公教育と塾 ① 最近の塾の広告を見て思うこと

最近、塾の広告が尋常ではない。
勿論「季節柄」ということもあるだろう。「おめでとう○○中学/高校/大学合格」という今年の合格実績を宣伝するものあり、春期講習の宣伝をするものあり、4月からの授業を宣伝するものあり、この不況だというのに、広告の数は、パチンコ屋よりも多い。

きっとこういうところに、子ども手当も高校授業料無償化も消えていくんだろうと思う。

だけど、どう考えてもおかしい。
小学校から中学まで9年間の義務教育があるというのに、その年数のほとんどを学校と並行して塾に行く、というのは。何のための義務教育なのか?
子ども手当やら高校無償化をばらまく前に、この現状を何とかしないと、いつまでも保護者は、学校以外に学校以上のお金をかけなくてはならない。

数年前に、ノーベル賞受賞者野依良治が、教育再生会議において「塾禁止」を唱えて話題となった。確かに「正論」で、本来ならば諸手を挙げて賛同したいところだけれど、一つだけ氏の視点に欠けているものがあると思う。
既に「塾」は日本が世界に誇る巨大産業であり、これを丸まま「禁止」して潰すことなど、政治的にも経済的にも不可能だ、ということ。
政治的:塾や予備校及びその業界団体はきっと巨額の政治献金をしているだろうし。
経済的:塾講師は最早立派な職業であるから、「禁止」などしたら塾予備校で働く人たちの職場を奪い彼らは路頭に迷うであろうし(潰しがきかないし)。

それと野依氏は知っているだろうか、例えば最近の塾のトレンドを。
どこの塾も競って「理科実験教室」をやっている*1こと。学校の理科の時間にやる理科実験の数々を、公教育ではない「裏」教育の塾が理科実験をやっているのだ、学校よりも深く丁寧に。スパコンもいいですけど、ここまで貶められた学校教育の「理科」を見過ごしにしてきたことこそ問題。

でも、どうしても「学校と塾の二本立て」教育はおかしいと思う。
一番損をしているのは親であり、一番負担がかかっているのは当の子供たち。

親はどうして、「学校」と「塾」と両方にお金を払わなければならないのか?
公教育としての学校に税金という形でお金を払い、それに加えて給食費やら修学旅行費用やら教材費を払わなければならないのに、それに加えて塾にまで授業料払うだけでなく、設備費だの指導費だの、それに交通費や軽食代、払わなくてもいいお金を払う破目になっている現状。

子供にしたって、ちゃんとその子に合った教え方で教えてもらえば一回習えば済むはずのに、学校では不十分未消化。遊ぶ時間を削って場所を変え塾に行ってもう一度二度手間で教わることになる。

確かに野依氏が子供の頃は、塾のない社会で極めて効率的に学校で教育がなされていたのだろう、それは認める。けれども、もうこの時代にそれを再現することは不可能である。何故なら野依氏を含む大人が今まで現状から目を背けて、塾や予備校の興隆を放任していたから、なのであるが。そして今や良くも悪くも、塾や予備校は日本の教育の中にしっかり根を張っているのだ、もう無視も撤去もできないほどに。

日本の教育制度は、明治初頭に今の制度の原型ができ、その後第二次世界大戦の後アメリカ占領下で手直しされて、何とか20世紀の終わりまでは生き延びた。けれども、21世紀ももう10年過ぎて、様々な問題も明らかになたことで、もう旧態依然のシステムを見直す時期である。それこそ100年後のことを考えて今こそ、世界のどこの先進国にもない新しい教育システムを作るべき、なんだろう。

それは、子供にとっては勿論、親にとっても、教育に関わる教師にとっても、社会にとっても幸せなシステムであってほしいと思う。