース(Haworth)まで。鉄道オタクなら感激間違いなしの、Keighley and Worth Valley Railwayという鉄道です。

はっきり言ってディープです。駅にもホームにも電車の中にも日本人いません、観光シーズンなのに。っていうか単に電車に乗っていないだけで、バスで回っているのかもしれません、ハワースには団体さんらしき日本人がいましたから。
嵐が丘を私が最初に読んだのは、「少女世界名作全集」かなにかで、教育上何かと問題になる部分を骨抜きにされたものを読んだ小学校4年生の時?その後、ネリーがロックウッド氏に語る形をとったホンモノ(?)の、中央公論「世界の名作文学」だったかのハードカバーで原作に忠実な翻訳を読んだのが中一。中一の冬休みの宿題の読書感想文はこの「嵐が丘」でした。明らかに本のチョイスが間違ってますけどね。どう考えても、中一で感想文書く本ではありません。
そうそう先ほど「日本人はいない」と書きましたが、前言撤回。蒸気機関車が走っているハワースの駅には、驚いたことに、日本人の鉄っちゃんが二人もホームを這いずり回らんばかりに機関車の写真を撮っていました。湖水地方でも蒸気機関車に乗ったのですが、イギリスではあちこちに蒸気機関車が走る区間が残されているようです。
Heritage Railway Association
ハワースの「ブロンテ姉妹記念館」。そしてそこから「ムーア」の中を伸びる遊歩道。もの凄く天気のよい日で、見渡す限りのなだらかなムーアの丘に雲の蔭がよぎっていくのです。
Wuthering-heights 「嵐が丘記念館」 は予想していた以上に驚くほど簡素で質素な石造りの建物で、まさにその場所で「嵐が丘」が書かれ、また兄姉にとっても創作の場であったことは驚くばかりです。
私は渡独前に偶然にNHKの「地球わが心の旅」という番組で、皇太子妃雅子さまの父君小和田恒氏が、「忘れえぬ一冊の本」として、外交官である氏のイメージからは意外なことに、「嵐が丘」を挙げ、ハワースの丘に座って、「嵐が丘」との出会いについてカメラの前で語っているところを見て*2、是非一度行ってみたいと思っていたのでした。
ヒースの荒野を歩くこと2時間近く。

少女の頃読んだ本が書かれた土地、書かれている風景を実際に見ていることが信じられない気持、そしてきっともう一生のうち二度と来ない場所に来ている、という気持。
偶然なのか私たちが行った時には日本人を見かけることはなかったのですが、ここを訪れる日本人観光客も多いのか、カフェでは日本語のメニューもあったりしてびっくりでした。←これは2004年夏のことですが、今はここもヨーロッパの他の観光地のように中国語のメニューが日本語メニューを駆逐しているかもしれません。でも中国人って「嵐が丘」なんて読むのでしょうか、偏見ではなく。日本人って本当にレベル高いのですよ。私はこれを見て感動しましたから。
http://www.unkar.org/read/love6.2ch.net/book/1261256798
日本に帰って読んだ吉田健一の「英国に就て」の中に、彼がこのハワースを訪れている箇所があって驚きました。多分昭和44年頃だと思われます。

この町全体がブロンテ一家を看板にしているようなもので、ブロンテ・カフェ、ブロンテ・レストランなどという店が並び、ブロンテ・アイスクリイムというものを売っている所もあって、それがどんなアイスクリイムなるのか買って見なかったのが今となっては残念である。

吉田健一がハワースを訪れた時から35年ほどの時間を経て、彼の地を訪れた私たちですが、まさにこの表現通り。ブロンテ姉妹記念館を訪れた後、彼は、

ブロンテ何とかという小さい店で、魚のフライとじゃがいもを揚げたのと紅茶で昼の食事をし、ハワアスの町がある丘の険しい坂を降りて帰って来た。

らしいのですが、私たちは、「ブロンテ・スコーン」なる「普通のスコーンと何一つ変わりないもの」を食べて、そして夏の終わりの陽がかなり傾き始めた頃、ハワースの小さな駅を後にしたのでした、一生の間もう二度とは来ない場所だと思うと何とも言えない気持ちになりましたが、逆に少女時代にあれだけ読んだ本の舞台であり作者が生きていた場所にはるばる来られたことの僥倖を思うと何かに感謝したい気持ちにもなり、そしてリーズまでまた電車で戻ったのでした。

