祭りの後 「自民党完勝、民主党完敗」の参議院選挙@東京都選挙区について 雑感

第23回参議院選挙も終わり、祭りの後の風情です。
投票日のかなり前から、否、選挙の公示日よりも更にはるかに前から、「自民党大勝、民主党惨敗」は既成事実であるかのように予想されていて、その予想さえも生ぬるかった、と言うべきか、現実の結果は自民党完勝、民主党完敗」に近いものになりました。


私の住む東京都選挙区は、改選数5のところに20人の立候補者、という賑やかな選挙戦だったので、選挙戦の間もでしたが、選挙が終わった今も、色々とくすぶっているようです。




民主党は全国的にもボロ負けでしたが、東京都選挙区では、議席を一つも獲得できませんでした。
公示日2日前に、前回トップ当選だった大河原雅子の公認を外し、鈴木寛に絞って、手堅く1議席獲得するはずが、結果は虻蜂取らず、と申しましょうか、首都である東京都選挙区で議席ゼロ、という、7ヶ月前までは政権党だったとは信じ難い惨めな結果になりました。
「何としても2議席死守」を簡単に諦めて「手堅く1議席」目指す時点でもう惨敗モードなんですよ。百歩譲って、公示前の情勢分析で2議席獲得が100%無理だということだったとしても、それならば、どうして鈴木寛氏を比例区に回さなかったのか?
東京選挙区は大河原氏で一本化すれば、今回鈴木氏に流れた民主党票も大河原氏は得られ、それに何と言っても前回トップ当選だったのですから、民主党一丸となって彼女を応援すれば、1議席は獲得できたのではないでしょうか?
また民主党が事実上分裂した状態の今回の選挙でも、次点で落選した鈴木氏は55万票を獲得しているのです。楽天の三木谷氏をはじめ有名人の支援も多く組織票もついている鈴木氏こそが、比例区に回っていれば、彼自身の当選は確実で、更に民主党の比例での獲得票数も増え、比例区の当選人数も増えたかもしれません。
何より問題なのは、菅元総理大臣をはじめ、民主党の幹部の一部が公然と、公認候補ではない大河原氏を応援したことですね。嘗てご自分が総理大臣だった頃、菅降ろしや消費税反対に関しては、党に反する行動をした小沢氏を批判していた方が、党の決定に反することを堂々とやる姿を見れば、前回大河原氏に投票した人でさえ嫌気がさすのは当たり前ですし、何より民主党はもう政党としての体をなしていない」ということをわかりやすく示してしまった責任は大きいと思います。
そして大衆は、ジャニーズであれAKB48であれモモクロであれExileであれ、「チームが一丸となって必死で頑張っている」姿が大好きであり、そこに感情移入するのです。2009年の政権交代の選挙で勝てたのは、民主党が「政権交代」に向けて一丸となっていた姿に国民が乗ったからであったのに、それさえ自覚できていなかったようです。
党の情勢を正確に把握して自ら比例区に移らなかった鈴木氏が落選しても同情の余地はありませんが、大河原氏にも同情できません。「政治家」ならば、比例への転出を受け入れるべきだったのではないでしょうか、それがどんなに納得がいかないものであっても。
前のエントリーにも書いた通り、政治家個人レベルでも、政党としてのレベルでも、もう民主党は勝てません、終わっているのです。






