NHK朝の連続ドラマ「カーネーション」の結婚観に唸る、そして色々考えさせられる

NHK朝の連続ドラマ「カーネーション*1にはまっています。
2007年のちりとてちん*2以来のはまりっぷりです。「ちりとてちん」の時には、朝一番で7時半からのBSの放送を見て、その後地上波で見て、お昼の再放送で見て、流石に夜のBS再放送は見ませんでしたが、週末の一週間分の再放送をまた見る、という有様でした。今回もそれに近い状態になりつつあります。両方とも、NHK大阪局の制作なんですね。

女性の一生を描く連続ドラマにおいては、本来ならば一大イベントである筈の、「ヒロインの恋愛、そして結婚に至るまでのドラマ」「結婚式」「第一子出産」ですが、「カーネーション」においては、いとも簡単にそのイベントであるはずの一連の出来事が、今週一週間であっさり終わってしまいました、しかも「恋愛」らしい「恋愛」ではちっともなく、また「結婚式」のシーンも1回放送分15分のうちの僅かの部分(昨日金曜日がそうだったのですが)、そして「第一子出産」も出産の瞬間のお決まりの絶叫シーンもなく呆気なく可愛い赤ちゃんが生まれてきました。
今後の展開が興味深いのですが、今回のこのドラマのヒロイン糸子の結婚も、ヒロインの幼馴染みで高級料亭の若女将奈津の結婚も、清々しいまでに呆気ないというか素っ気ない描かれ方でした、ついでに糸子に色々と生きるヒントを与える髪結いの八重子さんの結婚に至っては
「親の勧めるままに結婚を決めたから、結婚式当日まで夫には会ったこともなかった(その夫が恋愛向けのいわゆる「イケメン」、というひねった設定がまた唸らされますが)。」
という、現代においては驚愕ですが昭和初期にはよくあった結婚の設定になっています。そう言えば、私の祖父母はヒロイン糸子と同世代ですが、父方の祖父母も母方の祖父母も八重子さんの結婚と同様、親が決めた結婚で式当日に初めてお互いにちゃんと会って話をした、という「カーネーション設定」ですね。
女性がヒロインの朝の連ドラとしては、このドラマほど「恋愛」「結婚」に重きをおかない設定は珍しいのではないかと思います。普通のドラマの中では「結婚」とは、「運命の出会い」から「めくるめく恋愛の過程」を経て辿り着く「人生最大のビッグイベント」、といった描かれ方をされるものです。
先日娘が入院した時に買っていた「BAILA」という雑誌が、

12月だというのに「結婚特集」をしていました、と思ったら、この雑誌のウェブサイトでは年中「ウェディング」の特集をやっているみたいで、「おシャレ読者が結婚式でこだわったこと」を載せた「HANAYOME-KUMI」という読者のブログもあって、如何に自分が、結婚式、ドレス、指輪、教会、会場、お花、等々にこだわったか、ということが載っているのです。「カーネーション」の糸子とは真逆やなあ、そんなに自分が可愛いんかいなあ、それにしてもみい〜んなウェディングドレスば〜っかりで日本の伝統衣装の白無垢がないっちゅうんはどういうことや?等々、糸子のナレーションに影響されて考えたことです。そういえば、夏頃にやはり娘が買っていた「Oggi」という雑誌も、

別冊で結婚特集をやっていた記憶があります、昔まだ「女の25歳はクリスマスケーキ説」(←今これを知っている若い人いませんよね、娘も知りませんでした)がまかり通っていた頃は「結婚特集」といえば「ジューンブライド」からの発想なのか6月号、と相場が決まっていたのですが(西洋ではいざ知らず、日本では6月は梅雨の季節なのですから「6月の花嫁」に拘るなんて、変な話だったのですが)今は1年中「結婚特集」やっているものなんですかね。そしてあらゆる情報を駆使して「可愛い自分」にとって(←これ重要、決して「家族や花婿にとって」、ではないようで)「最高のウエディング」を作り上げようという、想定された読者の情熱が、これらの雑誌からひしひしと感じられます。
けれども、私のこの年齢になって周囲を見渡すと、離婚している友人もちらほら、離婚はしていなくても「家庭内別居」同然という友人もかなりいて、寧ろ「夫唱婦随で共白髪」という夫婦はそんなに多くはないのが現実です。若い頃、いわゆる大恋愛の末に結婚したカップルでもドロドロの離婚に至った例がある一方、学生時代に付き合っていた彼と泣く泣く分かれて親が勧める見合い相手と結婚した友人がすごく味のある夫婦になっていたり、と、「結婚」に至るまでがドラマティックだったか、また、「結婚」というイベントに力を入れたか、ということと、「結婚生活」が幸せに長続きするか、ということは別物である、と今なら断言できるのですが、若い人にはわからないことでしょうね、我が娘もそうなのですが。