リーズ泊。


第2日目
次の日はというと、リーズ(Leeds)から又しても延々電車に乗って3時間近くかけカーライル(Carlisle←これもどうやったら『カーライル』って読めますか?英語変!)まで行きました。日本と同じく南北に細長い島国のイギリスを東から西へ斜めに突っ切っていった感じでしょうか。
この3時間の電車の旅の間に、車窓から見た羊の数はどれくらいになるでしょう?無数の羊、羊、羊・・・。人間の姿なんて一人も見かけません。そして、日本の新幹線は勿論ローカル線であっても、電車に乗ると嫌でも目に入るけばけばしい広告看板も全くなし。景色だけ見ていると、文明の影といえば低く積まれたスレートの塀だけで、景色からは時代の手がかりになるものは何もなく、とにかく羊、羊、羊・・・。

イギリスに来てから見た「イギリス人」の何百倍何千倍もの数の羊を、車窓から眺めているうちにカーライルに到着。カーライルは、突き抜けた青空の中に赤い石造りの城

がそびえるイングランドの北の都であり、嘗ては対スコットランド防衛の砦だったそうです(その後連合王国の一員となり、そして今また自治の方向に進んでいるのですよね)。フランスやイタリアのお城とは同じ「城」でも全く趣きが違います。そしてこの日の目的は、夫念願の「Hadrian's Wall」ローマ皇帝ハドリアヌスの命で造られたローマ版万里の長城にに行くこと。



これは夫がその時に買ったTシャツ(上は前面、下は背面のプリント)。前面にプリントされた文言を直訳すると、
ローマの休日を過ごした」
ですけど、ここの「ローマ」は都市ではなく、「ローマ時代の」という意味なのですね。言わずもがな、なのですが、オードリー・ヘップバーン主演の映画「ローマの休日(Roman Holiday)」とかけているわけですね。ハドリアヌス自身がこの地まで帝国巡視に来たかどうか、はわからないそうですが少なくともローマ兵たちは、この地で蛮族と対峙していたわけです。さて、その砦に行くには、カーライルの駅前広場から出ているバスで、Houseteadsというところまで行きます。そこで下車して実際にHadrian's Wallの上を歩くことにしました(ここにはこの遺跡を説明する小さな博物館も付属)。このバス、路線バスではあるのですが、ドライバーがガイドも兼ねるという半分は観光バスのようなものでしたが、往路は私たちの他にはお客一組、復路は完全にアジア人4人家族(私たち!)しか乗っていなくて、東洋から来た一家(私たち)の貸し切り状態だったのですが、そんな乗客相手でも、兼ガイドの運転手さんがローマ人の鉄製の兜のレプリカとか、槍(!)とかを車内で見せてくれました。この頃は、子供たちは英語がまださっぱりわからず、親の方も集中が途切れると、「運転手さんの英語、何言ってるのかわからない」状態でした。ちなみにこれから1年2ヶ月後やはり家族で行ったザルツブルクで乗った英語のツアーバスでは、早口で喋るツアーコンダクターのジョークに即座に反応して笑っているのは子供たちで、夫と私はワンテンポもツーテンポも遅れて笑う、もしくは乗り切れない、という状態になったのですけどね。
実際のHadorian's Wall は、往年の実際の高さから比べるとかなり低くなっているそうですが(近隣の住民が家を建てたりするため!に積んであった石を持っていったらしい)、その上に立って蛮族の地(ローマ人から見れば)スコットランドの方向を眺めると、なだらかな丘が幾重にも起伏を描いている美しくものどかな風景ではあるものの、あの彼方から蛮族(ローマ人にとって)が大軍で攻めてきた時は、それはそれはビビってしまうくらい恐ろしかったことと想像できますし、この砦がまさに最前線だったのでしょう。はるばるアジアの果てからやってきて、今尚残る石の砦のその上に立つと、同じくはるばるローマからここまで来たローマ兵たちの気持ちが、ほんの少しは理解できるような気がしました。
21世紀の今Google Mapでルート検索かけるとこんな感じ ↓ 。

