「マダム」も良いけど「姐さん」にも憧れる


「おばさん」という呼称 Ohnoblog2 を読んで。


己の欲せざる所人に施すことなかれ

情けは人の為ならず

諺、って偉大ですね。この「おばさん」呼称問題についてもまさに「金言」、と言えましょう。

自分が他人から血縁関係関係無しに「おばさん/おじさん」と呼ばれたくなかったら自分も他人をそう呼ばないこと。

自分が呼称として「おばさん/おじさん」を使わずに何とか相当年齢の方々とコミュニケーションをとる努力をしていれば、いつか他人も自分に対して「おばさん/おじさん」と呼ぶのを止めてくれる(かもしれない)。

ということではないでしょうか?


若い頃、不明にしてそれに気付かずに誰彼構わず「おばさん/おじさん」と呼びかけまくる人生を送って、30歳過ぎて今度は自分が「おばさん/おじさん」コールの嵐に見舞われてもそれは自業自得なので、黙って耐えること。そして次のステージ、「おばあちゃん/おじいちゃん」と見ず知らずの自分よりも若い奴に呼ばれないようにはどうしたらいいのか、を静かに模索するべし。

悟りの道はもう一つあって、「おばさん/おじさん」と呼ばれても、それに拘泥することなく黙って甘受する、更にはその呼称に相応しく振る舞うことを楽しむことである。これは或る意味、年を重ねなければできない人生の醍醐味というものです。化け物じゃあるまいし、人間いつまでも若くはいられないのですから。

そもそも何故「おばさん/おじさん」と呼ばれることに敏感になるのか?
一昔前、我が家の子どもたちが小さい頃、遊びに来た大人の女性には二通りありました。
一つは、子どもたちに「おばちゃん」と呼ばれて、微かに顔が引きつりはしても別に動じないタイプ
もう一つは、「おばちゃん」と呼びかける子どもたちに向かって、「わたしは『おばちゃん』じゃないでしょ?わたしは結婚してないし、子どももいないから、『おねえさん』なのよ!」とムキになって教えるタイプ

大体、幼稚園以下の子どもの世界観では、「おねえさん」というのは、せいぜい小学校3、4年生くらいまでの女の子を指すのであって、幼稚園児から見たら、小学校6年生の女の子でも、もう立派な「オトナ=オバサン」のように見えてると思うのですよね。ましてや30歳近い女性など「おねえさん」である筈がないのですが。

いやいや思い返せば女性だけではなかったなかった。若い男性でも、「おじさん」と呼ばれてムキになって、「ほら、ボクはまだ若いから『おじさん』じゃないんだよ、『おにいさん』だよ!」と子どもに説教している人もいたかもしれない。

悟りが開けていない善男善女が多いようです。


さて、ohnosakikoさんがおっしゃるように、例えばフランス語ではこの問題はすんごく簡単に解決されております。
カフェで立ち働く若木のようなギャルソンだろうが、苦みばしった中年のお巡りさんであろうが、バールのカウンターに陣取っているハンプティ・ダンプティのようなおじいちゃんだろうが、こちらから呼びかける時には、
ムッシュー!(フランス人になりきって、いざ!)
という一語で万能です。何も考えることはありません。でもこれって言い換えると、フランス語の社会では男性社会も或る意味「平等」っていうことですよね、若い男の子もおじさんもおじいちゃんも「ムッシュー」なのですから。さすがに、自由・平等・博愛、です。
女性も同じくで、
マダーム!(同じくなりきりフランス人でお願いします)
で事足りて、日本語のように「この人を『おばさん』って呼んじゃっていいのかしらん?」と頭を悩ますこともありません。自分より若い女の子に向かって呼びかけるときでも、それが「客と店員」のように立場がはっきりしていれば、かなり年配の女性の客が、若木のようなブティック店員の女の子に、「マダム」と呼びかけていますね。
イタリア語の「シニョーラ/シニョリータ」、スペイン語の「セニョーラ/セニョリータ」はどうなのか?は私にはわかりませんが。


