挫折した「元エリート」匿名ポスドク研究者が書いた「無題」という記事に関して、3パターンの今後の展開(妄想入り)


「無題」と題されたこの記事が、ちょっと前に話題になっていました。
私が偶然最初に目にしたのは、エリート意識と研究者という、理系脳毒之助氏という方の記事でした。私も理系脳毒之助氏同様、元記事を最初は素直に文章通りに読んで単純に心を動かされましたが、昨今デマやらネタに用心せねばならないのがネット生活の知恵という世知辛いご時世ですから、文章が上手過ぎる点も相俟って「ネタなのかしら?」と用心しつつも(でも書いてある場所が「ネタ」を書く場所ではないような気もするので)、私とは縁もゆかりもない全く違う世界の全く違う半生を書いたこの元記事について、色々と想像を逞しゅうしてみました。で、最後の部分、この部分はそれまでの抑制された書き方、抑制されているからこそ本来は鼻持ちならないエリート意識の塊の彼の心情が逆に生々しく共感できるものとなっているのですが、その抑制された書き方が突然壊れたかのようにバタバタと凡庸でストレートな書き方に変わって終わっているこの部分 ↓

自分の人生は終わった。世界を変えるような大発見も大活躍も出来なかった。遺伝子も次に引き継げない。しかしそんなものなのかもしれない。学生時代、自分は間違いなくエリートで輝いていた。それで充分だろう。

それまでの部分との整合が取れていないというか、内容的にも違和感を覚えてしまうので、それまでの部分が逆に「ネタ」である可能性をゼロにできないのです。これだと、「世界を変えるような大発見や大活躍」をするよりも、「エリートとして輝くこと」の方に重きがおかれているように感じてしまいます。これについては理系脳毒之助氏も以下のように、バッサリと切って下さっています。

一番の不幸は、この人にとって科学をするということは「エリートである自分」を表現するためのものでしかなく、自分の好きな事ではなかったということなのだろう。この匿名執筆者にとって、科学というキャリアは、残念ながらまったく正しい選択ではなかったのだ。学部時代にそのことに気づけなかった時点で、「エリート」を自称することを許される器も、頭脳も備わっていなかったのだ。

 科学をするということは、大変泥臭く、大抵孤独で、いくら頑張っても大して酬われることはない。人生半分過ぎたときに行き場がなくなり、お払い箱になることもしばしば。やっとの思いでたどり着いた発見も、興奮を分かち合い、その価値を理解するのは、世界中ほんの一握りの人間のみ。運良く現世的に役立っても自分が死んだ後で、見届けられなかったりするのだ(笑)。

 そんなある意味ばかばかしい行為に一生を捧げるつもりなら、その行為自体に強い思い入れがなければならないはずだ。
エリート意識と研究者


理系脳毒之助氏は、元記事に対して真摯に感想を綴っていらっしゃいますが、私も同じく真剣に、且つ妄想成分を少々加味してこの先の展開を、暇に任せて3パターン広げてみました、テーマは「まだ人生は終わっていない」&「起死回生」です。



