首都圏中学受験塾 雑感

今日(11月8日)の朝日新聞に、日能研が一面全部を使って広告を出していた。

タイトルだけど、「本当の学力は」というところは、黒い小さめの字。
そして「予習で」というところから突然赤い太字になって、何故か最後の「の?」だけが黒い小さめの字に戻る、という何だか不自然な体裁。
ん?「予習」?
知らない人が見たら「予習」という言葉だけが唐突に出て来て、
「じゃあ、『復習』は?」と思うんではないだろうか?
しかし、問題はそこにない。
中学受験界においては、「予習」と言えば、

「予習シリーズ」の四谷大塚

となると、この日能研の広告は、四谷大塚へのあてつけ?としか思えない。
それもそのはず、この11月、日能研四谷大塚仁義なき戦いをしている最中だからだ。

先ず11月3日に四谷大塚が「全国統一小学生テスト」(無料)というテストを小学校2、3、4、5年生対象に実施した。
日能研は11月23日にやはり無料のテストを実施する予定なのだが、四谷大塚は11月3日のテストの成績優秀者各学年上位50名を対象にして、「決勝大会」と称する更なるテストを御茶ノ水校舎で実施するらしい。ということは、どうしても上位の子は、日能研のテストではなく四谷大塚の決勝大会とやらのテストを受けるであろうから、日能研は各学年の上位層をごっそり持っていかれることになりそうなのだ、とはもう何年も前に子供の中学受験を終えた私にもわかる。
それだからなのだろうか、今朝のいかにもあてつけっぽい日能研の広告は。
四谷大塚も昔はここまであざとくはなかった気がするけど。

首都圏の中学受験は、どんどん進む少子化と不況の中、大雑把に言って大手3社が小学生の取り合いをしているようだ。
日能研四谷大塚SAPIX, 今ならこれに早稲田アカデミーが加わるのだろうか。

息子は2002年2月に中学受験をした。
当時の塾の景色は、

日能研 設立は1973年だが創業?は1953年の大手塾。イケイケ。テストの順位で教室の席順が決まっていた、勿論、一番の子が一番前。ビリの子は一番後ろの席。これって、「思いやり」とか「出来ない子を出来るようにする」公教育の立場とは真逆。説明会では、「公立中学校は英語が週に3時間しかない。どこの学校であっても私立に行った方がマシ。危機感を持つ親は皆そうしてる。その私立に行くためには日能研で勉強してください。」という煽りのスタンスで、先ず「何が何でも中学受験」を勧めるところから講師の話が始まっていたところが印象的だった。その当時から、「受験のデパート」とも言えるほど、通常の教室授業だけでなく、今の個別指導にあたるシステムとか、通信教育も手がけていた。受験対象の中学校も、有名校だけでなく、中位校、下位校(偏差値が)の受験も勧めていた。

SAPIX 1989年設立の塾。当時破竹の勢いで生徒、それも優秀な生徒を増やしていた。当時はまだ「開成、桜蔭ならSAPIX」という雰囲気は微々たるものだったが、その3年後3歳下の娘の受験の頃には、その評価「開成、桜蔭ならSAPIX」は定着していた。授業のスピードが早いこと、超難関校を受ける子しか相手にしていないこと、プリントの量が多いこと、は広く言われていることだが、説明会に言った私自身の感想は、塾長(代表?)を初め、先生方が皆文字通り、「慇懃」過ぎて「無礼」という感じ。言い換えれば、説明会に来ている母親には是非子供を入塾させることを決断してほしいと思っているが、入塾してしまえば母親には塾のやり方には口出しして欲しくないオーラを私は感じた記憶がある。中学受験専門ではなく高校部があるのは、大手3塾の中ではここだけ。