無党派層の支持」を集めて当選したと言われる、山本太郎ですが、彼が当選したことに関して、色々とコメントがされています。

これまた前エントリーにも書きましたが、私は選挙期間中に、偶然山本太郎氏の街頭演説を聞く機会がありました。「無党派」ならぬ、後頭部のかなり大きい「無頭髪地域」も拝見しましたし、「ああ、これが噂の(?)中核派の方々?」という、平日の昼間というのに選挙の幟を持ったり、マイクのコードを引っ張っていたり、ビラ配りをしている、或る種の風格がある手慣れたオジサンたちの姿も拝見致しました。しかし何より正直驚いたのは、例の「最高気温35度」の日々のうちの一日でそれも午後2時半あたりだったのですが、高齢者ならば熱中症でたちどころにぶっ倒れてしまうような炎天下で彼の演説に聞き入っている若者たちの数と顔つき、です。「芸能人見に来た」とか「山本太郎来てるから、ネタに写真でも撮っておくか」みたいな雰囲気ではなく、かなり、否、まさに真剣に演説を聞いている大勢の若者を見て、私は驚きはしたものの、「今の若者は、演説を一方的に信じるのではなく、家に帰ってネットでも色々な情報を仕入れて、総合的に判断するはず」と思ったんですね、つまり、山本氏が当選することなど、思いもしなかったのです、その時は。しかし、結果は、66万票余りを得て、堂々の4位当選です。
で、これを受けての上に挙げたコメントなのですね。しかし66万票というと、最早「演説やビラに書かれた嘘や虚言に洗脳された若者が投票した」だけの票ではないでしょう。これをどう考えるのか?
山本氏は言うまでもなく、無所属です。まともな大人ならば、何の後ろ盾もない、人脈もない、それどころか「脱原発芸能人」とレッテルを貼られている彼が一人で国会に臨んでも、何もできないことを知っています。ところが、彼に投票した66万人余の都民は、もしかして、
「一人でも頑張れば、何か成し遂げることができる」とか「一人で正しいことを頑張っていれば、いつかそれが大きな流れになる」とか「頑張っていれば、きっと報われる」
ということを信じているんじゃないかと思うのです。これって、裏返せばブラック企業の労働観ですよね、
「頑張って働けば、いつかは報われる」「頑張れば頑張るほど、何かを得られる」
ってな。この山本氏の当選は、あれだけネガキャンが展開されたのにも拘らず比例区で10万票を得て当選したワタミ渡辺美樹氏と裏表であって、本質は同じなのではないか、と思いました。
つまり、「都民の中、しかも多分殆どは若者層の中にそういう考えを持った人が66万人もいる、しかも若者の投票率が低い中、ちゃんと投票所に行く意識が高い若者の中に。」、ということを、直視しなければならないと思うのです。そして、彼らのこのナイーブ(本来の英語の意味で)な思いが、早晩失望と絶望に変わることを考えた時、その失望と絶望がどこに向かうのか、私は想像したくもありません。


私は寧ろ、今回トップ当選した自民党丸川珠代に投票した106万人(!)の都民が、どういう層であったのか、何を決め手として丸川氏に投票したのか、が理解できません。
安倍チルドレンだから?小さな子供を持つ母親だから?東大の経済学部出身で元アナウンサーである知見に期待して?
確かに丸川氏は、憲法や防衛問題では勇ましい主張をお持ちのようですから安倍チルドレンであることは確かでしょうが、「小さな子供を持つ母親として、原発をどう考えるか」ということに関しては、何ら発言していません、否、発言を避けているとしか思えませんし、氏のウェブサイトを見ても「経済学部出身者ならでは」という政策は見当たりませんし、何より、発言者本人の品位が疑われる汚い野次(彼女は「野次将軍」と言われているらしい)を飛ばす時によく通るプロとして訓練された声だけが、元アナウンサーであることを伺わせる以外、何か106万人もの都民の支持を集める要素がありますでしょうか?・・・と思うのは、僅か2年前に都内に引っ越しした「にわか都民」の私の「田舎者」的考えなのでしょう。何故ならば、嘗て、青島幸男氏、木島則夫氏、田英夫氏、中村敦夫氏、森田健作氏等々の、「テレビに出ている有名人」を国政に送り込んで来た輝かしい伝統がある東京ですから、丸川氏が前回の参院選で立候補する前は6回連続で選挙は棄権していようが、「テレビに出ている有名人」である丸川珠代氏に投票する有権者こそが、「都民らしい都民」なのでしょう。そして「都民らしい都民」である彼らが選んだのが「首都東京に相応しい参議院議員」である丸川氏なのでしょう。




