昔嫌いだったけど、今好きな言葉 ①

努力

若い頃は、努力は格好悪いことだと思っていた。
努力しなくても、「カワイい」、「スタイル良い」、「勉強できる」、「スポーツできる」ことが、格好いいことだと思っていた。
幼い言葉で言えば、「天才」の方が「努力家の秀才」よりも格好いい、と誤解していた。
花形満」とお蝶夫人が象徴的*1
しかし年は過ぎて。
今は真逆のことを思う。
天賦の才能に恵まれているのにそれを当然の賦与と考え何の努力もしない人は、傲慢であり愚かである。
天賦の才能とは或る意味残酷で、その才能を上回る努力をしないと努力そのものが見えてこない。それは天才に課せられた試練のようなものだ。
世の中は公平と見えて、そこそこの才能しかない凡人が亀のように努力する方が、難しそうに見えて簡単なことかもしれない。

俳優や女優でも、お笑い芸人でも、モデルでも、スポーツ選手でも、努力している人が好きだ。
語学でも、習い事でも、努力して精進している人を見習いたいと強く思う。


最近、若い友人が漏らした名言がある。
彼女は芸大の美術系の出身なのだが、入学当時、周りは皆天才に見えたそうだ。
「私は小さい頃から絵が好きで絵しか描いてなくてたまたま芸大に入ったのだけど、ほ〜んと1年生の時は周りは皆天才ばかり!
ピカソミケランジェロだらけで、全員が明日にでも大成功すると思えたんです。
だけど、卒業して数年経って、今「絵」で食べている人は殆どいません。
で、私わかったんです。
天才は持続しない、って。」


名言なのでもう一度

天才は持続しない

天才は一瞬の輝き。
だから凡人はそれが眩しいし、凡人がその才能の発露を鑑賞することは歓びである。

対して努力は、地味であるが、長く持続することができる。
長い人生、自己を律して努力を重ねることは、一瞬ではなく継続して積み重ねる足跡であり、それは自ら愛おしむこともできるし、人から共感される。
否、「共感」という感情以上に、尊敬すら獲得する。
天才は尊敬されないけれど、努力は尊敬される。
今、「努力」は好きな言葉である。
ストイックに努力を重ねて花開いた結果こそが、価値あるものだということがやっとわかったから。

*1:実際は二人とも影ではかなりの努力家