この場所は、夫が「是非ともローマ人にとっての世界の果てを見てみたい」と希望して行ったのですが、翌年の夏、夫は「ローマ人にとっての世界の果て」どころか、「蛮族の地」であるスコットランドエジンバラで三週間ものサマーセッションを過ごすことになるのですが、この時はまだそれはわかっていませんでした・・・

カーライル泊。

Hadrian's Wallから夕方バスでカーライルに戻ってきてホテルにチェックイン。北の都ですから、8時を過ぎてもまだ明るいのですが、その殺風景とも言える町並み(←偏見ではなく大陸に比べてこれは確かに事実として言えると私は思いますが、これこそが「イギリス」なのかもしれません)の中、前日のリーズでもそうだったのですが、アジア人一家(私たちのこと)が、夕食を食べるレストランを探してその街中、アジア人なんて見かけない北の赤い石の都でうろうろする訳です。子供たちの年齢が中途半端で(小学六年生と中学三年生)、しかも旅の空で軽装ですから高級なレストランには入れないし、かと言って得体の知れないところにも入れないし、「食べるところを探す」のは本当に疲れました。意を決して入ったお店でも、総じて不潔だったり(←日本の清潔レベルが異常に高いのと、これまたドイツが清潔な国だったので余計に感じたのだとも思いますが)、勿論イギリスですからお料理が美味しいはずもなく、どっと疲れて不機嫌になるのが、イギリス旅行の間の食生活でした。ですから、日本に帰国後1年近く鎌倉の中心部に住んでいたのですが、鎌倉に観光に来たと思われるガイドブックを片手にした家族連れの外人観光客が、お蕎麦屋さんや丼ものの食堂の前で、皆不機嫌そうに何やら家族で相談しているのを見ると、身につまされてもの凄く親近感を抱くと同時に「私たちも外国ではああだったんだわ」と懐かしいようなほろ苦いような複雑な気持ちになりました。しかし、私たち(多少なりとも西洋化された)日本人が欧米でのレストラン探しに苦労するのと、欧米人が日本の蕎麦屋や丼もの食堂に入る敷居の高さというかハードルの高さを比べたら、後者の方が圧倒的に大変でしょうね。鎌倉のような外人がとても多い観光都市でさえ、英語のメニューなんてないですし、日本人にとってはフツーのこと、例えば、

案内を待つのではなく空いた席に座ってよい(しかしそうでない店もある)、
座ったら何も頼まなくてもお水(もしくはお茶)とおしぼりが出てくる、
「前菜、メイン、デザート」という概念がなく単品でオーダーする、
家族であっても、同時に料理が運ばれてはこなくて、出来上がった順番に運ばれてくる、
伝票には従業員が走り書きした読めない字が書いてあるだけで、レジでレシートを貰って初めてちゃんと数字がわかる、
そもそも出発支度をして席から立ち上がってレジに向かってから、お金を払わなければならない、