また「にわか都民」の私を震撼させたのは、公明党に投票する人々が、参院選では常に「東京都選挙区で1人を必ず当選させられるだけの数」都内にいらっしゃる、ということですね、結党直後の1965年の参議院選挙から、東京都選挙区で議席を失ったことはありません。これは東京都以外の選挙区ではありえない現象です。公明党が選挙区で議席を獲得したのは、いずれも3人以上の議席を争う選挙区(埼玉、東京、神奈川、大阪)です。それ以外の地域では、「選挙区選出の公明党参議院議員」はいないのです。
テレビ東京の選挙速報の特番で、キャスターの池上彰氏が言っていて知ったのですが、学会員の方々にとって、公明党が推す候補を応援することは即ち「功徳」になるそうで、例えばドイツのメルケル首相が率いるCDU(ドイツキリスト教民主同盟)は、党名に「キリスト教」が冠されていても、CDUに投票する人々がそれで「免罪」されるとは聞いたことがないのですが、日本の首都東京で1965年以来、参議院選挙において、「功徳」を積む人々がかくも多数いらっしゃるということが、驚きです。公明党代表山口那津男は、当選の理由を聞かれて、「同じ与党の自民党の暴走を止める役目を期待されたと思う」とおっしゃっていますが、「暴走を止める」も何も、東京都選挙区においては毎回の選挙において、同じような割合で「功徳」を積む学会員の方々がいらっしゃるというだけのことだと思います。そして、今後安倍首相が、靖国神社を参拝したり、憲法を改正すべく先ず96条改正に着手した時に、本気で首相を諌め、意見し、それでも聞き入れられない時には、長年「与党」という美味しいポジションの味に慣れている公明党は、嘗て社民党が、普天間問題で、民主党を中心とする連立政権から離脱したように(そして落ち目になった)、本気で連立を離脱する覚悟があるのかどうか?





共産党の躍進も「祭りの後」の話題の一つですが、私なりに考えてみるに、共産党はコワい」という刷り込みが入っていない世代が選挙権を持ち、東京や大阪などの都会に住んでいて、彼らは或る意味何の偏見もなく、候補者本人の若さや人柄に惹かれて吉良佳子などの共産党候補に投票したのではないかと思うのです。
高度成長期に育った私の世代は、親に「共産党はコワい」と刷り込まれています(参考エントリー)。当時は世界地図を開けば、目に入るのは広大な版図を持つ共産主義の帝国、ソビエト社会主義共和国連邦がいやでも目に入り、高校・大学ではとっくに学園闘争の時代は終わっていましたが、大学の正門前にはまだ残り火のように「共産主義革命を成功させるぞ!」とかなんとか勢いのよい筆致で書かれた立て看板がありましたから、「バブルの時代にこんなことを正気で言っている人たちがいるなんて!」と「共産党はコワい」という刷り込みが上書きされたものでした。それに比べて今の20歳〜30歳半ばくらいの若者たちは、共産党コワい」ワクチン未接種の世代なんじゃないでしょうか?
上述の公明党に関しては寧ろ、「創価学会コワい」という伝承は若い世代にも達していると思われるのですが、共産党に関しては、そういう伝承が、特に都会では途切れてしまっているのではないか?と思うわけです。


東京は1200万人の人口を抱える「都会」と言われていますが、実は巨大な「田舎者の集まり」なんじゃないでしょうか?
地方から単身上京してきて東京に住む若者に関しては、「共産党コワい」という伝承は断ち切られており、政治に関して全くイノセントな状態のそういう若者たちが、逆に都会だからこそ顕著な「脱原発への関心」「若年層の就職難」「若年層の貧困」という問題にぶつかった時、ナイーブに反応して投票するのでは?
一世代前に上京してきて東京で働き住みついている年配の都民にしても、元々が「田舎者」ですから、「テレビに出ている有名人」に投票することが「都会人」らしく思ってしまうのでは?
そしてこれらをひっくるめて、今回の東京都選挙区の結果があるのではないかと思いました。


私の記憶にかすかに残っているのですが、嘗て日本中の都会らしい都会が、革新首長で占められていた時代がありました。
東京都の美濃部知事、大阪府の黒田知事、京都府の蜷川知事、神奈川県の長洲知事、埼玉県の畑知事、横浜市の飛鳥田市長等々。
「革新」という言葉自体がもう天命を全うしていると思いますが、それでもアメリカの民主党、イギリスの労働党、フランスの社会党、ドイツの社会民主党のような政党は、日本には望めないのでしょうか。




2009年の政権交代の選挙の翌日は、それまでの酷暑の選挙戦の日々が嘘のように、肌寒い雨の日でした。
今日の東京は、午後から激しい雷雨に見舞われています。
2009年の時も、翌日の雨の中、民主党から当選した大勢の新議員は「当選の御礼」に、逆に自民党の落選者は「落選のお詫び」に、支援していただいた方々を回って挨拶をしていました、今回はそれが逆になっただけです、「民意」によって。