見ず知らずの子供に大人ができることは何か?

恐れながらタケルンバ卿(ライターは何をするための道具なの?ータケルンバ卿日記)に謹んで申し上げます。



世の中には、私が到底理解できない人たちがいる。

これだけテレビを始めマスコミで「振り込め詐欺」について注意を呼びかけているのに、偽の電話の言うがままにいまだに大金を振り込んでしまう人

ただ、この場合は自分が金銭的被害に遭うだけ、と言ったら非難されるだろうか。
けれども、命が、しかも幼い命が奪われるよりは遥かにいい。


こんにゃくゼリー」で幼児が喉を詰まらせて死亡、という事件が相次いだ頃、私は本当に不思議だった。それだけ事件が報道されているのだから、幼児にはこんにゃくゼリーを与えなければよいではないか?それでもこんにゃくゼリーを子供に買い与える親って?豊かな日本なのだから、他に子供に与えるお菓子はゴマンとある。例え子供がこんにゃくゼリーを偏愛しているとしても、せめて7~8歳になってちゃんと飲み込めるようになってから与えればよいのであって、そしてそもそも幼児は自分でこんにゃくゼリーを買うわけではない。親が買うから子供が食べることになるのに。


幼児、特に女児を連れ去る、という事件が頻発したことがあった。勿論憎むべきは100%犯人であることは間違いないが、現代は悲しいことにそういう時世である事を理解して、外出先では子供から目を離さないことくらいはフツウの親ならば自然にやることである。しかし、それでもデパートやスーパーの「こどもランド」のように遊具で遊べるところや公園では、子供をそこに置いて買い物に行く母親はまだまだいる。



夏場高温になる自動車の車内に子供を置いたままにするのは危険であるとさんざん言われているのにも拘らず、馬鹿な親がパチンコに興じている間に子供が脱水症状で死亡する、という事件が起こる。そしてそれでも、スーパーの駐車場では子供を車内に残したまま買い物に走る親、という光景が見られるのである。


子供の手を引いて歩く時(ああ、そういう幸せな時期はほんの一瞬なのだが!)、トーゼン、子供は車道から見て内側、だと思うのだが、最近目につくのは(はい、私も視点がオバサン化しています)平気で子供を自転車や車が通る車道側を歩かせている親。


駅のホームで特急電車が通過するというのに、子供の手を繋がずにいる親がいる。普通電車であっても電車が止まるまで離れた場所で手を繋いで待つべきだと思うのに。


先月末から今月にかけて、立て続けに小さい子供が火事で焼死する、という痛ましい事件が起こった。
特に先月末の、ワゴン車内で4人の幼い子供がライター遊びが原因と見られる火事で亡くなった事件は、マスコミでも大きく報道されたのだが、幼い子を持つフツウの親ならば、せめてその記憶が新しい間は、

・小さな子供だけを置いて長時間出かけない
・家の中のものを見回して、ライター、マッチなど危ないものを子供の目が届かないところに片付ける

ということくらいはしてみるのではないだろうか?
なのに、同じ原因による火事で子供を死なせてしまう親。
この北海道の痛ましい火事の後に起こった、同じく幼児がライターをいたずらして起こった火事や、幼児だけで留守番させている間に起こった火事の方が、私にはやりきれなさが募るのである。


タケルンバ卿、
事程左様に現在の御代は、古き良き時代とは違って、親の中には、「親には子供を守る義務と権利がある」ということがまった〜っく解っていない者どもも沢山いるのです。
子供を守るべき親の中に(全部とは申しません、一部、ですが)どうしようもない親がいて、彼らには子供を守る能力がない場合、社会はどうしたらいいのでしょう?

こんにゃくゼリーを買う時には、お酒や煙草を買う時と同様、「これを子供に与えません」という誓約書にサインさせる

・子供だけを車内に残して車を駐めている親を見つけ次第、片っ端から高額の罰金をとる

・デパートやスーパーなどでも同様に、「子供だけ置き去り」にしている親に罰金を課す

・子供を道路上で危険にさらしている親からも罰金をとる

・駅でも子供を危険から守る運動を展開する

・ライター自体に、子供が簡単に操作できないような仕組みを法律で課す

馬鹿親に対するそれぞれの考えられる措置として挙げてみましたが、親の当然の務めに関してそれを怠っただけで「何でも罰金」というのも嫌な世の中ですし、こんにゃくぜりーを買うのにサイン、は現実的ではないのですが、唯一最後の、

ライターの構造に規制をかける

ことだけが、有効かつ現実的な、(馬鹿な親と)火事から子供を守る方法ではないでしょうか?
しかし一方で資本主義社会である日本においては、というかお商売で生き残るためには悪魔に魂をも売らないと淘汰されてしまうこの世界では、ライターのメーカーが良心の声を聞いて自主的にコストがかかることをするとは思えないのですね。
ライターのメーカーも社員とその家族をかかえ、安い海外製品から脅威を受け、どうしてコストがかかって売れ行きが落ちるようなものを(「危険であろうと安ければ買う」馬鹿馬鹿親もいることでしょうから)進んで作るでしょうか?
寧ろ、メーカーこそ規制を望んではいないでしょうか?
規制が出来れば、メーカー間の条件は一緒になり、皆揃ってコストをかけて製品としてのライターを良心に基づくものに大手を振って改良できるのですから。

そして幾ら馬鹿馬鹿親だからといって、我が子を失った悲しみ、それも火事という悲惨な形で、という若い国民を増やすことも、決して得策だとは思いません。彼らもそれからの人生、ずっとその悲しみを抱えて生きていかねばならないわけで、それはそれで悲劇です。
表現の自由の問題で、お上が規制する、というのは私も反対ですが、事はライターですが子供の命がかかっています。
予防接種と同様、ライターの構造に規制をかけることを、悲劇を生まない予防策、と考えるべきではないでしょうか?