等々、日本のお店では当然な約束事は欧米人にはなかなか理解されないと思いますし、ということは、逆も真なりで、アチラでは、


案内されないとたくさん席が空いていても勝手に座ってはいけない(ウェイターの受け持ちテーブルがあるらしい)、
頼まないとメニューも出て来ないところもある、
一応「コースの組み立て」は必要、
家族の中でオーダーした皿数が違うと、例えば大人が、「前菜→スープ→メイン→デザート」とオーダーして、子どもが、「前菜とスープ飛ばして、メイン→デザート」とオーダーすると、子どもは大人が前菜とスープを済ませてメインの皿になるまで待ちぼうけである(←これで半泣きにならない子どもはいない)、
伝票には、日本人には読み辛いとはいえちゃんと税金も含めて頼んだ料理の料金が書いてある(計算が合っているかはまた別の問題で、要確認、要クレーム)、
会計はテーブルで済ますシステムだけど、これも頼まないといつまで経ってもウェイターはやってこない、

等々、ということになるのですけどね。

このカーライルで強烈に印象に残っているのは、ホテルに戻る道すがら駅構内の売店にミネラルウォーターを買いに入った時、地の果てで仏に出会ったような逸品を見つけてその場にあった3パックを買い占めてしまったことですね。それは何かと言うと、Sushi-Roll!!!キュウリと何かテリヤキのようなものが巻いてある中巻きのお寿司!だったのです、それも表面が海苔の普通の海苔巻きではなく、「裏巻き」と呼ばれる海苔を内側に巻いて表面に胡麻がまぶしてあるヤツ(←「黒い食べ物」に違和感がある欧米人向きにわざとそうしてある、ということを後日知りました)でした。ホテルに帰って一家で貪り食べましたね、熱い日本茶がなかったのが残念でしたが。これは2004年のことでしたが、住んでいたドイツではスーパーや売店ではまだ「Sushi」は見かけたことはありませんでした、その後爆発的にSushi は広まるのですが、このイギリスの地の果て(←ローマ人的に)カーライルで見つけたのが私にとっては初めてでした。
そして、経験的にわかった「イギリス旅行における賢い食生活」とは、


朝食(だけ)は大陸に比べればワンダフルに豪華なのでしっかり食べる@ホテル
日中は素材が(味付けではない)美味しいサンドイッチやパンの買い食いでOK
機会とお金があって午後に時間があればいわゆる「ハイ・ティー」というか、紅茶とサンドイッチやケーキを供するお店でしっかり食べる
故に夜は食べないか、食べても軽く何か買ってホテルの部屋で食べる
イギリスに来たからには、美味しいかどうかは別にして、ローストビーフドーバーソールのムニエルを一度は食べたいという気持ちは十分に理解できますが、味付けらしい味付けが全くないローストビーフも、わらじよりも大きくてお皿からはみ出ているドーバーソールもまさに一度食べれば十分でそれ以上食べる必要はない
どこに行っても当たり外れがないのは、吉田健一も言っているように、「Fish & Chips 」(スタンドなどで売っていて、白身魚とジャガイモの揚げ物に塩とか酢をかけて食べる「料理」とは言えない「料理」)でしょうか。これだけは本当に当たり外れがなく美味しいのです。「高級紙よりもエロ新聞で包んであるFish & Chips の方が数段うまい」と書いたのは吉田健一ではなく、開高健だったと思いますが。

まあ概して、狩猟民族の頑強な胃袋に比べてかなり繊細な胃袋を持つ瑞穂の国日本の私たちは、欧米を旅する時には固定概念を捨てることが重要だと思います。
「三食きちんと食べよう」
「ちゃんと西洋料理の規則に則って、『前菜』『スープ』『メイン」『デザート』の順番で食べなくてはならない」
という考えは是非とも捨て、また惰性でレストランに入ったりオーダーしたりしないで、寧ろいつも腹八分目どころか空腹気味の方が絶対に旅行中の体調は良いはずです。そもそも国によってパターンは違えど、イギリスでもドイツでもフランスでもつい近年まで、例えば子どもはちゃんとした夕食はなしで夕方に軽食を与えられて早々にベッドに追いやられて寝かされてたんですよ。小さい頃に読んだ海外の物語(「メアリー・ポピンズ」やら「ジェーン・エア」やら)にそういう場面がありましたよね?

という訳で、食生活についてはこれでおしまい。


以下「その2」に続く。