夫のドイツ赴任顛末記 ④

仮住まいのあたりの街並

どこに海外駐在することになったオクサマもそうであろうが、船便2回出して、子供達の学校の手続きや習い事の精算をして、その間にありがたい送別会もこなして、家を貸したり退去する手続きをして、航空便を出して、これが大変な引越し作業をして家を空にしてさてやっと、

成田に着いた時にはへろへろ

なのではないかと思う。私も飛行機に乗り込んで最初の食事の食前酒に頼んだシャンパンを飲んだ途端に、食事もそこそこ、がーーーーーっと深い眠りについたのだった。成田からフランクフルトまで12時間なのだが、殆どの時間、寝ていたと思う。時々目を覚まして水分補給をしながら窓の外を見るとシベリア平原が延々と続くのをぼんやり眺め、そしてまた引っ越し疲れの惰眠を貪る・・・の繰り返し。後ろの座席では、子供達が逆に寝る間も惜しんで兄妹仲良くTVゲーム。「眠ったの?」と聞くと「もうすぐ寝るから!」という問答を、私が目覚める度に数回繰り返しているうちに、機は既にドイツ上空。結局一睡もしないで(本人たちは「ちょっとは寝た!」と強弁していたが)12時間連続でゲームしていた中三と小六の幸せな子供達は、きっと脳が回復不能の「ゲーム脳」になってしまっているかと思いきや、案外そうでもないらしい。

日本を午前中に発つヨーロッパ便は、現地には夕方着くから、着いたその日はホテルについて終わり。
次の日は、領事館に行ったり、銀行で私名義の口座を作ったり、で終わった。
その次の日は2泊したホテルを朝チェックアウトして、それから2ヶ月住む仮住まいのアパート(ドイツ語ではWohnung)にお引っ越し。家族4人でスーツケース7個!しかもそどれも子供達の勉強道具やら日本語の参考書やらでかなりの重量。それをドイツの4階、つまり日本の5階までエレベーターなしのアパートの階段を運び上げるのは大変だった。その仮住まいのアパートは、市の南西部にあり日本人は殆ど全くといっていいほど住んでいない地域だった。ということもその時にはわからないことだったのだけど、いきなりの「異文化へ落下傘降下」である。

子供達の勉強道具やら参考書をトランクに入れて持っていったのには訳がある。本来住むはずの家にはまだ前任者の家族が暮らしており、また住人が退去してからもクリーニングや補修で最低2週間は入居できない、ということ。船便の配達先は新居にしたので、2ヶ月間子供達を遊ばせるつもりは私には毛頭なかったので、とにかく手当たり次第(これが難しかった)入れて来たわけである。

重労働だったトランクの運び上げが終わるやいなや、夫が今度は「近所のスーパー、下見をしておいたから今から行こう!」と言う。そろそろ時差で朦朧とした頭でスーパーを2つほど回る。一つは「Real」という巨大スーパー(雰囲気を知りたければ、ここをどうぞ。ドイツ語の勉強にもなるかも?http://www.real.de/)もう一つは「EDEKA」という中くらいのスーパー(同じくEDEKAをご覧あれ。TVスポットがいかにも感)、ここでドイツ特有のスーパーでの野菜や果物の買い方(自分で秤に載せて、出て来た値札のシールを貼ってレジに持って行く、とか)などを、一ヶ月早く先住している夫に教えてもらう。帰りに、市電の切符の買い方も教わる。「一度に沢山のことは覚えきれないんだけど」と思いながらも、「はいはい」といい加減な返事をしつつ・・・。
ところが、仮住まいのアパートに戻ったら、夫が何やら鞄に詰めている。「何やってるの?」と聞くと、「言わなかったっけ?今からパリに出張。」!!!!!絶対に聞いてない!「明日帰ってくるんでしょ?」「いや、4日間の出張だから。」!!!!!

そしてタクシーが来て運転手が呼び鈴を鳴らしたので、夫はそそくさと出て行ったのだった、花の都パリーへ向けて。
ドイツ語「文盲」の私と、コドモ二人が取り残された、ドイツ上陸僅か3日目の「Shoenes Mai(美しい5月)」の夕暮れであった。