携帯電話今昔物語

以下は2004年春、私が夫の転勤でドイツに行く直前の、日本の主婦世界における携帯の進化度です。
但し、私の記憶によるので不確かな点はご容赦ください。


1.子供のママ友の中で、まだ携帯持ってない人もいた(割合10~20%くらい?)。
2.当時、「メルアド交換」とは「手書きのメモ交換」、だった。
3.携帯メールは相当普及していたと思う。
 主婦は長電話の代わりにメールで用事を済ませていた。
4.勿論、赤外線受信、も QRコードバーコードリーダーもなかった。
5.先進的(?)な主婦は、写真を添付したメールを送ることができた。
 (私も『今日急に夕食要らなくなった』とメールしてきた夫に、
  夫の好物が並ぶ夕食の写真をメールに添付して送って嫌がらせ(?)をしていた)
6.女子高生で流行っていた顔文字をメールに入れるのが一部で流行初めていた。
 (当時私はこれが「若者に媚びていてイタい」と思っていたので意地でも使わなかった)
7.まだVodafoneというキャリアーがあった(私はこれだった)。当時はドコモ一人勝ち。
8.絵文字はなかった。
9.着メロは結構普及していたと思う。
10.携帯電話にアンテナ(!!)が付いていた。
11.音楽をダウンロードして携帯で聞くことはできなかった、か、している人はみかけなかった。
12.携帯電話を所持している年代は限られていた。中高生には今ほど普及していなかった。まだ
 「ウチの子には持たせません」ときっぱり言う親がいた。小学生は塾に行くときだけ親の携帯を
  借りる、という程度?所持している世代は大学生、20代、30代、40代前半。中高年は「携帯な
  んかなくても」というスタンスで携帯そのものに対して否定的だったと思う。また携帯電話は
  お年寄りの持ち物ではなかった。
13.ワンセグ機能など当然なかった。
14.言うまでもないが、お財布ケータイ、モバイルスイカ、もなかった。
15.「マナーモード」という概念がまだ行き渡っておらず、電車の中で大声で携帯で電話しているオジサン、
  オバサンが新聞投書欄でよく批判されていた。


上記のような日本からドイツに行ってびっくり!
そもそも携帯でメールしている人を見ないのだ。
携帯=電話、で、その代わり、道を歩きながら、犬(ドイツは5代将軍綱吉公もびっくりの『お犬様天国』)を散歩させながら、携帯電話で話している人、電車の中で大声で携帯で話している人はフツーにいる。
ヘッドセットで話している人は日本では殆ど見ないが、ドイツ、ヨーロッパでは結構いる。
道の向こうから来るピンストライプの背広に日焼けした肌のちょいワル風のおじさんが、いきなり私に話しかけてくるので、

すわっ、私ナンパされてる!?

と思ったら、ヘッドセットで通話していたということもあった(これはミラノの街角のお話)。
携帯メールの普及率は日本とは比べ物にならないほど、低い。
大体そもそもドイツ人って、

携帯でメールできないw


いわゆるSMSなので、長文は打てないのだが、ドイツ人で結構インテリな人でも携帯メールが打てない人がいるのにびっくり。
「メールはパソコン。携帯は通話」なのである。
ドイツ人の男性は概してメカが好きで得意なのだが、それでも携帯メールを打っている姿は見たことがない。
その理由を私が勝手に推測するに、「小さい携帯上でデカイ親指1本でメールを打つほど手先が器用じゃない、つまり不器用」だからだと思われる、いやこれ本当!
つくづく思うのだが、日本人って例外的に器用な国民なのだ、それも度を超すくらい器用。
それに日本人って細部に拘る国民で、だからデコメや添付メロディ着メロ、が発達するのだろう。
独自の携帯文化が日本で花開いたのは、日本人の器用さゆえ、だと思う。
あっ、それから「写メ」機能もドイツの携帯には付いていなかった、当時は。

さて。
そんな日本から、一応は先進国中の先進国、ドイツに移住した。
ドイツに住むことになって現地で現地のキャリアの携帯を買うわけだが、我が家は夫のオフィスの真ん前にあった、というだけで、Vodafoneにした。日本でもここだったので、根拠のない懐かしさもあって。
一家全員、同じ機種にした、理由は安かったのと、

「英語のトリセツがあるから」

↑これってもの凄く重要、非英語圏では。

さて子供達がインターに通うようになって、日本にいた時のように、「今から帰る」とか携帯のメールでやりとりをする必要性が当然でてきたのだが、

日本語じゃなくてアルファベットでしかメールで打てない

当たり前といえば当たり前。正確に言うとドイツ語のキー配列なわけ。
だから不器用でメールできないドイツ人と同様、携帯の通話で用事を済ますことになる。
しかしそのうち、どうしても電話でなくてメールで用事を知らせる、という状況が生まれてくる。
最初の1ヶ月くらいは、苦肉の策で

