*ドイツで「文盲」を体験する

ドイツ上陸から10日〜2週間くらい経った頃だっただろうか。
スーパーマーケットでの「レジの女の子に馬鹿にされた事件」*1の後だったと思う。
私はデュッセルドルフ市内を走る地下鉄の某駅のホームに立っていた。
目の前には大きな看板広告があった。
字がびっしり書いてあった。どうやら写真やグラフィックではなしに文章による広告らしい。
「o」とか「u」で「‥」が上についている変てこなものもあるが(それは「ウムラウト」であるということすら、当時の私はまだ知らない)使われている文字はアルファベット。
じーっとその看板を見るともなく見ていた私は突然気がついてしまった、

自分はその看板に書いてあることが何一つ理解できないこと!

否、

一つの単語だってわからないこと!

一応中高では英語が得意で、大学ではフランス語を専攻して、日本語では活字中毒でお喋り大好きな私が、本当に何一つわからないのだ。
この時私の頭に浮かんだのは、

私ってこの国では、文盲、っていうこと?

だった。この衝撃は忘れない。

この国の言語で、読み書きも喋ることもできない私

という事実が私をノックアウトした。

世界には、貧困で学校に通えないとか、宗教的偏見で女の子には教育は必要ないと思われていて字を知らないとか、社会的な原因で「字が読めない」人がまだまだいることは知っているが、私の場合はそうではない。けれども「読み書きできない」のに加えて「自分が思っていることを喋れない」ということは、このドイツ語社会では私は赤ん坊同然、ということなのだ。

「読み」「書き」「喋り」ができない赤ん坊が外国で生活するのは、それは大変である。
例えばスーパーに行って、大抵のものは見当をつけて買うことはできる。イチゴの絵がラベルにあれば、イチゴジャムだろう、子グマが柔らかそうなタオルにくるまっているイラストがあれば、柔軟剤なんだろう、と。
それは最初の段階なのだが、次にどうしてもラベルに書いてある説明を読まなければならない時に、語学の壁、が立ちふさがる。
電子辞書で単語だけ引いてもちんぷんかんぷん。そもそもドイツ語は単語が連結して一つの単語になることも多くて、辞書の見出し語に出ていない単語も沢山ある。おまけに、変化する形容詞や冠詞も元の形で辞書に載っているから、そもそも最低限でも文法がわかっていなければ、辞書もひけない。
市電の駅のホームに何か張り紙がしてある。けれども字が読めないと、何のことだかわからない。人に聞こうにも、ドイツ語喋れないと聞くことすらできない。
配達物の不在票(らしきもの)がポストに入っているとそれはキョーフである。日本でしていたように、書いてある番号に電話をかけてさくさく再配達を頼む、ということができない。先ず辞書をひきひき大体の意味を理解し、「電話」が一番の鬼門なので、遠くても保管してあるところまで取りに行くのだ。不在票を差し出せば、荷物は貰える。勿論、そこで何か聞かれたら即アウト!である。スーパーでの二の舞、というか「ドイツ語できない」というだけで思いっきり凹んでしまうことになる。でも「ドイツ語の電話よりもマシ」と思い私はかなり遠い場所でも車で取りに行く方を選んでいたものだ(そのお陰で、かなり早い時期にアウトバーンをばんばん走るようになりましたが)。


そんな、半人前のような状態を打破する方法はただ一つ!

ドイツ語を勉強すること!それもしゃかりきに!

そして
ドイツ語話せるようになって、ドイツ人を見返してやるんだ!(←何を『見返す』のか意味不明ですが、当時はそう思っていた)


前述の「レジの女の子に馬鹿にされた事件」と同様に、この「文盲ショック」は、私にとって「ドイツ語学習」モチベーションの大きな一部となったのだった。

2004年初夏、であった。

 

※「文盲」という語は、二文字目の漢字のせいで、「不快語」とされてマスコミでは使われないらしい。しかし、私が使っている文脈では、「目に障碍がある」という語に置き換えることができないので、そのまま使うことにする。