平成24年度センター試験前夜 斜陽の国では入試改革はできないのでしょうか?


昨日の朝日新聞の夕刊に

「受験生、記入ミスに泣く センター試験事前登録で混乱」

という記事が出ていました。今年から始まった受験科目・科目数の「事前登録」が受験生の一部に登録ミスを招いているという内容で、東大志望の浪人生がセンター試験出願時(昨年の10月)に外国語を「受験しない」にマークミスをしてしまい、東大どころかどこの国立大学も受験できなくなっている、という例が紹介されていました。この受験生はウチの娘と同じ歳ですから、大いに同情してしまいますが、大学入試センターが訂正を受け入れるはずがないということもまた了解されます。彼女の訂正を受け入れるということは、受験するつもりで登録したもののもっと点が取れそうな他の科目に変更したいという身勝手な受験生の訂正も受け入れなければなりませんからね。
そもそも、この「事前登録」は受験生と高校の授業の現場のために作られたのでしょう。昨年までは、例えば「物理」と「地学」を理科の科目としてセンター試験で受験することはできませんでした。その結果、高校の授業でも理系の生徒は大概の場合「物理」は必ず取りますから逆に高校の授業で理科系の生徒は「地学」が取れない設定になっていたり、ということもありました。素人が考えても、大学で例えば地震学を学びたい高校生にとって「物理」と「地学」は外せないということはわかりますから極めて理不尽な制度だったのですが、それが今回の「事前登録」で受験が可能になり、受験生にとっても朗報でしたし、何より、高校の地学の先生が喜んだのではないかと思います。社会の科目も同様で、大学で歴史を学びたい受験生がセンター試験で「日本史」と「世界史」の両方を選択することはできなかったのです。これって相当変なことだったのですが、お役所仕事でそれが今までまかり通ってきていたわけで。それが今年から可能になった、というのは本筋から言えば、受験生にとっては喜ぶべきことなのです。その点は朝日新聞にもう少し強調して書いてほしいところです。そして大学入試センターも一応、
ここが変わる 平成24年度大学入試センター試験 
という冊子も配布していたようですし。この冊子には、

「志願票の記入が終わったら、必ずコピーをとっておいてください。」
「出願時に登録していない教科は受験できません。」
「出願後は、試験当日を含め、登録内容を変更することはできません。」

と確かに書いてはあります、これを盾に大学入試センターは登録変更を求める受験生を堂々と門前払いするのでしょうが(「コピーとったらマークミスに気付くのか?」という突っ込みはありますが)。まあ、これ以上のセーフティネット大学入試センターに要求するのも無理な話であり、一人一人の受験生に同情はしても、制度における公平さという点では大学入試センターのやり方は当然のことでしょう。



しかし。
以前のエントリー( 大学入試の季節 雑感 )でも書いてきましたが、私の素朴な疑問は、

斜陽とはいえG8に入る先進国である日本の大学入試が、何故ここまで国辱もののローテクなの?

ということです。前述の東大を目指す浪人生は(というか、センター試験を受験する全ての受験生は)、

「10月上旬にセンター試験の志願票を郵送」して「11月、センターから志願票の内容確認を求めるはがきが届いた」

そうなのですが、上の一行の中に突っ込みどころが満載です。先ずこの時代に、21世紀になって10年以上経つのに、志願票は「郵送」、その後一ヶ月も時間がかかった上に、内容確認は「はがき」なんですか!何故ウェブで出願ができないのでしょうか?

ウェブ上で出願して、自分で確認して一定期間内は登録内容変更可能、

ということは、今の日本のテクノロジーでは不可能なんでしょうか?「郵送」で出願して、一ヶ月も経って「はがき」で「内容確認」するって、意味あるんでしょうか?センター試験の前身である共通一次試験が始まってからもう30年以上経っているというのに、未だにこんなローテクで受験生に余計な神経を使わせているのがそもそもの問題なのです。東大の駒場キャンパスの隣に立派に構えた大学入試センター独立行政法人であり、理事長は国立大学の学長経験者の上がりのポスト)

ですが、受験生の立場に立つのなら、先ずこの点を改善してほしいものです。


とは言いながら。
斜陽のニッポンです、限りある国家財政の中で、ご老人さま対象の医療保険、年金にお金がかかり、またしても若者向けの予算、特に切羽詰まっていない問題は蓮舫さまに仕分けされ切り捨てられるのは仕方ないことなのかもしれません。国立大学学長からの事実上の天下りである大学入試センター理事長に退職金*1を国庫に返納して頂いたとしても、アメリカではとっくにできている「ウェブ上で出願」システムでさえ日本の大学入試センターには作れないのだとしたら、もっとお金がかからない提案をさせてもらうと、