「ローマ字」

で打っていた。
「imakara kaeru」とか。
でも、これって気が狂いそうになるほどまどろっこしい。
そのうち、子供達の方からはメールが英語で来るようになった、Oh,my God!
子供が英語でメールして来るのに、親がローマ字でメールを返すなんて、親の沽券に拘るので、こちらからも英語で返すようになった。
遠くにキャンプやスキーに行った時に携帯でメールして来るのも英語だったし、息子はタンザニアからも英語でメールしてきたし、例えば朝家を出る時に親子喧嘩して学校に行った時、殊勝なことに学校で自分の過ちに気がついて(本当のところはどうやら?)メールで謝ってくるのも英語だったから、今となっては不思議な気分になる。
だって日本人なのに親子が、それが環境的に強制されたものであったとしても、母国語以外でコミュニケーションをとっていたのだから。



「携帯電話」の使われ方で景色も違う。
日本だと今電車に乗れば大抵の人は携帯でメールがネットかゲームかしている。
ところが、ドイツだとまだ「古き良き(かどうかは?だけど)携帯以前の風景」、つまり、本や新聞を読んでいる人はいても、大抵はぼーっと座席に座っている、というのが、電車の中の情景なのだ。
日本もつい10年前まではそうだったかも。
それから、これは2005年夏に娘と行った、パリ郊外のディズニーランド(フランス語読みだと『でぃすねいらん』)のことだ。
日本のディズニーランドにもある、何とかの蒸気船に乗るために、ロープが張られた通路を蛇のようにじぐざぐに並ぶ善男善女の西欧人。
日本と同じ光景のはずなのに、「間違い探し」のようにどこか私の目にには違和感が・・・。
それは、並んでいる善男善女が、お喋りなどしながらただぼーっと待っていること、なのである。
同じシチュエーションで浦安のディズニーランドだったら、殆どが携帯を取り出し、それをいじりながら待ち時間を潰すことだろう。
そしてお待ちかねの蒸気船が近づいてくると、きっと皆一斉に携帯で「写メ」しはじめるに違いない。
それが、パリのディズニーランドでは全くなかった!
思うに、
「写メをとって、それをメールに添付して送る」
というのは、俳句心というか、歌を読む心、と似ている気がする。
その瞬間の風景を切り取って表現する、というのが日本人なら自然に身についているのかも。
それがあってこそ、日本では独特の携帯文化が発達したとはいえないか?


2007年夏に日本に3年ぶりに帰国して、まさに「浦島花子」。
日本って、日本人って、日本の技術って、スゴい!
携帯の進化ぶりには仰天致しました。
またしても、息子、娘、と私でドコモの同じ機種の携帯を買ったのだが、子供達が機能を覚えるのが早いこと、早いこと。
しかし、私も再び日本の主婦世界に再デビューするために携帯でのメール送受信や赤外線受信やらQRコード読み取りとか、必死で覚えた。
けれども、「顔文字」にかつてアレルギーがあった私は、「絵文字」も使う気になれなくて、もっぱら文字だけの、それでいてやたら長いメール(リアルでお喋りなので、メールも長くなる)を友人に送っていた。

持つべきものはやっぱり友!

或る日、友人の一人が私にこう言った。
「あのね、今メールに絵文字の一つも二つも入れないと、若い人たちにとっては、『この人、何か自分に対して怒ってる?』と思われるのよ!」

へぇっっっーっ、そうなんだ!と目から鱗
こう見えても(?)根が素直(?)な私はそれから、血がにじむような努力をして絵文字習得に努めたのでありました。
やり始めるととことんやる性格の私。
何てったって、座右の銘は、「毒食らわば皿まで」「悪趣味一歩手前」ですから。
更に「悪乗り、大好き」というのもある。
そうやって、こつこつとメールをデコっていた或る日、第二の衝撃波が私を襲いました。
私よりも多分年配の方から頂いたメールが、「メロディ付きのメール」だったのだ。
夜景のテンプレートに、シューベルトの子守唄のメロディ付き。
それに触発された私は、数日のうちに、3つのデコメサイトを i-Modeのブックマークに入れて、そこから素材を取ることを覚え、季節に合ったテンプレート、メロディのストックに努め、それを使った華麗なメールを作れるようになったのでした。
こういうサイトはオバサン(自虐?)向けには出来ていないので、私がイメージするような、「季節感溢れるテンプレート」や「ウイットを利かせたテンプレート」というものは数少ない。
テンプレートよりも、ラインやデカ絵文字、といった素材の方が使いやすいことも覚えた今日この頃・・・

iPhoneに乗り換えた!


自分でも気がついたのだが、iPhoneのせいにして、「もうデコメや絵文字はできなくなっちゃった」というのは、実に爽快な気分!
顔文字すらキライだったのに、帰国した祖国ニッポンに馴染むために涙ぐましい努力をしてメールをデコっていた私はエラかったが、もうそれもお終い!
iPhone、ありがとう。