「結婚」と言えば、こういう報道がありました。

読売新聞(11月25日)
政府は、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保つことができるようにする「女性宮家」の創設に向けた検討に入る。
(中略)
宮内庁が皇族方の減少を食い止めることが喫緊の課題と政府に伝えたことを踏まえ、国民的議論を踏まえて検討を進める方針だ。

そもそもこの21世紀の時代に、女性皇族の結婚相手の恋愛感情や出自や個人情報以前に、女性皇族と結婚してマクドナルドに行けないのは一向に構わなくてもスタバにも行けなくて、TwittermixiFacebookネトゲもできないかできても不自由な生活を強いられる環境に飛び込む覚悟がある日本人男性がいるとは私には思えないのですが、これはそもそも女性の若い皇族方が結婚後も皇室にとどまられば解決する問題ではないんじゃないでしょうか。
天皇陛下からご覧になって「孫世代」の男子の皇族が、5歳の悠仁親王お一人のみ、という現状から生まれた問題だと思われます。
本当に「気がついたら」こうなっていた、という感がぬぐえません、皇室にとって、また国民にとっての「理想の結婚観」が違う形であったなら、違った現在になっていたかもしれません。


思い出すのは、もう20年以上前、総合雑誌文芸春秋」の誌上で、様々な分野の識者の方々が「皇太子妃にはどういう方が望ましいと思うか?」という問いに回答する、という企画です。それはまだ「お妃探し」の極々初期の頃で、現皇太子妃殿下の雅子様のお名前はまだ全く出ていなかった頃ですが、殆どの回答者は、

「語学が堪能な方」「国際感覚に優れた方」「スポーツが堪能な方」「明るく積極的な性格の方」「平民(!)出身の方」等々*3

の答えだった中、一人だけ異色の答えを寄せた回答者がいました。その回答は以下のような趣旨のものだったと記憶しています(あくまでも私の記憶です)。

「語学なんて今できなくてもよい。通訳もつくし自然と身につけられることである。それよりも、出雲の神官の家系か、日本は瑞穂の国なのだから新潟の豪農の家系の娘さんで、男の子が多く生まれる多産系の家系から皇太子妃が出られるのが望ましいと思う。」

こう回答したのは、故江藤淳氏です。ご存知の方も多いと思いますが、念のために解説すると、江藤淳氏の本名は江頭淳夫で、現皇太子妃殿下のお母様(旧姓「江頭」)は従妹にあたります。江藤淳氏がこう回答している当時は、まだ雅子さまが候補にすら上がっていらっしゃらなかったとはいえ、その後の展開、そして今日の皇室の状況を見ると、氏の発言がなかなかに烱眼であったのではないかと思わされるのと同時に、現皇太子妃殿下が遠縁にあたるというのは何とも皮肉だとは思います。

当時彼の発言は極めて異色であり、国民の殆どは「平民出身の女性との、本人同士の意志による結婚」、つまり当然のように「恋愛結婚」を皇太子殿下に望んでいたのでした。

昭和34年に現皇后陛下である美智子さまが、初めて平民(といっても最上位の階級)から皇室に嫁がれ、しかも「平民と同じように」(実は当時はまだお見合い結婚も50%以上を占めていたのですが)*4「テニスコートの恋」を経て辿り着いた結婚だと盛んに報道されたようです(私が生まれる前なので当時の実際はわかりませんが)。折節に報道される当時のパレードや提灯行列の映像のアーカイブを見るにつけ、この「結婚」自体が国民に対してどれだけ皇室のイメージを上げる影響力を及ぼしたかが、が了解されます。つまりこのご結婚は大成功だったわけです。けれども本当の「大成功」はそれだけではなく、寧ろそれからにあったと思われます。皇室ではなく普通に民間に(といってもさぞハイブロウな嫁ぎ先になったと思われますが)嫁がれたら一点の瑕庇もない完璧な賢夫人と称されたであろう美智子様も、皇室という環境では相当な苦労をされたことも、よく知られていることです。けれども、美智子様はご成婚からすぐ、と言っていいほどそう長くない月日の後に、男の子をご出産になり(1960年)、5年後の1965年にも更に男の子をご出産になられたということ、これこそが「大成功」だったのです。「平民出身」で「恋愛結婚」で皇室に入られただけでは、これほどの国民の圧倒的支持も得られず、ましてや美智子妃殿下(当時)に対して批判的な旧皇族華族の方々の口を塞ぐこともできなかったでしょう。この「大成功」即ち「ご結婚して間もなくの男の子誕生」を当時は皆当然と受け止め寿いだのですが、よ〜く考えてみると下々の家庭でも、「結婚してすぐに跡継ぎである男の子が生まれ、更にダメ押しの次男も生まれる」(←無礼な言い方かもしれませんが、この次男礼宮様こと現秋篠宮様がいらっしゃらなければ事態はもっと深刻になっていたのです)、という例は今日ではあまりないのではないでしょうか?けれども当時は、それを「当たり前のこと」と思ってしまったが故に、つまり次の世代でも「恋愛結婚→男の子の誕生」と当たり前に進むと思ってしまっていたが故に、今日の問題が生まれたとは言えないでしょうか?