センター試験が複数受験できるようにする(例えば高校3年の夏にも実施)、もしくは、過去のセンター試験を受験した成績を一部でも使うことができるようにする

というのはどうでしょう?
先ず3科目以上受験で18,000円の検定料がかかるセンター試験ですから、年に2回やったとしても個々の受験生に受験料の負担はきても国家的には負担はないと思われます、現行システムを使うわけですし。
そして「高校が大混乱する」「平均点が高い時のセンター試験を受けた受験生が有利」等々、反対意見が出てくることは織り込んだ上での提案です。色々反論もあるでしょうがしかし、例えばアメリカのSATはこの方式です。制度上は受験生は何回もSATを受験できます。私も最初これを聞いた時に、極めて日本人的な疑問が浮かびました。「じゃあ、早い時期から何度も受けて一番高いスコアを使えばいいじゃない?」と。しかし、ご子息をアメリカのトップ大学に入学させたお母様(日本人)にある時伺ったお話では、そうではないらしいのです。確かにSATは何度も受験できます。大学側に出願する時には一番良い成績を当然使いますが、その時に、それよりも点数が低かった他の回のスコアも同時に大学側に知らされます。その時に何が問題になるかというと、

「一度の受験で高いスコアを出しているのが一番高く評価される、どんなに高いスコアを出していてもその高いスコアを取った後に受けたSATのスコアがそれよりも下がっていれば努力を怠ったと看做され評価は下がる、だから受験生は自分の実力がついたと判断した上で満を持して受験するから意外に(日本人から見て)受験回数は少なくて『1回しか受けない』という受験生が大多数である、また何度も受験していることは決してプラスには働かずに逆に『頭が悪い』と看做される」

のだそうです。なるほどこういう考え方もある訳で、努力大好きな日本人的には馴染めない考え方ですが、TPPとか言うものに賛成する人ならば先ずこのアメリカ的な考え方を採用すべきなのではないでしょうか(私個人はTPPには反対)。大学側にもその点を加味して選抜を行って頂きたいものです。そう言えば、インターナショナルスクール時代にSATを受けた我が息子も言っていました、

「外人って、英語(これは彼らにとって『外国語』ではなく『国語』になるのですが)とか数学とかは『努力すれば点数が上がる』とは全然思っていなくて、『元々の頭の良さで決まる』と思っているから、SATも『1回受けて終わり』『これ以上勉強しても点数上がらない、他の面でapplicationに書けることを探した方が得。』っていうヤツが多い。」

と。当の本人は、前述のお母様に「何度も受けると評価が下がるから受験は1回だけにしておきなさい。」とアドバイスして頂いたのにも拘らず2回受けましたが、その間4ヶ月かけて得点アップ目指してかなりのお金と労力を使ったのにも拘らず、点数は2400点満点で80点しか上がらず・・・。実はそんなものなのかもしれません。私は努力を否定しませんが(日本人ですもの!)、「努力すれば努力しただけ伸びる」というのは予備校や塾に都合がよいかもしれませんが、却って受験生自身の受験に対する見極めを難しくしているとも言えると思います。国語の読解力や、真の意味での数学的センス、というのは努力したからと言って誰もがセンター試験で9割とれるようなレベルに達しはしないものなのかも。
ですから、受験生の緊張やストレスを軽減し、また良い意味での見極めを受験生自身につけさせるために、この複数回受験というのは良いと思うのですね。「同時に行う一発勝負が一番公平である」と思っている方々には、なかなか飲み込めないかもしれませんが、一発勝負の日に高熱を出すリスクはその「一発勝負熱烈信者」の方々にも同様にあるわけですし、しかもシステム全体を丸っきり変えるよりこの「複数回受験」は安上がり。
過年度のセンター試験の成績利用は、今でも行っている大学はありますが*2、はっきり言って国立大学や有名私立大学は行っておらず、学生が集まらない大学が「藁をもつかむ」学生集めの一つの方策として採用しているだけ、といった感があります。これを「全ての大学で過年度センター試験の成績利用が可能」ということにしたら、浪人生の負担も減るのではないでしょうか?・・・というとまた「じゃあ、浪人生が有利になる」という例の信者さんの声が聞こえてきそうですが、浪人生は今や自宅に籠って勉強するのではなく予備校に高校の授業料以上の学費を払って、そして(ここが肝腎なのですが)高校3年時に獲得したセンター試験の成績をチャラにしてゼロから受験しなければならないのですよ。それでも浪人生は現役時代のセンター試験より1点でも(←というところが健気)多く点をとろうとセンター試験に向けて勉強すると思います。それでセンター試験当日高熱が出てしまってコンディション最悪、不本意の成績だった場合、せめて去年の成績が使えるようにしてあげてほしいと思うだけです。現役の時に二次試験で失敗した受験生が、センター試験の成績は去年のものを使い(これだって本人が出した成績ですし)、二次試験だけ受ける、というのはそんなに公平さに欠けることでしょうか?
加えて「平均点が良かった年のセンター試験の成績を使われると不公平だ」というご意見に対しては、今でも追試験の成績と本試験の成績は得点調整はされていないことを指摘したいと思います。
何より、前述の私の提案「センター試験をウェブ上で出願、科目登録・変更できるシステムを作る」よりは遥かに予算が少なくて済み、国庫のお財布に優しい仕様なのです、「一発勝負信者」の方々がほんの少し柔軟な思考を持ってくだされば簡単に実現することだと思うのですが。勿論理想は、両方(センター試験のウェブ出願、と、センター試験の複数受験&過年度の成績利用)が実現することですが。国が斜陽になると、こういうことまでみみっちく考えなくてはならないのは辛いものですね。


