2011年の「海の日」に「原発はいらない」(小出裕章 著)を読んだこと


私が子供の頃にはなかった「海の日」が1995年に定められた時、当時は「7月20日は海の日」と固定だったのですが(今は7月の第三月曜日)、「何故に7月20日?」と疑問を持ったのですが、何せまだGoogleさんがない先史時代(!)だったので今のようにすぐにお手軽に調べることもできず(たった16年前なのですが)、夫が「確か、昔の『海軍記念日』じゃないか?」と言ったのを素直に信じていたのですが、先ほどGoogle先生のお陰を持ちまして、夫によってもたらされた誤った知識が訂正され、当初の「7月20日は海の日」の起源は、

1876年(明治9年)、明治天皇の東北地方巡幸の際、それまでの軍艦ではなく灯台巡視の汽船「明治丸」によって航海をし、7月20日に横浜港に帰着したことにちなみ、1941年(昭和16年)に逓信大臣村田省蔵の提唱により制定された。
Wikipedia

だということを了解致しました。
そしてそれこそ子供が幼稚園〜高校の間は、7月の20日だろうが第三月曜日だろうがとにかく「海の日」というのは、夏休み直前!であり、夏への期待と意気込みと覚悟の日でした。「覚悟」というのは、これから8月31日までの間、夏休み期間に、子供たちそれぞれのキャンプ、合宿、お泊まり会、花火大会、旅行、プール、林間学校、自然教室、海へ行く、ポケモンの映画に連れて行く、夏期講習のお弁当作る、宿題させる、工作させる、自由研究させる、そしてそれを8月31日までに仕上げる、というのがハハのミッションでしたから、耐久レースのスタート前のような熱気が、この「海の日」にはありましたね。


さて。
2011年の「海の日」の今日。他の家族がそれぞれの用事で出払った家で、子供たちは大学生ですから、母としての「夏の覚悟」も最早必要なく、祝日の感覚すらなく、ただ、昨日までの暑さとは異質な、遠い南の海上に確かに大型台風(どうか、福島原発を直撃しませんように!)16号の存在を確かに感じられる湿った風の中、読んでいたのは、

原発はいらない (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-?)

原発はいらない (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-?)

でした。



震災直後から一ヶ月間くらいは、ずっとUstreamやその他動画サイトに張り付いていた私は、そこで初めてこの小出裕章」という学者の名前を知りました。発言が的確なこと、また技術的な難解なことを誰にでも理解できるよう平易に伝えようとする苦心が私に対しても作用して、今まで原発問題に無関心であり、殆どゼロに近かった私の原発に関する知識を、何とか原発に関して考えうるだけの知識にしたのは、ひとえに小出氏の動画のお陰であった、と言えます。小出氏が参議院の行政監視委員会で参考人として発言された動画(←これはかなり感動的)は、
「これを実際にその場で聞いた政治家、ビデオを見た国民は皆、キリストの説教、もしくは釈迦の説法、を聞いたように心打たれて、小出氏が主張する『全ての原発廃炉へ』ということがすべからく納得されるであろう。」
という私の確信(?)は外れまくり、未だ自民党民主党公明党の皆様は依然として「原発推進」路線でいらっしゃいますし、殆どの日本人は、自分の中で原子力原発について突き詰めて考える材料を持たないまま、目先の「放射能汚染」「節電」というより切実な問題に気をとられてしまい、その大もとである「原子力」と「原発」については、悪くすると震災以前のように「思考停止」に陥りかねない状態です。
この「原発はいらない」は新書で、しかも小出氏のいつもの語り口の常で、どんな人が読んでもわかるように書かれており、それでいて必要十分な知識が得られます。
本の構成は、

序章  私が40年間、原発に反対してきた本当の理由
第一章 福島第一原発は今後どうなるのか?
第二章 危険なのは福島原発だけではない!
第三章 原発に関する何でもQ&A 知らないと自分も家族も守れない
第四章 未来を担う子どものために、大人がやるべきこと
福島第一原発事故の経過
あとがき


となっていますが、この本の読み方について5つに分けてみました。



①「とにかく目の前の不安を解消したい。誰もちゃんとした答をくれない問題について手っ取り早く知りたい。」
という方は、第三章だけでも読まれることをお勧めします。


②「今となっては原発放射能の情報が氾濫して何を読んだらよいのか、何を信じたらよいのか、取りあえずコンパクトにまとまったものを読みたい。」
と思われる方は、第一章から第四章をざっと読めばいいかと思います。


③「東電の発表はわかり辛く信用できなかった。実際のところ、3月11日から何が福島原発で起こっていたかを知りたい。」
という方は、第四章の後に簡潔に表でまとめられている、福島第一原発事故の経過」を読むだけでもよいと思います。