二代続いて平民出身の才媛が皇太子と恋愛の末皇室に入り何事もなく男の子を産む、という何の根拠もない希望的観測は、実際はそうはなりませんでした。皇太子妃雅子さまは、文芸春秋で識者がこぞって挙げた条件は全て満たしていらっしゃいましたが、「男子のご誕生」だけは叶わないまま、日本は今日を迎えています、これは下々の世間的に見れば、今日的にはよくあること(「キャリアを持つ女性が遅い結婚をして、なかなか子供に恵まれず、不妊治療の末やっと一人女の子を授かる」というストーリー)なのですが。


皇太子殿下の「お妃探し」については、当初から天皇皇后両陛下は「本人(つまり皇太子殿下)に任せています」というお言葉でした。そのお言葉通り、ご本人のご希望に添ったお妃候補がなかなか現れないままあれよあれよと年月が過ぎ、雅子様に「一生お守りします」と積極的にアプローチ(即ちご両親と同じく「大恋愛」のプロセスを経られて)をされて皇太子殿下は最終的に32歳でご結婚、41歳で長子(愛子様)ご誕生、ということになられたのですが、世間一般的に見ても、32歳でご結婚というのは少々遅いご結婚であり、41歳でパパ、というのはかなり遅いと言わざるをえません。
もし、「恋愛結婚」に拘らず、もっと早く若年で、江藤淳氏が指摘したような女性を皇太子妃に迎えていたならば、せめて27歳くらいでご成婚されていたら、長子のご誕生ももっと早いはずで、お子様は一人と言わず、あと何人かいらっしゃったかもしれませんし、それが全員女の子のお子様であったかもしれませんし、その中に男の子が生まれていたかもしれません。これがやはり世襲が常とされている歌舞伎役者や古典芸能の家であれ、「家業」を持つオーナー企業の家であれ、下々ならば女の子一人しか生まれなくてもお家存続のためには「養子」「婿取り」という方法があり、それで却って家が栄えたりするものなのですが(嘗て大阪の船場商人の家では、出来の悪い長男よりも優秀な婿を取る方がよいとされたとか)、皇室という特殊な家系においてはそれは現状ではできないのですから。


日本最高の家系について、下々中の下々である私がどうのこうの言うのはこの辺でやめておきますが、今かつてないほど、結婚斡旋業者というか結婚相談所が繁盛し*5(震災後「絆」を求める心理もあるとはいいますが)、合コンが流行り、直近では街コンとやらに多くの若い男女が殺到していると聞くにつけ、「ああ、今という時代は故江藤淳氏のように、或る意味自信を持ってその人に合った『結婚』を示すことができる大人が若い人たちの回りにいないのだ。」と思うことです。

そう、「運命の人」と「恋愛結婚」するだけが幸せへの道ではないのです!
カーネーション」の糸子や奈津や八重子さんのように、「恋愛」なんて二の次三の次で、
「親が決めたから」「好きな仕事ができるから」「やりたい仕事を続けるのに都合がよいから」「家族が喜ぶから」
という、非恋愛的理由で結婚を決めてもいいんです!それでも幸せになれるんです!若い人たちに言いたくなってしまいます。

なかなかに示唆に富む「カーネーション」的結婚観でありました。

*1:http://www9.nhk.or.jp/carnation/

*2:http://www9.nhk.or.jp/asadora/chiritotechin/

*3:皇太子妃雅子様はこれらの全ての条件を満たしている女性なのです、ということは当時の識者、ひいては国民が考える理想のお妃だったわけです。

*4:http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Data/Relation/2_Factor/1_kekkon/1-2-A34.htm

*5:http://www.zubat.net/kekkon-soudan/promo/landing/index05.html?ID=bdfcw17170