そして、上記の何れもが今すぐには実現しないとすれば、目下の受験生をリスクから救う方法はただ一つです、極めてローテクですが。

大学受験の願書くらいは親が確認する

ということですよ。「ウチは子どもに任せているから。」「高校3年生だったら大学受験の願書くらい自分で何とかできるだろう。」「大学受験にまで親がしゃしゃり出るのは過保護。」「受験は子どもに任せて、親は健康管理が仕事。」という、一見真っ当で美しく、実は責任放棄の親が余りにも多い気がします。今の大学受験の複雑さ(それを作った/放ったらかしにしていた、のは大人の責任なのですが)を本当に理解していれば、そういうことは言えないはずで、とかく上のようなことを言っているのは今の大学受験のシステムを全くわかっていない、もしくはわかろうともしていない親御さんではないでしょうか。小学校のお受験とも、中学受験とも、高校受験とも比較にならないくらい複雑なんですよ。「自分は旧帝落ちたけれど、何とか早稲田に受かったからお前も頑張れ。センター試験利用とかでも早稲田入れるんだろ?」とか訳わかんないこと言っているお父さんいますが、センター試験の「正確な成績」は4月にならないとわからないのに*3、受験生本人が試験中に問題用紙に書き込んだ走り書きだけが根拠の不確かな「自己採点」のみで「センター利用試験」は出願する、という(ローテクぶり)ことはわかっているのでしょうか?おまけにセンター利用試験で早稲田に合格するような受験生は合計得点9割超えの受験生であり全受験生の中の例外中の例外であること、文系受験科目の世界史や日本史は、国立大学よりも遥かに早慶の方が難易度が高いことも、きっとま〜〜〜ったく理解していないのではと思います。先が見えないどころかいつ第二のギリシャになるかもしれない日本で、これから大学生活を送り社会に出て行く我が子がせめて入試のスタートラインに立てるように願書のチェックくらいしてやるのは親として当然ではないでしょうか。

また朝日新聞に出ていた、センター試験志願票のマークミスで国立大学は受験できなくなってしまった東大目指している予備校に通う浪人生の例でわかったのは、あれだけの授業料を取っているのに予備校は肝心要なところでは当てにならない、ということです。今どこの予備校もチューター制度とかを設けて、やれ面談やら悩み相談だの「高校ごっこ」をやっていますが、それならばせめてセンター試験の志願票のチェックくらいやったらどうでしょうね、一人当たり数分もかからないでしょうに。現役受験生でも記入ミスは致命的ですが、後がない浪人生ですよ、相手は。莫大な授業料(私立高校に1年通うよりも高い)を取っておいて、結局はお商売なんでしょうね。朝日新聞には是非とも、大広告主である予備校に、「センター試験出願に際して、個々の生徒の志願票をチェックしているか?」とアンケートをとってほしかったですね、予備校がしているはずありませんけど。とすると、親しかないでしょう、真剣に受験生の支えになれるのは。


明日と明後日は平成24年度のセンター試験ですが、全ての受験生が最高のコンディションで最高の実力を発揮することを心より祈りたいと思います、彼らに明るい未来を自信を持って示せない大人の一人ではあるのですが。「我が子の受験が終わったから入試制度などどうでもよい」という心持ちにはならないようにしたいとは思っています。