小保方氏の、公開された実験ノートを見て 雑感

予想通り、というか、予想外、というか、予想以上、というか。


小保方氏の代理人である弁護士が公開した小保方氏のノートの件です。
あちこちで見られますので、ここでは敢えてリンクは貼りませんが、マウスのスケッチと、「陽性かくにん!よかった。」「♡」というヤツです。


日本中を萎えさせたともいえる、この実験ノート公開ですが。
腑に落ちたところと、腑に落ちないところ、それぞれについて考えてみます。


腑に落ちないことのナンバーワンに来るのは、何と言っても何故このノートをわざわざ公開したのか?ということですね。


小保方さんは実験ノートを公開しない方が良かったんじゃ? 最終防衛ライン2 


最終防衛ライン氏も書いていますが、小保方氏本人が「実験をしていたことを証明するために公開したい」と望んでも、フツー、弁護士が止めるでしょ?
しかも、フツーの弁護士などではなく、百戦錬磨のプロの弁護士です。
しかもです、公開されたノートの断片4枚のうち、手書きのコピーの1枚を除いて、残りの3枚は代理人がノートから打ち直したものだそうですが、あの遣り手の策士のような弁護士の先生方が、「陽性かくにん!」と「♡」を律儀にPCに打ち込む、って、何か隠された思惑があるに違いない? 彼らが、「陽性かくにん!」と「♡」を見たマスコミと世間がどのように反応するか、は十分に予想しているはずなのに? 弁護のプロが依頼人にとって不利なことをやるだろうか?と思ってしまいました。

何故、プロの弁護士がこの4枚のノートの断片を「敢えて」公開したのか?について、あらゆる想像力を動員して予想してみるに、
上掲の最終防衛ライン氏のブログのコメント欄にあった、「代理人も、今の仕事を早く終わらせたかったから」というものと(←これはジョークと解釈して)、
もう一つ考えられるのは、この稚拙なノートがどんな批判を受けようとも「これが小保方氏の真実であり、STAP細胞はそれでも尚存在する」という確信があるから、ということですけど・・・。
それにしても、脱力しました。



腑に落ちないことナンバーツーは、今までどうやって世の中乗り切ってきたの?、ということです。
小保方氏は、
早稲田のAO入試、卒論・修論・博論、院試、学振、グローバルCOE高度人材養成プログラムでのハーバード留学、理研への就職、
これらの、関門をくぐり抜けてきたのです。
これらのどれをとっても、「陽性かくにん!」「♡」では乗り越えることはできないでしょう。
見当違いのことを言っている方々もいますけどね。

AO入試から理研の採用まで、これらの関門をくぐり抜けるのには、膨大な書類を1枚の漏れも無く揃えて願書を書き、志望理由書やら研究計画書やらをびっしりと書き(とても「♡」では通りません)、その事務的作業を正確にこなすことは勿論、それぞれの競争において、有力な競争者を押さえて、理研のユニットリーダーに採用されるところまで勝ち残ってきたのが、小保方氏です。
話に聞くところによると、学振に採用されるには、申請書なるものを書かなければならないそうなのですが、それはそれは大変なのだそうです。そして苦労して書き上げても採用されないことの方が多いとか。
常識のある人なら理解するでしょうが、それは「おっさんにホイホイされる愛嬌と家族のコネ」で何とかなるものは到底なく、彼女は厳正な競争をくぐり抜けてきたのでしょう。
その事実と、あの「♡」のノートの気が遠くなるような落差!
この落差の理由を誰か説明して頂きたい。
数多の競争者の中から小保方氏を選んできた、AO入試の試験官、学振の審査員、理研の採用担当者は、何を以てそう判断したのか?


そして更なる疑問は(多くの方が挙げておられますが)、大学入学以降のこの小保方氏のキャリアの中で、誰も彼女に「実験ノートの書き方」というものを指導しなかったのか?ということです。
この「誰も」の中には、勿論彼女の大学・大学院時代の指導教授も入りますが、ラボの先輩やら同輩やら、一緒に実験をしていた方々は、見ようと思わなくても垣間見えたであろう彼女の「自己流」のノートにダメ出しをしなかったのか、問題視しなかったのか?
理研の笹井氏は自身の会見で

小保方さんは直属の部下ではないため、学生などに言うように「実験ノートを見せなさい」と言うことはなかったです。

と巧みに責任逃れをしていましたが、これこそ大きな疑義が残ります。
若山氏も同様ですが、同じ研究室で長時間一緒に実験をしていれば、小保方氏がノートをとるところ、もしくは大事なことすらノートにとらないところも、いやでも目にする機会はあったのではないでしょうか?
指導者として小保方氏に関わった方々が、皆、笹井氏のように、「『実験ノートを見せなさい』ということはなかった。」と言うのならば、上に挙げたtweetの中の、「おじさま方への目配せ」は成り立たなくなりますし。
だって、「おじさま」に見てもらえないノートに「目配せ」(←正しい日本語は「目配り」?)して「♡」を書く必要性ありますか?
逆に、おじさま方、否、小保方氏を指導する立場にあった方々が、ノートに書かれた「♡」を見て「女子力」にシビレていたのだとしたら、何故折角目にした酷いノートに驚き「ノートの取り方」くらい指導しなかったのか?
この謎は、今回の理研の調査委員会のようにどこかの機関が調べて解明してくれるというものにはならないでしょう。
幾つかの大学や研究機関にまたがっている、小保方氏と関わった指導者の方々を誰が調査してくれるというのか?
これこそ、マスコミやジャーナリストの仕事になると思います、当初「割烹着」だ「リケジョ」だと大騒ぎした罪滅ぼしに、是非それをやって頂きたいところです。


