400年前の二代浄益のお釜でお茶を点てたお茶会

秋晴れ最後の日、今日は我が社中、今年最大のイベント、鎌倉の○○寺にてのお茶会がありました。

茶人の朝は早い!

午前7時過ぎには私は鎌倉駅頭に立っておりました、勿論着物。
本当に着物の経験値が上がったと自画自賛、今朝何時に起きて着物を着たことか。

鎌倉の奥深い寺ゆえ(携帯の電波が届きにくい!)、せいぜい200人ちょっとのお客様かと思いきや、300人近くにのぼったらしい。道理で目の回るような忙しさだった。お点前もしましたよ。でもだんだんわかってきました、お客様はお菓子が出てしまえば、お点前なんて見てはいないってこと。心臓に毛、どころか、たてがみが生えている私の辞書には「上がる」ということはないのですが、今日はあろうことか茶筅を倒してしまった時には、動揺してしまいましたが。

↑これが茶筅

今日のお茶席で何と言っても最大級に貴重なお道具は「お釜」でした。

このお釜、江戸時代も江戸時代、綱吉より前の4代将軍家綱の頃に活躍した、浄益という釜師の作ったもの!なのである。
これを一民間人の先生が持っていらっしゃるのもスゴイのだが、お釜自体が「釜」として途轍も無くスゴいのである。
先ず、

このお釜で点てたお茶はすごく美味しい!

のである。お釜も金属であるから多少の抽出物が混じるのだろうか、何とも言えない美味しさなのである。それに加えて、

お煮えがついた(茶道用語で、「湯が沸騰した」こと)時の音がまさに「松風」の音!

なのである。静かな茶室でこのお釜が次第に湯の温度を上げていく時の音が、松を渡る風の音、なのである、とは言っても実際に私は「松を渡る風の音」は聞いたことはないので、観念上の音なのではあるけれども。そして、手前に滑らせて蓋をとる時の音も何とも言えないいい音なのである。

ざっくり400年前のお釜がお湯が煮える音を出している空間で、その釜で煮立った湯で点てたお茶を頂くほど贅沢なことはないのではないか。

しばし、下界の喧噪を忘れたひと時ではあったのだが、鎌倉駅まで降りたらmy iPhoneのメール着信音が激しいこと!
高校生のムスメからのメール:

キタ〜〜〜、インフルで学級閉鎖!

でした、一挙に、茶人から俗人に戻った瞬間。