1.元同期生の妻を誘惑する。
私は元記事を最初読み始めた時には、「研究がからっきしダメで論文もまともに出せずに修士で企業に行った」「大学院で同じ研究室に進んだ同期」の一連の行為(年賀状やメールのやりとり、家族のいる自宅への招待)は邪気は無いものと読めて、「有り体に言えば、こちらを見下しながら自慢していた。十数年来の復讐のつもりだったのだろう。」というのは、元記事の筆者の被害妄想ではないかと思ったのですが、最後まで読んで逆に筆者のその感想は当たっているのではないかと思い直しました。幸せな家庭を持ち順調な仕事に就いている「学生時代とは別人のようだった」その同期だって、名にし負う象牙の塔」T大の一員だったということは、幼い頃から「優秀」と言われて育ち、肥大したプライドを抱えていることは、元記事の筆者と同様な訳で、全てのことが計算づくであったのでしょう。ひぇ〜〜〜、男同士の嫉妬って、女同士の嫉妬が可愛く見えるほどコワいですね。いやいや、そんな歪んだ嫉妬心を持っている男だけは夫にしたくないものですね。
さてさて、ここからは妄想炸裂。昼メロ原作を目指したストーリー展開になっております。
「借りたタッパーウェアを返す」という口実のもと同級生の妻と会い、長い海外滞在経験を生かして、昨日今日会社丸抱えで日本から来て英語さえ怪しい駐在員や留学生などは知らないような、地元のレストランにでも誘います。誰もが知っている中高一貫校からT大を経て海外のラボに勤める研究者(同級生の妻は「ポスドク」の真実などわかっていないでしょうし)が隠そうとしても滲み出てしまう極上の知的雰囲気、長年の異国暮らしが醸し出す哀愁、そして独身というポジション。昔、田村正和主演でニューヨーク恋物語というドラマがありましたが、あの路線。高級レストラン(日本企業が接待で使うような)に行く必要はありません、寧ろNG。簡素だけれども美味しい料理を渋いウェイターが出す、川べり(←既に私の脳内で井上陽水の「リバーサイド・ホテル」再生中)のレストラン。そこで食事をしながら語らううちに徐々に心を許す、元同期生の妻。企業の駐在妻なんて、お付き合いと言えば会社絡みの人間ばかりで本音を言える友人も相談できる知り合いもいるべくもなく、また夫はT大卒の(とは言っても大学院では「研究がからっきしダメで論文もまともに出せず」であったのに)プライドばかりが目立つ会社人間で仕事優先、家庭を顧みず、海外暮らしの妻のストレスさえ気付いてやれない自己チュー、ときてますから、元同期生の妻の気持ちが田村正和、違った、元記事の著者になびくのに時間はかかりません。そして後は坂道を転げるが如くの顛末を辿り、元記事の筆者はラボを捨て、元同期生の妻は夫と子供を捨て、手に手を取り合っての逃避行〜〜〜!二人が辿り着いたのは、1.カリブの小島、2.メキシコ国境の小さな町、3.どこかアメリカの田舎の州のどこか思いっきり田舎町 (←USA行ったことがないので私、土地勘無いのです!どこを選ぶかは、お好みで)。いや、発想を変えて、一気に太平洋を超えて、4.シンガポール、5.香港 あたりでもいいかも。更にどんでん返しの展開として、逃避行直前、西日の入るstudioタイプのアパートの自室で「お前のことなんて愛していない。お前を誘惑したのは、◯◯(元同期生)に対する復讐だった。」と通告して、一人さっさと日本に帰国する、というシナリオもあります。・・・誰かに私を止めて頂かないと、無限にこの妄想が進んでいきそうなのですが、とにかく「まだ人生は終わっていない」のです。

恋は遠い日の花火ではない

というCMコピーが昔ありましたね。




2.研究者を断念して、教育者になる。
「研究」というものが「能力」だけではなく「運」にも左右される(それも「能力」の一部かどうか、は置いておいて)ことを自覚した今ならば、今度は「教育者」として再出発する。大学の教員ではなく、中学生や高校生を教えてほしいものです。「大学院での研究では同期よりも先輩よりもimpact factorの高い雑誌に論文が掲載された」ような筆者の学生時代ならば、「教職」という、凡庸な学生が安全パイでとる資格などとっていないことが想像されるので、日本に帰国して先ず教職をとらなくてはならないですが*1。それも、エリート意識に凝り固まった天上の世界から、人間臭い俗世へ下りてくるよいリハビリになるでしょう。著者の出身高のような「誰もが知っている中高一貫校」で、若き頃の著者そっくりの優秀な頭脳と傲慢なプライドとそしてピュアな夢をない交ぜに携えた少年たちの前で教鞭をとるのもよいですが、できればどこか地方の私立の全寮制の中高一貫校の寮に舎監として住み込み、「誰もが知っている中高一貫校」の生徒よりは遥かに擦れていない生徒たちに、教育者として自分の広範な知識を教えることに残りの人生を捧げてほしいですね。最初は煙たがられつつもやがては生徒に慕われるようになり、休暇に出かけた旅先で女優と知り合い・・・ここまで書くとわかりますよね?目指せ、チップス先生!ですよ。又しても妄想が炸裂気味ですが、類希な能力を持ちつつ「運」には恵まれなかったこれまでの人生を、今度は後進を育てるために生かせる「教育者」という仕事は、「世界を変えるような大発見も大活躍も出来なかった。遺伝子も次に引き継げない」人生よりもずっと意義あるものになるでしょう。また、慕ってくれる生徒との交流、妻との生活は、「エリートで歴史に名を残す人物になる」よりも数倍も人生らしい人生になるでしょう、「まだ人生は終わっていない」のです。
(「チップス先生、さようなら」を、私はずっと以前にどうやら小説で読んで、次に触れたのは、有名な1939年版の映画でもなく、1969年のミュージカル仕立ての映画でもなく、2000年代に入ってからのテレビドラマらしい。)
小説