さて、この小保方氏のノートを見て、腑に落ちた、というか、逆に得心したこともあります。
それは、小保方氏は「女子力」が高いわけではない、ということです。
「♡」に騙されてはいけません。
「リケジョの星」「女子力高い」というのは、マスコミと世間の、大勘違いだったのではないか。
STAP細胞論文の記者会見の時に、マスコミと世間が勝手に描いたイメージがそもそも間違っていたのでは?
「晴れの場に備えなければ」と大真面目に考えて、ヘアもメイクも(多分)プロの手を借り、
自分が安心して着られるブランド服の中から、多分「黒」だからフォーマル感があると考えて、黒の短いフレヤースカートに黒のカーディガン。
これを「女子力高い」と言えるのでしょうか?
お店の店員が、「これならフォーマル感もありますよ。」とあのスカートにあのカーディガンという普段着を勧めたのだとしたら、その店員はわかっていません、あのTPOに全くのミスマッチ。
女子アナとか、CAとか、「女子力偏差値MAX」と言われている方々なら、スーツでしょ、ここで選ぶのは。
そして、ブランドのことなど全然知らないマスコミのおじさんたちが、柄にもなく大はしゃぎして、「何でも『ヴィヴィエン・ウエストウッド』というイギリスの『ブランド』を、小保方さんは好きなんだそうだ。」とばかり、全国紙の紙面にまでそれが載るという嘆かわしさだったのですが・・・。
ヴィヴィエンって、もう終わったブランド、失礼、旬はとっくに過ぎたブランドじゃないですか?
論文に疑惑が持ち上がってから週刊新潮が「独占スクープ」として書いていた記事の中にも、「お気に入りのブランド、ヴィヴィアン・ウエストウッドのトートバッグを肩から提げ」とわざわざ出てきましたが、誠に失礼ながら、30代の女性の持ち物としてそれほど衆目を集めるものでしょうか?
わかる方にはわかると思いますが、ヴィヴィエンというのは、嘗てのピンクハウスミキハウスと同じようなポジションではないでしょうかね、今は。
器用に広く流行に乗っていけなくて、それでいて「人と同じものは嫌!」というこだわりもあり、他方頑固で一つのブランドにこだわってそのブランドのものばかり長年着ている、値段もそこそこ高いので逆に安心して着ることができる、みたいな?
学生時代から人一倍熱心にラボにこもって実験をしていたという小保方氏ですから、フツーの女子大生のように何冊もファッション雑誌を読んで出ているお店をクルージングして、という時間などなかったとしても当然です。
マスコミや世間がこぞって反応した「割烹着」「ブランド」「お気に入りの指輪」「ピンクの壁紙」「ムーミン」等々、本当はどれもこれも、30歳女性の「女子力」としては少々心もとない、はっきり言えば、かなりアブナいもの、だったのです。
「何を根拠にそんなことを!」とお怒り、訝られる方には、30歳代の女性を対象にした「VERY」

VERY (ヴェリィ) 2014年 06月号 [雑誌]

VERY (ヴェリィ) 2014年 06月号 [雑誌]

という雑誌を手に取られて、小保方氏の有り様と比べてみることをお勧めします。
翻って。
4月10日の会見時に小保方氏が着ていたワンピースは、外出できない小保方氏の代わりにお母様が用意された、と報道で読みました。
そのワンピースはヴィヴィエンではなく、他のもっとオーソドックスなブランドのものでしたが、あれは母が選ぶものとしては、最高にして最適のチョイスであったと思います。
ワンピースというチョイスも、あの場合、スーツは本人が試着しないとフィット感とか感じがわかりませんからお母様とて本人不在では買えない、その次善の策として、「とにかく1枚着てしまえば何とかなる」ワンピースは最適でした。
しかも、「何とかなる」ためには、材質の良さ、洗練されたデザインが重要になってきますが、あのワンピースは完璧でした。
あのワンピースを選んでくるお母様、というのは流石だと思います。
ただ、私見を言わせていただくと、パールのネックレスは違うかな、と思いました、ノーアクセサリーはお子様っぽくなるとして、銀のネックレスかペンダントくらいの方がベターだったかも。
とにかく、あの会見の時も成り行き上(マスコミに包囲されて外出できなかった)、ホテルの美容室でヘアメイクをしてもらって、小保方氏の「女子力」の実力ではないところで、「女子力」を発揮してしまった結果、バッシングと同情を両方受けることになったのです。
バッシングは勿論、誤解に満ちた同情も、小保方氏が意図したものでも欲したものでもなかったのでしょう。


