続・ミニスカート論争雑感

昨日のエントリーに追記

ドイツにいた時、娘が通うインターナショナルスクールのジュニアハイスクール(日本でいうと中学生)では、学期に1度くらいの割合で、生徒会が主催するダンスパーティーがあった。
ダンスパーティーと言っても、学校の食堂での殆どディスコ状態、な訳だが、生徒たちはとても楽しみにしているイベントだ。

その日は、生徒たちは学校から一度家に帰って着替えてから夕方学校に出かける。
初めてのパーティーの時、早目に娘を学校まで送って行った私は、生徒たちがどんな格好をしてくるのか興味津々で、ダンスパーティーにやってくる生徒達を暫く車の中からウォッチングしていた。
一応、その時その時でダンスパーティーの「ドレスコード」というものがあり、その回は、

準フォーマルで、ジーンズ、スニーカー禁止、

だったと思う、これは生徒会のメンバー、即ち生徒が決めるのではあるが。
日本人だとオトナでも

「『準フォーマル』って何?」

とうろたえてしまうだろう。
ましてやローティーンの子供達でこのドレスコードがわかるのだろうか、と訝った。
しかし、見事に「見えないドレスコード」は存在していた。
頓珍漢な格好をしているのは、日本人や韓国人のみ。
ガイジンの女の子たちはどんな格好をしているかというと・・・

先ず、何と言ってもスカート。
普段はほぼ100%と言ってもいいほど、皆が皆ジーンズ、そうでなくてもチノパンとかパンツ姿なのに、スカートなんですよ、これが。
つまり、
女の子のフォーマルとはスカートなり。

次に、肩や肌は見せる、ということ。
タンクトップやノースリーブ、襟ぐりの大きく開いたトップスが多いこと。
これも普段はオールTシャツの彼女たちなのだから、いつもと違う「準フォーマル」ということなのだろう。
ガイジンの女の子たちは、コムスメといえども結構体格は良かったりするのだが、骨格も日本人とは違って、そういう肌露出のトップスを着ても、不思議とイヤらしくならないのは何故だろう?
つまり、
洋服におけるフォーマルとは肌見せなり。

そして、足元も普段の靴とは全く違う靴。
スニーカーは禁止だから勿論だとはいえ、普段人気があるモカシンなんかも履いている子はいない。
素足にサンダル、若しくは、露出度の高い靴、が主流。不思議にヒールの高い靴の子は少ない。ヒールが高いからと言ってフォーマルになるとは限らないのかも。
肌色ストッキングなんて履いている子も一人もいない。
つまり、
フォーマルの靴は、日常の靴とは違うものなり。

そして、普段はガイジンの女の子たちは、髪の毛は無造作にそのまんま垂らしてる、って感じなのに、この時はまとめたり、結い上げたり(これも無造作ではあるが)、していること。
日本人の黒髪に付けたら浮いてしまうような、大輪の花の髪飾りなんかも、金髪だと何故か馴染んだりする、
つまり、
フォーマルとは、髪の毛にも手を加えることなり。


ダンスパーティーでは、生意気にちゃんとチークタイムもあって、ちゃんと男の子が女の子を誘いにくるのだそうだ。
言い忘れたが、このダンスパーティーには、ちゃんと先生方も監督として出席していらっしゃる。
帰りは(8時半から9時くらいに終わる)、食堂の入り口でちゃんと親が迎えにきたかを確認してから生徒を出すのである。
大体、塾帰りの中学生が夜の10時代に平気で電車に乗っていたりする日本とは違って、夜に子供だけで出歩くのはありえない国であるからして。

私が素朴に感動したのは、日本の中学では、いや高校だって、男女交際とは、禁止こそしなくても、先生、親、のどれもが絶対に応援するはずもなければ、推奨もしない、仮に目の前にあっても見て見ぬ振りをするものである。
ところが西欧では、ティーンエイジャーが「異性と付き合う」「異性にアピールする」ことは、ポジティブに捉えられていると感じた。
ダンスパーティーだって、女の子も男の子も、「ただ踊ることだけ」が目的ではないことは明々白々だ。
「異性にアピールすること」が第一義であり、女の子は男の子から誘われることを目的にし、男の子は女の子を誘う(誘って断られない)ことを目的にしている。
それは、親も子供もそして先生も了解していることであり、了解した上での前述のドレスコードだと思うのである。

