嫌いな言葉 ③ 政治家の言葉

まさに

「まさに改革の時」「まさに無駄を省く」「まさに政治とカネの問題」etc・・・。
これほど無駄な言葉はない。そこに在っても意味のない言葉。
それどころか、この言葉があることによって却って文章全体が嘘っぽく聞こえてしまう言葉。
文章全体が4割引で軽く聞こえてしまう言葉。


頑張って参る/作って参る/行動して参る

この「参る」も何なんですかね?
小学校の国語の時間に習った敬語の仕分けによると、この「参る」は敬語の中でも「謙譲語」になるわけで。
つまり相手よりも自分をへりくだることによって、相手を尊敬する気持ちを表す、という日本的屈折した敬語。
でもこの場合、何に対してへりくだっているの?
へりくだる相手がいないじゃない?
つまり、へりくだっているフリをしているだけ、へりくだっている構えを見せているだけ、ということなのだ。
だから、政治家の口からこの言葉を聞くと、嫌な気分になる。



きっちり/きちんと/しっかり

昔、フランス人の先生が授業で言っていた。
「Bien」と「Tres bien」と「Tres tres bien」のどれが一番強い意味を表しているかというと、最初の「Bien」一語。
何故なら、「強い気持ちには副詞は必要ないから」、と。
イギリス人の英語の先生も言っていた。
人に物を頼むときの頼み方で、一番丁寧なのは、
「Would you open the window?」
であって、
「Would you please open the windou?」や、
「Would you open the window,please?」など、
「please」を付けた文章の方が、less 丁寧である、と。

事程左様に、「きっちりと仕事をする」「きちんと精査する」「しっかり実行する」と言えば言うほど、ピュアな行動が減殺される気がする。
自信があるのなら、こんな余計な副詞なんてつけなきゃいいのに。



国民の目線

この言葉が使われている時の意味は、
「我々エラい政治家よりも低いところにある蒙昧な国民の物の見方に成り下がって」
という意味であり、決して逆ではない。
政治家は上、国民は下。
「下の者の目線になってやろう」意識から出ている言葉。
「国民目線で事業仕分け」「国民目線で福祉対策」「「国民目線の予算」etc・・・・。
これほど国民を愚弄した言葉もないだろう。
そして実は、政治家たるもの、「国民目線」じゃ困るのである。
国民個々が展望できないことを見渡して、総括して、最適解を見つけて、説明して、実行するのが政治家であって、そういう人を選挙で選ぶのであって、政治が「国民の目線」そのもので行われるのなら、選挙なんてやらずにくじ引きで国会議員を決めればよい。


思い

これは「政治家」というよりも鳩山総理が頻繁に使う言葉である。
「国民の思い」「最も果たしたい思い」「地元の思い」「米国の思い」「積極的な思い」「解決したいという思い」etc.
ネットでぐぐっただけでも、鳩山総理の発言の中に何とこの「思い」という言葉が多いことか!
「思い」という曖昧な、主観的な、だから即ち自己満足的な言葉を政治家は使うべきではないと感じる。
というか、この言葉は女性が使う言葉であって、男性が使うと女々しいというか言い訳がましく聞こえてくる。
(・・・と書いて暫く「下書き」に放置してあったのだが・・・今日の騒動*1!急遽仕上げることにする)
鳩山総理、やってくれましたね、ポーランド大統領カチンスキー夫妻が乗った飛行機墜落事故いついてTwitter上で意味不明のTweet

「『カチンの森事件』の追悼式典への大統領の強い思い」

日頃から軽い言葉遣いをしているから、肝腎の時にも、曖昧で自己満足的な物言いをして失敗することになる。
総理大臣たるもの、夫人と食べ歩きをしたり、あらゆる方面から「趣味が悪い」「これは酷い」と酷評されたシャツを着てバーベキュー焼いている暇があったら、

静かに歴史書を紐解いて、先人が成したことに謙虚に学び、先人が発した言葉を噛み締めるべきじゃないのか。
国民も総理にアイドルみたいな振る舞いを期待してはいけない。
総理大臣は、一言一句真剣勝負の言葉で、国民に対峙してほしいし(前政権の前総理もその点は随分怪しかったが)、「思い」は本人の胸のうちに在るものでそれは公言する類いのものではない。


以上、政治家の言葉シリーズ、終わり。