「マダム」というフランス語の呼び方についてですが、注意すべきは、英語の「ミス/ミセス」と違って、「既婚/未婚」を表すものではないということです。そして、必死の形相で「わたしのことは『おねえさん』と呼びなさい!」とのたまう同朋とは違って、20歳過ぎて「マドモワゼル」と呼ばれようものならば、逆に怒られるということです。未婚であっても、それなりの年齢(多分、フランス語を知らない日本人が思うよりもずっとこの年齢は低い)になったら、「マダム」と呼ばれるべき、呼ばれたい♡、というのがフランス人女性だと思います。ドイツ語は?日本の戦前の旧制高校時代の学生で「文乙」とか「理乙」(←今の若者がこの「乙」とかわかるでしょうか?「orz」と違いますよ!)とかの学生たちは、女学生のことを「フロイライン」などと呼んでいたそうですが、今ドイツ人の若い女の子(ドイツ人には『若木のような』という形容詞をつけることは事実に鑑みて差し控えさせて頂きます)を「フロイライン」などと呼ぼうものならば、これまた血相変えて怒られると思いますよ(除く、観光客相手のビアホールの『おねえさん』たち)。ドイツは若くてもそうでなくても「フラウ」ですから、すっきりしています。「若くありたい」という願望は万国共通であったとしても、「幼くみられたい」「未熟でありたい」という願望はゼロですからね、なべて欧米の方々は。
そうなると、英語は極めて性差別的な言語で(男性/女性形はないのに)、未だに「ミス/ミセス」は年齢ではなく、「未婚/既婚」で分けられているのですよ。ですから、40歳代の独身でバリバリ働いている女性でも、独身ならばどこまで行っても「ミス◯◯」であって、間違っても「ミセス◯◯」にはならないわけです。「最近では、『ミズ』というのがあるじゃないか?」という向きにお答えします。確かに「ミズ」というのはあります。しかし、アメリカは広い広い国です。ニューヨークや西海岸の都会で自ら「ミズ◯◯」と名乗っていても、田舎のホテルのリザベーションでは、「ミス」か「ミセス」しかの区別しかないし、飛行機のチェックインでも、「ミス」「ミセス」に次いで第三の選択肢の「ミズ」があるところは少ないとか、聞きますけどね。

翻って日本の場合、上記のような欧米のケースとどう違うか整理してみると、

血縁関係外の呼称としての「おねえさん/おばさん/おかあさん/おくさん/おばあちゃん」は、

未婚か既婚に関係無し、
子どもなし子どもありとも関係無し、
更には年齢にさえ関係無し。

まあ、言ってしまえば、話者の感覚で選択される呼び名、ということ。
だからこそ、何という呼称で呼ばれたかで、呼ばれた人が反応する呼称でもあるのですね。
でも、公私を問わず紹介されたり、フォームに名前を記入する場合でも苗字の前に「既婚/未婚」を示す語をつける必要がない日本語はいい言語だと思いますよ、女性的には。


私などは寧ろ、お店の「おじさん」や「おにいさん」に、「おねえさん」(この場合の「ねえ」は「姉」でなくて「姐」だけど)と呼ばれる方が、ずっと嫌です。何故なら、軽く見られている感じがするし、ご機嫌とりみたいで見え透いているから。背中にtatooがある「おじさん」か「おにいさん」に、「姐さん」なんて呼ばれるのは経験してみたいですけど・・・。

ohnosakikoさんがおっしゃるように、日本が、

若さ(特に女性の)に価値が置かれている社会

であることは否定しませんが、この価値観は光源氏にもさかのぼるほど根が深く、今も二次元アニメ界隈で絶賛増殖中ですからもう善し悪しを言う段階はとっくに超えてしまっているような気がします。

だから最初の諺に戻るのですが、ohnosakikoさんのご友人(男性ですよね?)の彼女が、お土産物屋さんの中年女性を「おばさん」と呼んで不機嫌な顔をされたということですが、その彼女は自分自身は近い将来「おばさん」と呼ばれても微塵も動じない方かもしれませんし、自分が目上の女性を散々「おばさん」と呼んでいたのにも拘らずいざ自分が「おばさん」と呼ばれると当惑してしまうかもしれません。呼ばれて不快ならば、自分が呼びかける側である時に、呼称に気を遣って振る舞っていれば、廻り廻って、誰かが自分を呼ぶ時に気を遣ってくれるかも。

日本はそんなところではないでしょうか?
彼の国に行って、若木のような若い男の子から「マダ〜ム!」と呼ばれるのは気持のよいものなのですけどね。