「フォーマル」なんて言っても、実はこれは西洋ではオトナの世界でも、

礼儀正しくナンパする

ことに他ならない。
ナンパし、ナンパされるドレスコードが「フォーマル」だとすると、

スカート
肌見せ
特別な靴
髪に気を配る

ということは、女の子にとって異性である男の子にアピールすることなのであり、ガイジンの女の子たちはローティーンのコムスメたちのくせして、ちゃんとそれを意識的にやっているのである。
言い換えれば、どういう風に装えば、男の子の気をひけるか、また自分が男の子の気を引いていると見られているか、を理解しているのである。
これはとても大事なことで、逆に言えば、異性である男の子の気を引きたくない、アピールしたくない時には、

スカートじゃなくて、ジーンズをはけばいい
肌を見せるトップスは着ない
特別な靴は履かなければいい
髪の毛に手を加えなければいい

ということが、了解されているからである。


話が大幅に逸れるのだけど、今ヨーロッパにはとてもイスラムの人が多い。イスラムにも色々な宗派があるらしく、女性の服装一つにしても、
・上半身は普通の洋服で、下は足首が隠れるロングスカート
・上半身からすっぽりと黒い布で足首まで一挙に覆い、身体の線が全くわからない
・頭から顔も含めてすっぽりと黒い布(たまに白)で覆いつくされ、目の部分だけが網目になっている
等々、差異はあるものの、皆、頭だけはスカーフで覆われているのは共通している(除く、トルコのイスラム教徒の一部)。
思うに、マホメッドは、異性に対して女性の何がアピールするかを熟知していたと思われる。


足の露出は、例え僅かでもポイントが高いので、完全に隠す。
肌の露出は言うまでもなく、他の文化では(西欧でも日本でも)女性が美しさを競った髪の毛ですら、人前に晒すことは、セックスアピール、と見なされたのだろう。
マホメッドはなかなか鋭かった、と言えるだろう、ただ偉大な予言者も、「隠せば隠すほど、神秘性は増す」ということには考えが及ばなかったかもしれないが。

で。
何が言いたいかというと、欧米では「ドレスコード」を小さい頃から教え込まれティーンエイジャーでも「何をどう着ればセックスアピールになるのか」が了解されており、イスラム教徒の人々は教義によって教えられている。
然るに、

本邦ではそういう教育が全くされていない

のである。
それは仕方ないことかもしれない、140年前の明治維新までは洋服と全く縁のない国民であり、いやいや第二次世界大戦の前まではまだ大人も子供も一般の女性は殆ど着物だったのでは、いやいや戦後も今70歳代の女性はまだ若い頃普段着としてウールやお召しの着物を着ていたのではないだろうか。
そういう諸先輩方が洋服の「ドレスコード」を理解していたとは思えないから、後続の私たちも何も「ルール」を知らないまま、「流行」と言われれば飛びついて着る、という有様であり、また近頃の若い女の子に至っては更に何もかも「カワイイ」の価値観(中身は空っぽだが)で服を着てしまうのである。
当代のスタイリストなんて見ても、みな地方出身。洋服の歴史もルールも文法も知らずに表層的なところしか知識もない。
ミニスカートも、下着みたいなキャミソールも、倒錯者が喜びそうなニーハイブーツも、「カワイイ」の一言だけでファッション雑誌に載り芸能人が着てそしてフツーの堅気の女の子に取り入れられる。彼女たちに責任があるだろうか?
曾野綾子さんの世代の女性が、そういう若い世代の女性に「襲われるのが嫌なら、ミニスカートははくな、肌は露出するな」とは言えないと思う、何故なら若い世代の子たちは何も教えられていないのだから、つまり曾野綾子さん世代の女性は教えてこなかったのだから。

面白いのは、男の子の方は、万国共通で、短いスカートや肌見せにそそられ、足フェチや髪の毛フェチがいるということなのだけど。

「痴漢に遭いたくなかったら、自衛せよ」というのなら、先ず根本的に、「洋服の文法」を若い女性に教えなくてはいけないということだ。
だけど、先達にそれを教えられたこともない、「洋服の歴史」を持たない私たちにとってはそれはなかなかの難題ではある。