着物で素敵な着こなしをする人が、洋服でも素敵だとは限らない話

今日は昨日とは打って変わった、激しい雨の晩秋の一日であった。
そろそろ昨日のお茶会の疲れが足腰にきている。

お茶会って格闘技!?

と言いたいほど、腿の筋肉が痛い。「お運び」として、お茶室と水屋の間を何十回と往復したから。

さて、昨日は先生を始め、皆様素晴らしいお着物でお出ましだった。まだ着物歴が浅い私には、皆様のそれぞれのコーディネートがとても参考になる。そもそも着物の世界には、格とか季節とかがあって只でさえややこしい。加えて見た目のコーディネートにしたって、洋服の世界の常識が通用しないことばかりなのだ。
着物を着ない人にはわからないだろうが、例えば着物の世界では、

柄ON柄、はOKなのである。


ストライプON柄、も全然OKである。



更には、

ストライプONストライプ、もOK!?

結局

何でもあり?

でもなさそうなのである(あやふや)。「素敵!」と思うコーディネートは、洋服のセンスに慣れた私にとっては、色の組み合わせも柄の組み合わせも意表を突くものが多い。それでも、着物的にはとても素敵なのだ。
つまり、着物の文法、というものがあって、私はそれを会得していないが、着物を長年着ているおばさま方はしっかりわかっている、ということなのだろう。
ところが。

逆も真なり。

着物のコーディネートはとっても素敵なおばさま方なのだが、洋服となると、
どうしちゃったのぉ???
というくらい、滅茶苦茶なセンスなのである。前述の「柄ON柄」「柄ONストライプ」「ストライプONストライプ」を洋服においてやったらどうなるか!?
かつてのラクロア!

(90年代のラクロアはこんな感じだった)

というのは、お茶会の前日は、当日と同じくらい大変な準備があるのだが、その時は流石におばさま方もお洋服でお出ましだったのだが、いつもながらのけぞってしまうのである。「着物の文法」は熟知しているおばさま方なのだが、「洋服の文法」はからきし駄目なようで。確かに、一つ一つは上質のものをお召しなのであるが、トータルで見た場合、何とも言い難いのよね。
文芸評論家の斎藤美奈子氏が、渡辺淳一の小説のヒロインの服装センスがどれも「バーのママさんの休日」と評していたが、それと同じで着物のセンスがいい人に限って(バーのママさんの着物センスがいいとは思わないが)、洋服のセンスが最悪だったりする。

しかし。
おばさま方に限らず、日本人って「洋服の文法」をわかっている人は少ないかも。
若い子だって結構「洋服の文法」でなく、日本人のDNAに刷り込まれた「着物の文法」で洋服を着ていたりするから。


こんなのはその典型だろう。別にこれも日本の中だと構わないことなのだろうが、例えばこれをパリの街角で見たりすると強烈な違和感があるのは何故だろう?
服装にしてもバイリンガルの道は厳しい、ということか。