小保方氏の実像は、器用に立ち回る「女子力」などというところには全くなく、また、コツコツと几帳面にデータを積み上げる、とか、「女子力」を発揮してカラーペンやら色とりどりの付箋を使って図表やイラストもいれて詳しく記したノート、

東大合格生のノートはかならず美しい

東大合格生のノートはかならず美しい

とか作りそうなイメージを見事に裏切る、凄まじく荒削り(?)のノートテイカー、というものです。
後だしじゃんけんではありませんが、私は当初から、小保方氏はそういうキャラの方ではないか、と思っていました。
どういうキャラかと言うと、人並みはずれた集中力を持つ一方、例えば普段の生活では「片付けられない女」で部屋の中がぐっちゃぐちゃだったり、でも本人は「どこに何があるかは把握している」と嘯いているようなキャラ。
ファッションやお洒落に興味があるが、実際には仕事が忙しくそれは二の次三の次になる、だからこそ、ファッションにはこだわりがある、という逆説的態度。
これまた、「他人と同じはイヤ!」という自己主張は強いのに、同年代のミーハー女子がやっていることが気になり、真面目に追ってしまうという逆説的態度。
「不思議ちゃん」という言葉は、私は好きではないのですが、世の中ではこう呼ばれることもありますね、こういうタイプは。
奇妙なことに、「リケジョ」と同じく、これはジェンダー的に差別語というか、男子には用いられない言葉です。
男子学生、もしくは、男性研究者で、殆ど実験ノートはとらない、パソコンの中の資料はぐちゃぐちゃ、世界的権威ある雑誌に投稿した論文の画像が、本人の不徳の致すところにより間違いだらけ、といった場合だったら、世間はどう判断したか、と考えると興味深いですが。
再度話を小保方氏に戻すと、彼女の本質は、「女子力高い」では全くなく(←マスコミと世間が勝手に作った)、あの並外れた集中力であると、昨日の、理研の会見を見ていて確信しました。
辞任した石井委員長に替わって調査委員会委員長になった弁護士の渡辺氏、その後会見場に現れた川合理事、彼らが詰めかけた記者に対峙した時間は、小保方氏が自身の記者会見において記者の質問に答えた時間に比べれば遥かに短いものでしたが、ベテラン弁護士の渡辺氏や、いつも沈着冷静な川合理事でさえ、会見の終わり頃には、集中力が切れたのか、渡辺弁護士は最初標準語のアクセントであったものが関西弁のアクセントがぽろりと出たり、本来ならば言うべきではない「個人的意見」を発したり、川合理事も口調がカジュアルになるなど、長年高度な知的職業に就いている方々ですら、そうなのです。
記者の質問の趣旨が理解できず、聞き返す場面も、終盤は多くなりました。
それに比して、小保方氏が長時間の会見時、最初から最後まで保ったあの集中力。
記者の質問を的確に理解し、一言の失言もなく、敬語も完璧で会見の最後までそれを貫く、というのは、常人の能力を遥かに越えています。


で、思うのです、彼女、小保方氏は、その集中力で以て、今まで大学や大学院、理研で実験をしてきたのだろう、ということを。
小学生の観察日記程度の実験ノート、出たとこ勝負の画像の整理、それでも、この集中力と、失敗にへこたれない根性と、閃きだけで、ネイチャーに投稿するところまで、登り詰めてきたのだ、と。
代理人の弁護士の方々は、実験ノートがショボいこと、それで新たなバッシングを受けることを承知で、それでも尚、小保方氏の本質は毀損しないと踏んだから、自ら「陽性かくにん!よかった。」「♡」と打ち込んだものを公開したのかも。
小保方氏が数々の関門を乗り越えてきた事実を、「おっさんにホイホイされる愛嬌と家族のコネ」で得られたのだと、何の根拠をもってそこまで下種なことが言えるのか、私にはわかりません。
寧ろ思うのは、「不思議ちゃん」であり「片付けられない女」かもしれなく「アンファンテリーブル(←彼女、30歳過ぎてますけど)」とも言える小保方氏の、その類希な才能を、日本の科学のために、もっと上手く使ってもらう道はなかったのか、ということです。
小保方氏は、今一番大きな代償を払っていると思います。
それは、世間のバッシングなどではなく、「実験ができない」という何より辛い罰です。
この小保方氏にとって最大の不幸は何故起こったのか?彼女一人の責任なのか?この不幸はいつまで続くのか?
そして彼女の不幸を引き延ばす権利など、本当は誰にもないことに気がつきます。

今まで彼女に関わった全ての指導者の怠慢を嘆くべきか、勝手に虚像を作り上げておいて、手の平を返すように酷い言葉を投げつける以外のことは考えようとしないマスコミや世間の人々の薄情さを嘆くべきなのか。

小保方さんの粘り強さ 研究者として段違い NHK「かぶん」ブログ

これ ↑ は、たった、3ヶ月かそこら前のことだったのでした。