「高校授業料無償化」で腐っていく、私と日本 ②

さて、
「さもしいから、辞退する」by 麻生元総理
という矜持もないので(「授業料無償化」というバラまきですっかり堕落した私)、このままずるずると年間12万円の施しを、民主党さまよりの拝領金にて、否、子供達の将来にツケ回して、頂くことになったのだけれど(参照d:id:souheki1009:20100306)
この「12万円分」がどこに消えるか?

つい先日、やはり高校2年生の子供がいる旧友と話した。彼女はフリーで働いているし、ご主人は某外資系メーカー勤務である。子供は都内の中高一貫進学校に通っている。彼女が言うには、学校に払うお金、授業料や設備費や維持費、父母の会会費、旅行積み立て、等々全て合算し、それから2箇所の塾の月謝全て足して、12(月)で割ったら、何と
月々20万円に達した、
というのだ。地方で公立高校に通い、基本自分でもしくは通信添削などで勉強している高校生の家庭には想像がつかないと思うが、都会の進学校だとこれはそう珍しいことではない。*1
中学時代からの友人である彼女が言うには、
「ウチはまだ一人っ子だから、何とかやっているけど、二人なら無理かも。」
そして私たちの話がいつも帰着するところは、
「どうして私たちはいつまでたっても親の世代よりも貧しいのかしら?」
「それは親の時代には、親は、塾や予備校にお金を払う必要がなく教育費がかからなかったからよ!」
ということであり、大いに気勢が上がる。今高校生を持つ親の世代は、嘗て自分たちが高校生の時に、こんなに塾や予備校に行っていただろうか?NO! NO! どころか、行っている生徒の方が珍しかった。ところが今や大学受験をするためには、現役でも(昔は予備校は浪人が行くところだった)高1、中高一貫校ならば、何と中1から塾に行っている子も、決して特殊ではない。

ということで、「高校授業料実質無償化」で「浮いた」ように見える12万円は、ある一定程度のレベルの家庭では間違いなく、塾・予備校の学費に化けるに違いない。先日娘の学校でも学年末保護者会があり、「授業料無償化」の話が先生から説明されたのだが、保護者(主に母親)の反応は、「高3になったら、塾の費用が嵩むから助かる」「高3になると、塾の科目数が増えるから大変で」というものである。
つまり鳩山民主党政権がやろうとしているのは、

「高校はたった3年間だからその間は家計をやり繰りして頑張る」つもりの親にそのチャンスを与えずに一律に「授業料」をバラまき、塾・予備校産業を潤し、結局は教育システムも学校の在り方も何も変えない、どころか一層「教育の二重構造」を助長させることにしかならない

ことなのである。

不況が長引き、メディアでも「高校の授業料が払えなくて退学」「授業料滞納で卒業証書がもらえない」という高校生たちを取り上げている。
ウチの娘と同じ年頃の高校生たちである。娘は幸いにもそんな心配をせずに(「それなりに悩みは沢山ある高校生活だ。」と本人は言うだろうが)、とにかく、生活のためにバイトをするどころか、塾に4つ通い、iPod だって、nanoとTouchと(お年玉を貯めて自分で買った、とはいえ)2台所有し、極めつけにiPhone を持つJK(女子高生)である。
でも。我が家だって、
もし夫の会社が日航のように破綻していたら?
もし夫がリストラに遭っていたら?
もし夫が病を得てもしくは事故に遭って急逝していたら?

ウチの娘だって、高校を通いきることができるかどうか?自分が決めた進路に進むことができるかどうか?将来に希望を持つことができるかどうか?

他人事ではない
高校は授業料を払えば通えるものではない。どこの高校も入る時には「入学金」、2年次、3年次でも「施設費」「教育充実費」「旅行・卒業積立金」と、実は授業料より遥かに多額のお金を納入しないと立ち行かない。
民主党政権は、授業料だけを無償化して、「社会で子供を育てる」と悦に入っていてはいけないのである、それじゃ単なる自己満足。
しかも日本国、お金ないんでしょう?
噂では(?)対GDP比累積国債残務残高はジンパブエに次いで世界第2位らしい日本が、「高校授業料無償化は世界標準」とか言っている場合ではない、ということを、国民に納得させることすらできないのだろうか。そんなに選挙がコワいのか?国民を過小評価しているとしか思えない、「所得制限をかけると国民の怒りをかう」「収入によって恩恵を受ける人を受けない人が出れば、受けない人から不満が出る」と本心思っているに違いない。

高校は3年間。今この不況の時代、それでも子供の高校授業料を自力で払える家庭は3年間頑張ってもらうしかないのだ。頑張れる人には頑張ってもらうしかない、何故ならこれは日本人が日本人だけで何とするしかないのだから。それでもって今苦境にある高校生と徹底的に支援する方が、国全体としてもずっと得策だと、思うのだけれども。
中途半端に授業料だけ支給されても実際に高校生活を継続させることは困難な訳だし、その結果満足できる進路を選べるかどうかも不確かだ。それよりも、「授業料無償化」に所得制限をかけて、難しい状況にある高校生が高校生として十分に勉強できるように授業料以外のところも支援する方が余程マシ。


我が家だって、一と月当たり膨大な教育費を払っている友人だって、もし仮に所得制限の線をひかれたとすれば、確かに「無償化」の恩恵には預からない方に入る、だろう。医者や経営者ではないが、親に仕事があり持ち家もあるのだから。でも自力で「授業料」を払うことによって、国の税金を使うことなく、更にそれが苦労している高校生を助ける政策に使われるのならば、何の異論があるだろう?政治家の役目は、「政策を実行すること」、確かにそうかもしれないけれど、それは政策を実行するだけの財源が確保できる場合のことで、それができない時には、国民に自助の気概を持たせる、そういう気持ちにさせることにもあるのではないか?

民主党のこの政策は、本当に

頑張れる人のヤル気をくじき、困っている人を十分には助けない、

それこそ「ムダの見本」みたいだ。