四谷大塚 1954年設立。我が家はここの「日曜教室」こと日曜テストに通っていたのだが、このシステムこそが、今日の新聞で日能研が批判していた「予習」に拠っている。つまり、月曜日から土曜日まで、四谷大塚の、その名も「予習シリーズ」というテキストに沿って自分で予習し日曜日にその成果を見るテストを受ける、というシステム。大昔は自分で「予習」していたらしいが、今は四谷大塚そのもの、及び提携塾でも「予習シリーズ」に沿って授業をしているので、事実上は全くの「予習」ではなく、「本当の実力は予習で身につくの?」なんて新聞広告まで出している日能研と変わるところはないのである。ただきっと、何事にもこだわりを持つ世代の親(特に父親)ならば、ここの「予習シリーズ」は絶品!!しかし、ここに通っていたからこそ、今だから見えてくる問題点もある、勿論それは「予習で身につく/つかない」のレベルのことではないが。高校生の娘が、東進予備校に入るために手続きをした時に、四谷大塚が今やこの東進予備校に買収されていたことを知って驚いた。教育理念より何より、企業風土が全然違うと思うのだが、東進と四谷。


それでも息子の時代には、中学受験でも5年生からの塾通いで十分だった。4年生から通っている子は本当に稀だったし例えば四谷大塚には4年生のクラスはなかったと思う。一方、6年生の連休もしくは夏あたりまで野球やサッカーをやっていて、それから中学受験を決めた、という子もいて、そういう子でも頭さえよければ猛烈な追い上げで難関校に合格したのどかな時代だった。それがどんどんどこの塾も前倒しになり、先ずSAPIXが小学校2年生から募集を始めたのにはびっくりした。そのうち、日能研四谷大塚もどんどん低学年を対象にし始めて、気がついたらどこも小学校1年生からの通塾が当たり前になっている。つまり義務教育が始まると同時に、裏学校とも言うべき塾通いが始まっているのだ。
日本の教育ってこれでいいのか?
税金使っての義務教育が最初の年から不十分だと言われているようなものなのに。いっそのこと、塾と学校を合体させての小学校教育はできないのだろうか?


例えば、私の考えるドリーム小学校とは・・・
午前中は公務員である今の学校の先生が算数、国語、理科、社会の4教科だけを教える。
事務処理とか、欠席した児童や家庭に問題のある児童へ対処するのは、先生の仕事とはせずに、外注する。
教員試験に合格して先生になったのだから、基礎科目の教育のみに専念してもらい、どの子も基礎段階は十分に理解できるような教え方をしてもらう。
遠足や運動会の行事もこの午前中の基礎クラスともいうべき学級の先生の指導のもとに置く。つまり今の学校の一番コアな部分を担当してもらう。
しかし一方午後は、体育、図工、音楽、そして算数、国語、理科、社会の進んだ勉強(今塾で教わるレベル)は、希望者に選択必修させるシステムにする。

教えるのは、現在の塾の先生や、スポーツクラブや音楽教室の先生。

専門家であるから、小学校で教えるうちに特別な才能を持った子を発掘するかもしれない。その時は本人が望めば、オリンピックでも音楽のコンクールでも目指して学校外で引き続き指導すればよい。
また、午後の授業が終わったら引き続き、校内で場所を変えてそのままいわゆる「お稽古事」ができるようにする、バレーとかサッカーとか水泳とかのスポーツや、ピアノや習字、英会話なども、そのまま校内で習えれば、親の余計な送り迎えも必要なく、子供が一人で歩く機会も減るだろう。
そして、そのまま学童保育の場所もあれば、働いている親も一番安心なのではないだろうか。
先生の働き方も変わることが可能だ。例えば午前中基礎学級の先生として学校で働き、午後は農家である実家に帰って農作業、とか町の商店主が午後だけ図工の先生として働く、とか様々な働き方ができるのではないだろうか。先生一人一人が多様な働きかたをして人間の幅が広がれば、いわゆる変な先生、独善的で偏った先生も減るかもしれないし。何より、こうでもしないとこれから優秀な先生が塾でなく「学校」の先生になってくれないのではないだろうか?



まあこんな夢物語は孫の代(!?)にも間に合わないとは思うけど。
よく「フィンランドの教育に学べ」という意見があるが、もうとても日本ではフィンランドのような公教育だけで高度な教育を施すシステムは無理だろう。
大体、受験で生徒を選別する私立の中学校なんてフィンランドにはないだろうから、前提条件からして違う。
塾という裏教育がここまで高度(?)発達した日本では、全く別の学校モデルを作らなくてはいけないと思う。
問題は、政治家が

中学受験のための塾が新聞の一面に広告を出すような国の教育はどうなっているのか?

ということをどこまでわかっているのか、が問題なのだけど。