チップス先生さようなら (新潮文庫)

チップス先生さようなら (新潮文庫)

原書
Good-Bye, Mr. Chips

Good-Bye, Mr. Chips

1939年版の映画
チップス先生さようなら [DVD]

チップス先生さようなら [DVD]

1969年版の映画
チップス先生さようなら(1969) [DVD]

チップス先生さようなら(1969) [DVD]

多分私が見たテレビドラマのDVD
Good-bye,Mr,Chips





3.「教職」というものに興味がないのならば、文筆活動!
これだけの文章が書けるのですもの、しかも理系で。書く材料はゴマンとあるでしょう。


「誰もが知っている中高一貫校」を舞台にして「車輪の下」や「トニオ・クレーゲル」ばりの純文学
上記と同じテーマでBL原作
理系要素に海外要素を加味した洒脱なエッセイ(福岡伸一氏を超えてほしい)
ラボでの完全犯罪を描いたミステリー(英訳を見据えて、舞台は海外のラボ)
理系の学生が海外に留学する時のライフハック
1に書いたように海外でのポスドクと駐在妻のめくるめく不倫小説


どのジャンルでも他の人では持ち得ないほどの題材を既にストックしているでのですから、それを片っ端から文章化していけばよいのです。芥川賞でも取った暁には、否、賞なんてとらなくても書いたものが広く膾炙すれば、「本名を出し、輝く所属先を示し、上から目線で大勢の前で講演をする」ことの可能性もまだまだ残されています、「所属先」だけは、「自由業」という最高に輝くものになるでしょうけどね。




元記事に関してここまで楽しく勝手な妄想を巡らすことができた今、もう元記事が「事実」であろうが「ネタ」であろうが、「オレオレ詐欺」であろうが、どうでもよくなってきました。元記事が載ったサイトはBioMedサーカス.com〜医学生物学研究者のための総合ポータルサイト〜という至極真面目なもののようですが、この衝撃的とも言える(実際そうだったのです)元記事の後には、既にフォロー記事というか、研究者になることのメリットというまともなものも載せられていますが、研究者の方々には是非、国境にも学閥にも世間体の枠にもはまらずに(私の妄想も1ナノミクロン参考にして頂いて)、下々の人間同様、人生を楽しんで頂きたい、と思う今日この頃。


そして。
勿論女性研究者の方も、思う存分人生を楽しんで頂きたいと思います。先月の日経新聞の「私の履歴書」は、米沢富美子慶應大学名誉教授にして物理学者だったのですが、そのパワフルなこと、ヒッグス粒子ですら米沢先生の動きを制御することはできません。最初の10日間くらいは(「私の履歴書」は一ヶ月続く)、T大卒ポスドク研究者である元記事の筆者の強烈なエリート意識さえ、おままごとのように思えるほどの、「私が如何に優秀であり、卓越した唯一無比の存在であったか」という迫力の「大自慢大会」に読めて、毎朝鼻白ませて頂いていたのですが、10日を過ぎるあたりから、米沢節に慣れて来たというか、その旺盛な研究意欲にも勝る「人生を存分に楽しもう」とする意欲に引き込まれて、残りの20日ほどは、家族揃って(私、夫、娘、下宿先の息子)毎朝楽しみに愛読させて頂いたことです。研究者の方々は、凡人が想像もできない「知の最前線」に日々挑んでいらっしゃるのだとは思いますが、人生もまた日々の積み重ねですから、是非米沢先生を範として頂きたいですね。

*1:とは言いながらなかなかに難しいようですが。http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n16580