④「知識は既にある、その次の段階をどう考えたらよいのかわからない。」
という方には、第四章を読んで頂きたいです。第四章の「未来を担う子どものために、大人がやるべきこと」というのは、章のタイトルから想像される、例えば日々の生活の中での実際的方法、というものでは実はなく(編集者のミスでしょうか)、自分に今小さな子どもがいようといまいと、一人の大人として子どもたちの世代のために、原子力をどう考えたらよいのか、何を選択すべきか、という、少し哲学的領域にも入ることについて書いてあります。章の最後には、ガンジーの墓碑に刻まれている「七つの大罪」が紹介されています。以下引用:

 一番はじめは、「理念なき政治」です。それから、「労働なき富」「人格なき知識」「道徳なき商業」、そして「人間性なき科学」。無定見に原発推進の旗を振った原子力研究者だけでなく、私を含めたいわゆるアカデミズムの世界が原子力政策に加担してきたことを、今後、問い続けなければならないと思っています。同時に、東京電力をはじめとする電力会社に、道徳観を失った経営は必ず破綻することを噛みしめ、原発廃絶の決断を下すよう強く求めます。
 最後は「献身なき崇拝」です。信仰心をお持ちの方は、ぜひその教えを実践されることを期待しています。

実はこの「ガンジー七つの大罪」は、嘗て鳩山前総理が施政方針演説で使ったらしいのですが、今再び読むと、実は鳩山前総理はまさに「七つの大罪」のうちの殆どの罪に手を染めているとしか思えず笑えてくるほどなのですが(「労働なき富」ってw)、3.11後の日本を思い出ししつつ、この「七つの大罪」を見ると、原発を推進してきた政治家、学者、官僚、電力界社、その電力界社にぶら下がってきた企業、マスコミ、全てがどんぴしゃりあてはまるような気がして、

真面目で勤勉で向上心が高かったはずの日本人が、いつからこれらの罪を身にまとうことになったのか?

と考えてしまいます。そして自分の中にもその要素が多分にあることに気がついたのですが。


⑤「この『小出裕章』という学者はどういう人物が知りたい。」
と純粋に思われる方は、序章とあとがきをお読みになると、小出氏の人間性に触れることができるかもしれません。序章では、小出氏の半生が、原子力との絡みにおいて語られます。昨日今日でなく、もう40年以上前から原発の危険性を訴えていた氏であり、福島原発の危険性もずっと前から世に問うていて、それに耳を傾けることなく、今回の過酷事故が起こるまでは自覚もなくじゃぶじゃぶ電気を使って生活していたのは私たち一般の国民であるのに、氏は、
原子力の専門家として、福島第一原発の事故を防げなかったことを本当に申し訳なく思います。」
と言うのですね、「だから、私は前から言っていたのです」とどや顔で言ってもおかしくないところを。氏が、年齢的には教授であっても准教授であってもおかしくないのに、助教(かつての「助手」)の地位に37年間あるのは、大学から冷遇されている訳ではなく、氏本人が公募に応じたことがないから、即ち出世・栄達の道を自ら断っているからである、というのは私はどこかの動画で知ったのですが(それまでは浅はかにも、「国策である原子力発電に反対しているので、大学側に意地悪されているのね。」と思い込んでいました)、こういう生き方、いにしえの日本には確かにあったのですが、いつか消えてしまっていたこういう生き方をしている人がここにいて、生涯をかけて世に警鐘を鳴らしているのです。推進派の方にも、心を空しくして一読をお願いしたい本です。このあとがきの最後に、氏の見事なまでの真摯さ、欲の無さが表れているような箇所があります。以下引用:

私はこの40年間、原子力を廃絶したいという思いで生きてきました。そのために自分にできる仕事を探しながらきましたが、一日に四八時間あればいいとずっと思ってきました。福島第一原発事故以降は、身体が10個ほしいと思うようになりました。その私にとって、新たに本を各という余裕はありませんでした。今回の本は、幻冬舎ルネッサンスの峯晴子さんが、私の発言を再構成し、文章にしてくれたものです。それに私が若干の手を加えましたし、北海道在住の編集者野村保子さんも修正の手助けをしてくれました。

今までベストセラーになった本を書いた著者、例えば「◯◯の壁」を書いた解剖学者、「◯◯の品格」を書いた数学者や元女性官僚、次から次へ本を量産する脳科学者や女性経済評論家、等々、皆同じように編集者のアイディアを借り筆を借りて本を出してきたと思うのですが、そんなこと(編集者が書いたという裏事情)を真っ正直にあとがきで断る書き手がいたでしょうか!?そんなこと、わざわざ断らなくても出版業界ではよくあることでしょうに。けれどもこれこそが、この「小出裕章」という学者の姿勢なのですね。





3.11の大震災と原発事故がなければ、今日の海の日、私は一体何をして過ごしていたのでしょうか。原子力のことを扱ったこの本を読むことだけは、絶対になかったでしょう。けれども、起こってしまった3.11から続く今日の日に、この本を読めたことはとても意義深いことだと思ったことでした。