堀内宗心宗匠に且坐のご指導を受けること

過日、某所における表千家長生会研修会にて、かの堀内宗心宗匠のご指導を受ける、という、私の「茶人への道」における、エポックメイキングなことがあった。

お茶の世界に無縁な人には何のことやらわからないと思うけれども、宗派を超えて「当代一の茶人」と呼ばれている宗心宗匠と同じ空間で空気を吸っている、ということだけでも光栄の極みであるのに、私のような末端中の末端の若輩者(ちなみにお茶の世界では60歳以下は「若輩者」)が直接ご指導を受ける、ということだけで、ありえない僥倖なのである。

主・客合わせて十数名が教えを受けたのだが、宗匠のご指導はこんな感じである。
決して「そこは違います。」とか「こうやってください。」というような断定的なことはおっしゃらない。
例えば何かの所作に関して、お点前をする人に、
「それでもええどすけど、こうもやりますねえ。まあどっちゃでもええのどすけど。」
とおっしゃる。
この「どっちゃでも」というのが曲者なのである。
確かに、たかが「お茶をたてる」ことであるから、道具の置く位置やら右手で取るのか左手で取るのか、決まりにがんじ絡めになることはない。
が、が、それでも「最適解」というものがあり、それは本当に唯一無二の絶対的に「正しい形」であることが、お茶をやっている中で了解されるのであるが、それを教えつつも「どっちゃでも」とおっしゃる宗心宗匠の深さ、というのか、凄さ、というのか、それが表れているお言葉なのである。

私は炭点前だったので、宗心宗匠は炉の側まで寄ってきてくださり、本当に至近距離でお教えを頂いた。
小柄なお身体だが、間近で拝見した火箸を扱われる手は、何と言ったらいいのか、「修行を積んだ賢者の手」というか。
女性的な繊細な手でもなく、ごつごつした男性的な手でもなく、中性的な手、持ち主が想像できないような手、そう、イメージはミケランジェロの壁画に出てきそうな「神の手」だった。
そしてものすごい存在感、というかオーラを感じた。目の前の人間を圧倒するようなオーラではなく、じわじわと赤外線のように効いてくるオーラである。

実は私は、余りにも人口に膾炙しすぎている感のある「一期一会」という言葉は好きではないのだが、もうあの時あの瞬間あの空間は二度と来ない、来ないけれども、だからこそ永遠に記憶に残るのだ、としみじみと思ったことであった。


以下は茶人向け。
ところで、私は七事式「且坐」の次客、即ち「炭」が当たっていた。。
吸台子で炉で「且坐」、というのはちょっと珍しいと思うので、覚え書き程度に手順のみ書いておく。
「お茶」に関心のない方には、何のことだか???という感じだと思うけれども、全て合理的に構成されたものなのである。

且坐の炭点前なので、炭斗は半東が既に炉右側の定位置に置いてくれている。但し吸台子なので、飾り火箸を点前に使うため、炭斗には火箸は仕組んでいない。よって、普通は火箸に掛ける鐶は炭斗の中に入っている。
東から炭の所望を受けて、踏み込み畳で一度座って右手で袱紗をとり腰につけ、灰器を右手で持って左手を添えて立ち上がり、炉正面まで進み、下座に斜めに向いて座り、灰器を右手で勝手付きに置く。
・・・ここまではまあ、普通にやっていれば了解されることである。
炉正面を向き、普通なら所謂「羽・鐶・箸」で、羽を炭斗から下ろし、鐶、箸、となるのだが、羽箒は下ろして畳に置くのだが、ここでは鐶は下ろさない。
羽箒を下ろした後、棚正面に回り、杓立てに入っている火箸を常のように右手で取り左手に持たせて炉前に回る。左手の火箸をそのまま自然に右手で取り(扱う動作はしない)、羽箒の右に置く。

そして普通に炭点前

仕舞の時は、また頭を整理して臨まなくてはならない。
「吸台子で炉で且坐の炭」という縛りを頭に入れて。
普通の炭点前と違って、羽箒で釜の蓋を掃いた後、釜の蓋を切っておくこと。
その後、炭斗に入れてある火箸を右手で取り左手に渡し、右手で羽箒を取り、炭斗の上で、火箸を持っている左手の甲を下にして、火箸の先を二度払い、次に手の甲を上にして一度払い、羽箒を炭斗の上に置き、火箸を左手に持たせ構えて棚正面に回り、右手で火箸を杓立に戻す。
そうして常のように灰器を持って立ち上がる。

且坐の次客は、その後薄茶を取りに出る以外はず〜っと座ったままなので、正座している時間が尋常でないくらい長い。最後に全員で立ち上がって退出する時に、足が痺れてひっくり返ることがないようにご注意を。