日本人学校に行かないデメリット 高校入試で帰国受験する場合

海外赴任になって子供を日本人学校ではなく、現地校やインターナショナルスクール、アメリカンスクールに入れた場合のデメリット


我が子の場合に沿って書いてみる。

小学校6年→中学校3年の間、インターナショナルスクールに在籍した娘の場合(中三の夏に帰国して帰国性入試を受験)

日本の義務教育における中学校3年間の部分、特に理科・社会部分がすっぽり抜けている。日本にいた時には、寧ろ理科や社会が得意だったのに、帰国生入試で日本の高校生になった今、理科・社会でもの凄く苦労しており、センター試験に向けても茨の道を歩んでいる。勿論、インターナショナルスクールにも理科(science)、社会科(social studies)はあるのだが、「高校受験」や「大学受験」にははっきり言って全く役立たない。娘の場合は、理科に関しては、例えば化学分野や生物分野は用語が、日本語より英語が先に入ってしまい、日本に戻ってきてからとても苦労し、結果苦労して諦めてしまっている感がある(余り根性もないので)。

例えば、英語が迷惑な言語であるのがそもそもの原因なのだが、

元素記号「Na」は、日本語ではナトリウム、ラテン語でもドイツ語でも勿論読みは「ナトリウム」なのであるが、英語だと「ソディウム」。
元素記号「K」は、日本語ではカリウムラテン語でもドイツ語でも勿論「カリウム」だけど、英語だと「ポタシウム」。

生物分野の光合成なども、インターではかなり長期に渡って勉強し熱心にやっていたのに、日本に帰ったら用語が分からずにお手上げ状態、である。

しかし、これは本当は喜ばなくてはいけない結果なのだ。というのは、インターナショナルスクールに入ってごくごく最初の時期は、親が学校のテキストやらプリントやらをいちいち「日本語に訳して」説明して、本人は理解していたのだったが、それが英語力がつき、親の力を借りずとも授業を受け宿題をして、という段階になると、結局学校で教わる内容が、「日本語に訳されて頭に入る」のではなく、「英語のまま直接頭に入る」状態になっている、ということなのだから。最もこの段階になると、日本の教育しか受けてこなかった親にとってはもうついていけないレベルであるが。物事を「英語でそのまま理解出来る」ということが、一番の財産だと思って、今娘には日本の理科でいい成績をとることは全然望んでいない、どころか、単位を落とさないで進級してくれたら十分、という心境。勿論、日本に帰ってからも大学で理科系の学部に進むために「日本の理科」を頑張っているお子さんはたくさんいますので。

社会については、海外に出る前に中学受験を考えていた娘の「社会の知識」は、四谷大塚のテキスト「予習シリーズ5年下」で止まっている。つまり、日本の地理、と、日本の歴史、の大雑把な知識のレベルである。大学受験を控えた今、これも大きなハンディとなっている(それでも全く知識がないよりはマシ、なのだが)。インターでは、ハイスクールレベルでもそうなのだが、そもそも日本の教育のように「全体を網羅しよう」という意識が全くない。娘も7年生の時だったか、インターの「社会科」で、「メキシコ」についてやたら詳しくやっていた。数ヶ月かけて、メキシコの地理から歴史から音楽やら美術やらひっくるめて、日本で言うところの「調べ勉強」的に学ぶのだ。子供達がそれぞれ調べて、レポートを書き、プレゼンし、最後には全範囲についてテストも行われる。このやり方を「日本の詰め込み教育とは違って生徒の自主性に任せた素晴らしい教育」と見るか、日本の教育システムで育った私のように「出たとこ勝負の余りにもお手軽な授業で、こんなもんでいいのか?」と大いに疑問を抱くか、は意見が別れるところだと思う。よく外国人が「日本と中国と韓国の位置がわからない」とか「トーキョーとベイジン(北京のこと)の区別がつかない」とか言っているのは、「網羅的に学習していない」からなんでしょう、むべなるかな。とにかく、日本人学校に行かない、というのはこういうことなのである。



国語に関しては、海外に出た時期が小学校6年生ということもあって、漢字力はもうある程度出来ていたし、元々本が好きな子だったので、思ったほどは問題はなかった。それでも、多分日本でフツーに中学校時代を過ごしていたら、意識しなくても入ってくる、日本語のことわざや故事成語、四字熟語とか、抽象的な単語は、随分怪しい。帰国してからも、例えば地名や駅名でも、漢字3文字以上になると覚えが悪い。まあ、これも仕方がない。帰国が見えてきた頃から、衛星版朝日新聞天声人語を音読させていたのだが、時間がなかったり忘れていたり、で結局フェイドアウトしてしまった、これは親として反省している。

数学に関しては、はっきり言ってインターの数学に期待してはいけない。ウチの子供たちの言によると、ガイジンの子というのは数学に関して、「悪魔のように出来る」子と、「中学生レベルでも九九も電卓使ってやる」子と両極で、割に早い時期からいわゆる「能力別クラス」になり、出来ない子は別に無理して勉強して上のクラスに行きたい、ということは全然ないのだそう。それより何より、日本ではゴマンとある「数学の問題集」というものが本屋にない。否、「学習参考書」とか「受験用問題集」とかもないんじゃないだろうか、少なくとも本屋にそういうコーナーはない。つまり、日本に帰ってからのことを考えれば、数学だけは、何としても親が歯をくいしばってでも、日本の数学のレベルを維持させるべく奮闘しなくてはいけない、ということだ。特に帰国して高校受験をする場合(大学受験だと、理科系学部は必要だが、文系学部だと数学を受験科目として要求する大学は、東大でもない)。これは、毎日日本の学校と同じ教科書、カリキュラムで勉強している日本人学校の生徒に比べて、大いにハンディになるところ。

あと、これは勉強面ではないけれども。女の子の場合、日本だと、小学校高学年から中学校にかけて、「オンナの社会の掟」みたいなものが集団の中で出来ると思うのだが、それが学ばれないまま、日本の高校生になってしまった、という感がある。いわく、「いつも同じグループで行動し、お弁当食べるのもトイレに行くのも一糸乱れず毎日同じメンバーで、一人だけの単独行動はありえず、ましてや男子と行動するなんて即弾劾!」というようなことが、娘は身についていない。親としては、本人がそれでよければいい、とは思うのだが、日本の学校ではそれが通らない場合もあるらしく、複雑な思いである。

ハイスクールで3年間過ごした息子については次回に。