ミニスカート論争雑感

現役女子高生の母として。

女子高生たちは、どうしてスカートを短くしているのか?
ということに関して、男性のみならず曾野綾子さんも全然わかっていないのではないか?

声を大にして言う、女子高生たちは、

男性の目を引きたくてスカートを短くしているわけでは決してない。

はっきり言って、「挑発されている」と感じる男性は、

何か勘違いというか自意識過剰というか、哀れでさえある。


彼女たちが何故スカートを短くするか?
その理由は、
単に、女の子同士の社会の中での自己表現なのである。
今、「短いスカート」の方が、女子として単純に

よりお洒落、
よりカッコいい、
よりカワイイ、

から、それだけなのである。
これは理屈抜き。
記憶に新しいところでは、今は誰も履いていないルーズソックス。
あの時もそうだったではないか?
大人がどんなに
「ルーズソックスを履くとかえって足が太く見える」
「足首でたるませたソックスが地面を引き摺って汚い」
「夏場は足が蒸れて不衛生」
と理路整然と諭しても、女子高生はそんな「正論」無視して履き続けた。

短いスカートだってそうだ。
あくまで、女子高生の中で「価値あるスタイル」と認知されている間はすたれることはないだろう。

男性諸氏に聞きたい、「ミニスカートが男を挑発している」と自意識過剰に感じる前に、電車の中であなたの横で化粧された経験はないだろうか?
あなたを「男性」として意識していれば、決して隣りで化粧なんてされないはず。
つまり、化粧する女子高生にとってあなたは「男性」ではなくて「風景」でしかないのだ。
それと同じ。
スカートを短くしているのは、「風景」であるおじさんや名前も知らない男の子のためではなく、女の子同士の甲斐性の見せ合い、なのですよ。

「風景」が勝手に挑発されててはいけない。


じゃあ、
どうして女子高生はそういう風に振る舞うのか、
考えてみた。
先ず、女性として身近なモデルである母親がそうだからだ。
母親は、夫である父親のために家の中でもキレイに装う、とか、いつでも美しく化粧している、ということは全くない、日本の母親は。
少しセクシーな洋服を着るのは、夫にアピールするためでなく、女友だちと競うため、なのである、日本では。
女友だちと出かける時こそ、日本の女性は、ここぞとばかり張り切って・・・その結果「セクシー」に気合いが入った服装を(年甲斐もなく)するのである。


じゃあ、
どうして日本のおばさん、否、女性はそういう風に振る舞うのか、
考えてみた。
それは、日本のおじさん、否、男性が女性の服装に無頓着だから。
無頓着というのを正確に言えば、はっきり言って服装という言語に関するセンスが全くなくて、女性の服装を評価する能力がないから。
恋人であれ、夫であれ、女性である自分がどんな格好をしようと褒めてもくれない、認めてもくれないから、本来は男性に対して行われる、服装を通しての「性的アピール」が、相手のないものに対して暴走してしまっているのである。
相手がいれば、「性的アピール」の加減もそれに応じて変わるだろうが、当の相手の日本のおじさん、男性は「性的アピールの対象」ではないのだからして、相手がいなければ、加減もへったくれもない。

昔は、すっごい昔は、日本男児も捨てたものではなかったようだ。
例えば、光源氏
光源氏は、それぞれの恋人の衣装の意匠を理解し、それを褒めそやすボキャブラリーもプレゼン力もあったどころか、女性がTPOを外した衣装を着ていればやんわりと注意もした。
源氏の恋人はさぞや、衣装の選び甲斐もあっただろうし、男性のために装う喜びもあったことだろう。

そして平安の昔から1000年以上の年月が流れた今、日本の男性は、女性の服装に関しては最低最悪の状態である。
男性の願望(?)が如実に反映されたと思われるアニメやゲームの人気のある女性像を見るがいい。
それの典型が

幼児顔に、現実でもありえないほど短いミニスカートのセーラー服の女性(女の子)

ですからね。
日本男子は、服装音痴の自分たちで勝手に奇天烈な性的偶像を作って、リアルのミニスカートを履いた女性に勝手に挑発されてるんだから、世話ない。

私は、本当に日本女性はエラいと思いますね。
イタリア女やフランス女のように、男性が事ある毎に、女性の服装を褒めそやし、関心を持ってくれる、という環境ではなく、それどころかロリコン好きやメイド喫茶が繁盛するこの環境で、ここまでお洒落偏差値が高いのだから、日本女性は。

しかし。

「ミニスカートが男性を挑発している。襲われたくなければ、ミニスカートを履くな。」

という論調にはどう対処したものでしょうかね。